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14.笑って嗤って泣いた夜に

 媚びを売る術を得ていて良かったなんて、これほど痛感する時は今日以上にないかもしれない。 「……ぅ、ぐ……ンンゥッ」  喉奥を突くのは獣人の男根だ。嘔吐きそうになる度に嗤っているのか男の身体が揺れる。  人間とは違うそのサイズはほとんど凶器で、あまりの苦しさに生理的な涙が勝手に零れる。  それでも俺は相手を見上げ、挑発するような目つきで口内のものを懸命に吸い上げた。 「はっ、いつも怯えて泣く奴ばかり相手にしていたが、たまには玄人もイイもんだな」  グッと髪を掴まれ頭皮に痛みが走る。  盗賊たちの頭だという彼は、こうした悪行を罪だとも思っていなさそうな様子だった。  恐らく、誰かを犯すのも殺すのも手慣れている。  だから決して、この選択が正解だとは思わないが、この男の気分次第で俺の運命は決まる。  それならばせめて痛い思いはしたくない。  そう判断して、服を剥ぎ取られたときに懇願したのだ。 「ねえ、優しくして。せっかくだしお互い楽しんだ方がいいだろ」  全裸の俺を検分するように眺めて、獣人は目を細めた。 「産毛ひとつ生えてねえとはな。男娼か」 「……老いぼれじいさんに飼われていたんだ。だから素人より楽しめるはずだよ」  そう言って太い首に両腕を回し彼を押し倒す。  首筋に唇を落とし、率先して奉仕すれば、男の機嫌は良くなった。  我ながら馬鹿みたいな行動だと思うが、現に今、殴られることもなく生きている。  問題は、こいつとのセックスが終わったあとだ。  下っ端にマワされたりするのかな。サンドバッグにされても生き残れる?  ああ、でもあいつのピアスがあるんだった。〝癒〟が仕込まれてるから、殴られても傷は癒える。  見つかってピアスごと取られそうだ。もちろん、最悪なやり方で。  ああ、どうしよう。ここを切り抜けたところでゴミみたいな展開が待ってる。  どうせなら、ひと思いに殺してくれないかな。  やっぱり、痛くないほうが嬉しい。  ぐるぐると襲い来る絶望感に浸りながら、必死に舌を動かした。  唾液が顎を伝っていく。鼻呼吸するのもやっとで、ぎゅっと目を瞑って息苦しさを逃した瞬間。  不意に身体が浮いた。後ろから強い力で男根から引き剥がされ、視界が変わる。  俺の腰に逞しい片腕が回っている。血管が浮き出て、肌は白い。  茫然とその腕を確認した俺は、恐る恐る顔を上げた。   「遅くなりました」  耳元に降りた、似合わない囁きは凍りついたように冷たい。 「……レスニカ」  振り返った先に鼻先と顎があって、予想以上に近い距離に一瞬たじろぐ。  そんな俺を一瞥したレスニカは、宙に浮いた状態の俺に初めて気付いたようで、そっと腕の力を抜いて降ろされた。  めまぐるしい展開に訳が分からずひたすらレスニカを見つめる。  ミルクティー色のサラサラの髪はさほど乱れていない。俺の背中を支える腕も、傷一つない。  琥珀色の瞳は、いつものより少し柔らかな眼光で俺を見下ろしている。  目と目が合うと、だいぶ落ち着いてきた。それから俺は、レスニカから視線を外した。  奉仕してた獣人を見ると、大の字になってベッドに倒れていた。  そそり立った男根はそのままで、生きているのかと思ったけどピクリとも動かない。  背伸びをして見ると、カッと目を見開いてただ天井を見上げていた。 「……もしかして、死んでる?」 「はい」 「……全員?」 「外の雑魚なら、一掃しました」  あれだけ騒がしかったバンの外も、今やシン、と静まりかえっている。  何らかの攻撃をした様子など見なかったのに、レスニカは彼等を秒殺したようだ。  ガスステーションで見た魔法の類いだろうか。  桁違いの強さにゴクリと唾を飲み込む。 「……ていうか、来てくれたんだ」  助かった。  そう理解できた瞬間、膝の力が入らなくなって、思わず床にへたり込んだ。  レスニカはそんな俺を見下ろし、素早く周辺を見渡した。次にはグッと眉根を寄せていきなり自分の黒シャツを脱いだ。  唖然としているとそれを頭からかぶせられて、ようやく俺は自分が全裸だったことを思い出した。  そうだ。確か、俺が着ていた服は獣人の爪でイタズラに引き裂かれた。怯えて震える俺の反応を面白がった獣人は、ことさら時間をかけて服を刻んでいたっけ。  レスニカはベッドの上にある切れ端となった服を見て、咄嗟に自分のシャツを着せたようだ。  ――別に、俺は男だし、この場にはレスニカ以外に人はいないから気にしないんだけど。  それでもレスニカの体温が残るシャツを纏っただけで、緊張が解けた感覚がした。微かに香るレスニカの匂いも不思議と嫌じゃない。  ホッと小さく息を吐く。レスニカが着ていたときは割とタイトな黒シャツだったのに、俺が着ると尻まで隠れて少しびっくりした。  こんなに体格差あったっけ?  そういや、コイツの身長って確か190cmだっけ……。  俺170cmだからな。そりゃこうなるか。 「……ありがと」  笑みを作る。そうしながら立ち上がろうとすると、レスニカが腕を掴んで助けてくれた。  俺の様子をどこか深刻そうに見つめているので、耐えきれず噴き出す。  助けに来てくれた。  俺を見捨てることだってできたのに。  おまえにはたくさん、やるべきことがあるのに。  来てくれた。 「おまえのおかげで未遂だよ。舐めただけで、なんもされてない」 「……何を言ってるんです」  レスニカの大きな手がグッと俺の首の裏を掴む。  何をするのかと身構えた俺を労るように、次にはひどく優しい力で引き寄せられた。  抱き締められるのかと驚くと、そのままレスニカは俺の膝の裏にもう片方の手を回して俺を抱き上げる。  え、ナニコレ。  ――もしかして、姫抱っこってやつ? 「……っ」 「何もされてない訳ないでしょう。あなたは拉致された。脅迫されてひどい扱いを受けた」  びっくりしている俺の反応に気付いてもいなさそうなレスニカは、大股歩きでバンを出て苛立ちを露わにそう言った。  明るい空に目を眇める。  茶色い山岳が遠くに見えて、それからすぐに周辺に転がる人間たちの姿に気付いた。  俺を拉致した盗賊たちだ。  彼等のほとんどが空を見上げて目を見開いて固まっていた。 「――元々男娼だし、慣れてるし平気だ。むしろそのおかげで助かった部分もあるし」 「男娼なら、そんな扱いを受けてもいいと? 尊重されなくともいいと?」 「……レスニカ」  見慣れた車の前でレスニカは俺を降ろした。盗賊に奪われたレスニカのものだ。  機嫌が悪いのかレスニカは素早い動きでトランクを開けに行き、荷物を探っている。  そういえばあいつら、素材やら金やら全部運び出していた。盗まれたものを確認してるのかな。  俺が弱いせいでコイツには迷惑ばかりかけてる。 「……ごめん、俺が役立たずで。無垢(プレン)で。せめて魔法使えたらまだマシなのにな。――俺、最初から迷惑ばっかかけてる──ごめん、マジで」  そう言うと、レスニカはトランクから新たなTシャツを纏いながら、足早に俺の目の前に戻ってきた。 「貴方が男娼だろうと無垢だろうと、ましてや最強の保持者(フィディン)だろうと、それが他人に弄ばれていい理由にはならない。殴られて犯されて、傷つけられてもいい理由にはならない」  レスニカが俺の前にしゃがみこむ。  のろのろと目をやると、手にしているのはどうやら俺の衣服で、今は下着とズボンを穿かせようとしているらしい。  そこで初めて自分が裸足なのにも気付いた。  目を瞬く。  さっきから俺、なんかおかしくない?  それでも促すレスニカの肩にゆっくりと手を置いて、差し出された下着とズボンに足を入れる。  嫌悪する素振りも見せず、彼は淡々と、でも優しい手つきで穿かせてくれた。 「いいですか、貴方は何も悪くない。悪いのはここの者たちで、貴方ではない」  ──きみは何も悪くない。  その言葉に強い既視感を覚え、思わず立ち上がったレスニカを見つめた。  ずっと昔だれかに、同じ言葉を言われた気がする。  そうだ、あれは。  暗闇に沈む薄汚れたアパート。  痛くて苦しい時間がようやく終わった頃に、その人はただ静かに部屋に入ってきた。  また、母親の新しい男が来たのだとぼんやり眺めていると、彼はただ、汚れた俺を抱え上げ、風呂に入れ、服を着せてくれた。  ──親はどこに?  ──お母さんは帰ってこない。俺が悪い子だから。  母の居所を探る男に、すぐに借金の取り立てなんだと、そう思った。  だけど男はそれきり押し黙り、濡れた俺の髪を拭いていた。  この男も結局優しくした後に変わるのだろうか。  きっとそうだ。さっきは前の奴の精液だらけで汚くて嫌だったんだろう。  いやだな。疲れたな。  今日はもう眠りたい。  そんなことを思いながら、ただされるがままでいるとしばらくして男は座り込む俺を置いて部屋を見渡し、口を開いた。  ──母親が帰ってこないのは、きみのせいじゃない。  びっくりした。  びっくりしすぎて、意味が分からなくて馬鹿みたいな顔をしていた記憶がある。  ──きみは何も悪くない。  再度男はそう言った。  それからの記憶はない。そのあと男がどうやって帰ったのかも、俺がどうしたのかも。  それでもその言葉はしばらく俺の耳を離れなくて――。  そうだ、確かあの時。  俺の中での何かが変わった瞬間だった。  俺がいい子じゃないから、お母さんは俺と会いたくないんだ。  俺がいらない子だから、悪い子だから、お母さんは俺を助けない。  お母さん、はやく帰ってきて。いい子にするから。いい子でいるから。  ──きみは何も悪くない。  俺は何も悪くない。  俺は、悪くない。  悪く、ない。  そのはずなのに。 「……ならどうして、こんな人生なんだ?」 「……ミキ」 「ずっとずっと、ゴミみたいな人生だった。虐待されて強姦されて、罵られて殴られて、やっと大人になったと思ったら、こんな所にまで来て――っ」  我慢していた何かが溢れ出すように、叫んだ。 「そうだよ、全部俺が馬鹿だから悪いんだ! 一度だってまともになろうとしなかったから、どこに行ってもこんな扱いを受けてる! 全部全部、馬鹿でクズでクソな自分のせい――」  とめどなく押し寄せるどす黒い感情が止まらない。  どうしてこんなことで声を張り上げているのか分からない。  腹が立っているのか分からない。  俺はずっとこんなことになった理由を知りたかったし、こんなものになり果てた自分自身に腹が立っていた。  要らない子で、役立たずで馬鹿で愚鈍な俺。  誰からも見向きもされず、大切にもされない、価値のない俺。  だから、嫌なんだ。  気付いてしまうともう歩けなくなるから。  動けなくなるから。  毎日適当に過ごして酒を飲んで、酔って笑ってセックスして死んだように眠る。  そうして知らないふりをして生きていかなければならないのに。  どうせ何も変わらないから、考えないようにしていたのに。  俺は俺が大嫌いでずっと殺したかった。  生まれたくなんてなかったのに、生きたいって無駄に抗っていた。 「こんなクソみたいな人生、もう終わりにした――っ」  腕を引かれた。 「――貴方は何も悪くない」  反動でレスニカの胸に飛び込んだ俺の後頭部を大きな掌が覆う。  静寂が降りる。  驚いて固まった俺の背に、レスニカの力強い腕が回る。 「何も悪くないんです」  呟くような、優しい声だった。  恐る恐る顔を上げると、レスニカはまるで自分を傷つけられたようなどこか悲痛な表情を浮かべていた。  壊れ物のようにひどく優しい力で抱き締められ、その瞳を見てしまう。  見てしまった。  ああ、もう駄目だ。  ――お母さん。  ――俺を置いていかないで。そばにいて。愛してよ。  ――生きるのが怖いんだ。守ってよ。  守ってよ。  崩壊したように涙が溢れた。  こんなこと馬鹿げてると心底思うのに、レスニカの体温に融かされ、まるで何かが決壊したかのように目から水分が流れ落ちていく。  震える手で、レスニカの背に縋った。  抱き寄せられる力に甘えて、感情のまま、彼の肩に顔をうずめて泣いた。  泣いて泣いて、みっともなく嗚咽をもらしながら、今になって初めて、自分のことを理解できた気がした。  俺はずっと俺が嫌いだった。  憎んでいて、恨んでいて、必要とされない自分に失望していた。  狭い部屋に置き去りにされたまま、誰からも愛されなかった過去を受け入れたくなかった。 「貴方は、何も悪くない。だから、怒っていいんです」  ……怒っていい? 「怒っていい。憎んでいい。恨んでもいいんです」  母を、父を、俺を痛めつけてきたあの頃のナイフたちを。  許すべきだと目を逸らしてきた過去を。 「ほんとうは……ゆるしたくなんて、ない……っ」 「――はい」  諦めたくなんてなかった。  俺は、ずっと、諦めたくなんてなかったんだよ。  ――お母さん、俺はどうやって生きていけばいいの?  地獄みたいなアパートから飛び出したはずのに、どこへ行ってもうまく馴染めない。  行きたかった学校、夢見た社会。  憧れのテレビドラマとはあまりにも違いすぎた現実。  臭いって誰かが嗤うんだ。  いつも同じ服を着てるってあいつらは馬鹿にする。  ルールも分からず、字も読めない俺を誰も相手にしなかった。  教師は俺を腫れ物みたいに扱って、友達なんて架空の生物だと悟った。  ここは俺の居場所じゃないってすぐに分かったよ。  閉じこもっていたら事態は益々悪化して、気が付いたらセックスだけが得意の、イカれた子供になった。  服を買うために、ご飯を買うために、ネットをするために、セックスした。  痛みなんて感じなくなって、快感すら拾えるようになって、そうすると自分が強くなった気がしたんだ。  なのにずっと、何かが違って、息苦しさがつきまとう。  どうしてかな。  可哀想な子供だから? 愛されなかったから?  馬鹿だから?   ぬかるみに嵌まったように、足元はいつも不安定で、そのくせ身体はペラペラで一撃でも食らったらふっ飛んでいくと分かっているのに、止まることを知らない足は沼を突き進んでいく。  空気は常に薄くて、まるで打ち上げられた魚のようにうまく息ができない。  どうしてだろう。  どうしてうまく生きられないんだろうって、俺はあの頃からずっと疑問に思っていたんだ。  お母さん。  俺はどこかおかしい。  お母さん。  どうすればいい。  ――生き方を知りたいんだ。 「……生き方を――おしえて……っ」  嗚咽にまみれた声は、レスニカが強く抱き締めてきた力によってほとんどかき消えた。  だけどこの男にはしっかり聞こえたのだろう。  そのまま息が止まるほど力強く抱き締められる。  それはまるで自分が大切にされ、愛されている存在になったみたいに。  ――わかってる。  そんなはずはない。  そんなはずがないから、余計に悲しくて虚しくて、更に恥も外聞もなく涙が溢れ出る。  それなのにどうしても今は、レスニカから離れたくなかった。  逞しい腕に縋り付くだけで、俺のどろどろした何かが流れ落ちていくような感覚さえした。  レスニカはそんな俺を放そうとはせず、ただひたすらに、抱き締めてくれていた。

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