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17.未来と君をつなぎとめて
◇
あの日から一週間が経った。
明日、ナギが日本に帰る。
先日、皇帝の崩御と〝全〟の消滅が世間に知らされた。〝全〟の討伐に皇帝が関わったという報道はないのに、国民は彼の死を結びつけ、英雄として称えていると言う。
真実を知っているのは俺たちを含む一部の者たちだけだが、そういった虚偽情報も利用して国の再建に奔走しているようだ。
とにかく、この隙に他国に侵略されないためには、嘘も真実も敵も味方もへったくれもない。皇帝側の王族の何人かは既に亡命しているし、反乱軍として活躍した王族は、時期を見て次の皇帝になる手筈を整えているとか。
事態の収束にしばらくはてんやわんやだった反乱軍を含むナギたち一行だったが、ようやく時間を作れたようで、多くの人が集まっている。
今日は日本で言う慰労会とか、送別会ってやつだ。
ナギは、沢山の人に愛されている。
ゲームでは登場していない人たちもいっぱいいるし、俺とは面識がない人ばかりだ。こんなに多くの人が帝国や聖属性のことを考えて関わっていたことに、今更ながら驚く。
俺はずっとこの世界でナギの一行ではなかった。捨て置かれたモブだった。なぜ|保持者《フィディン》じゃないのかとか、なぜ主人公になれなかったのかとか、そんなことを考えては自暴自棄になっていた過去もあった。
でも、もうそのことを恨んではいない。むしろ良かったのだと心底思う。
アウラでも広くてオシャレなレストランでテラス席も貸し切り、大勢で豪華な食事と酒を堪能した。終始和気藹々とした空気で、緊張から解き放たれたようにみんな晴れ晴れとした表情をしていた。
部外者の俺は、ずっと席に座って酒を飲んでつまんでいるだけだったけど、寂しくはなかった。
だって、ナギも無事でレスニカも生きているんだ。
これ以上に嬉しいことってある?
上機嫌でみんなの交流を眺めながらテラス席に座っていると、少し顔を赤くしたナギが寄ってきて、隣に腰掛けた。
火照った頬に穏やかな風があたる。
短い沈黙を破ったのはナギだ。
「……父親が、一人で弟の面倒見てるんだよね」
「マジ」
「そうそう。で、弟は……ちょっと、変わってる子でさ」
「うん」
「急な予定変更とかあるとパニックになって動けなくなったり、思い通りにいかないと癇癪おこしたり」
「へえ~」
「でも、可愛いんだよ。素直で、どんな人でも信じてるの。普段はニコニコ笑っててさ……私が機嫌悪くても一切空気読まなくて」
「……心配だよな。父ちゃんも」
「そう。弟の面倒見るために時短で働いててさ。……元気かな」
この世界に来てから三年は経っている。
俺みたいなろくでなしとは違い、ナギにはちゃんとした家族がいる。
どれほど帰る日を夢見ただろう。
「……ミキちゃんは、帰りたくない?」
遠慮がちに問われて、思わず笑う。
「ここに来たばかりの頃も、ちょっと前までも、帰れる日を夢見てたし、ずっと帰るつもりだったよ」
「ならどうして……」
少し前に、俺はナギに帰らないことを伝えた。
驚いたようだけど、すぐに頷いていたから理解してくれたと思ってたけど、どうやら違ったらしい。
一緒に帰ろう、と手を取り合ったあの日。
俺はたぶん、縋りつくような目でナギを見ていた。
無力で、他力本願で、そのことを一切恥じてなくて、そしてそれだけが生き残れる道だと信じていたから。
優しいナギは、俺を巻き込んでしまったとそう思っている。
だからこそ、最後まで面倒をみられないことが気がかりなのかもしれない。
「レスニカがさ」
「うん?」
「レスニカが……言ったんだ。怒ってもいいって、恨んでもいいって、許さなくても……」
散らかったアパート。
薄汚れた壁にせんべい布団。
空腹に喘ぎ孤独に怯えるなか、忘れた頃に置かれる、カップラーメンと菓子パン。
愛だと思った。母親が俺を忘れていない証拠で、俺を気にかけていると思った。
それが愛情だと、ただ不器用な人なんだと許していた。
けれど今はもう、違うと分かる。
愛だと信じたかったのは俺だけで、母親に愛などなかった。
きっと最初から、愛などなかった。
俺を救ったあの太い腕も、愛を囁いてくれたあの頃の大人たちも。
だからもう、捨てるのだ。
彼女を許さないから、あの場所を許さないから、手放すのだ。
「ミキちゃん……」
「正直、ここ最近は人生で一番楽しい毎日だったんだ。モンスター狩りを手伝って、素材収集して、綺麗な景色見て、美味しいもの食べて眠る。帰ることなんて一度も考えなかった。俺にもこんな生活ができるんだって、嬉しかった。――日本でも、やろうと思えば似たような生活ができるかもしんない。でも、あそこは――あそこは俺の居場所じゃなかった。うまく言えないけど、ずっと、そう感じてた。だから――」
「……うん、なんか、分かる気がする」
笑って言うと、意をくんでかナギも笑ってくれた。
そして、ここに残りたい理由は、もう一つある。
「……それに、レスニカがさ、色々教えてくれるって言うし」
「ねぇそれさ~、あのさ、いつからなの⁉ ほんとにびっくりしたんですけど!」
急にナギが甲高い声を上げて興奮し始めた。
グイッと肘鉄もされたけど、今は肋骨の痛みも流しておこう。
「言っておくけど、レスニカは私の推しだったんだよ~! でも実際会ったらなんか違うってなったけど」
後半で声を落とすナギに、思わず噴き出す。
「なんで?」
「だってめっちゃ真面目じゃない? 真面目すぎるというか――なんか暗い? 暗いし……いや仕方ないのかもしれないけどさ」
「暗い……ぶっ」
まああいつの過去は悲惨だ。運命も悲惨だった。
そのせいなのか、性格は決して誰かを笑わせるようなタイプじゃないし、未来を覚悟していたのか、余計な交流はあまりしていなかったみたいだから真面目すぎると言われるのも分かる。
俺には最初から悪態ついて怒ってたけど、今考えるとあの怒りでさえ、心配からきてたのかもな。
でもあいつ、可愛いところあるんだよ。
俺がモンスターにキャーキャー言ってると呆れながらもサッと倒してくれるし、機嫌悪いと嫌味も言うし、くだらない冗談に笑ってくれたりしてさ。
そんなときだけ、ちょっと子供みたいな顔するんだよな。
実際二十歳かそこらの年齢なはずで、日本にいたら大学生くらいだ。
なんだよ、まだまだ子供じゃん。三個しか違わない俺が言うことじゃないけど。
「なになにニヤニヤしちゃってさぁ。いいなぁ、ビジュ最高峰の男、私も捕まえてみたい~」
「ビジュ……はたしかにヤバいけど、正直俺のタイプじゃなかったんだよね」
「は? やめてくれる?」
瞬時にイラッとした顔をするナギ。
二人して声を出して笑った。
「そうそう、アヴァロナが言ってたんだけどさ。アフソナ族って独自の魔法を使うでしょ」
「うん」
「で、そもそもうちらを呼び出した魔法陣ってアフソナ族のらしいの。あの転移魔法陣ね。で、今回私も帰るために転移魔法陣を使うじゃん。これって実は公にされていないものらしいけど、呼び出すだけじゃなくてこっちからも飛べる、ってなると今までにも飛んだ人がいてもおかしくないわけで」
「……うん?」
「私、前に故郷ではこの世界はゲームだったってアヴァロナに言ったことあるの。見た目も名前も同じキャラクターが実際にいるこの世界に飛ばされて、どんなに頑張ってもゲームの中と同じようなストーリーを辿っているって。そしたら彼女がさ」
アヴァロナとはナギ――つまり主人公と共に旅をした仲間で、アフソナ族の女性エルフだ。出逢った頃には既に里を出ていたので、アフソナ族のなかでは異端となる。
「恐らく、私の世界にアフソナ族がいるんだろうって。ほら、あの人たちって見た目変えられるでしょ? しかも時空も超えられるわけだから、時間が前後してもおかしくないって。だから、つまり……」
「つまり、このゲームはナギたちがそもそもモデルだったってこと?」
「そういうこと」
あくまでも可能性だけどね。
なんてナギが続ける。
なるほど、今のこの状況を知っている誰かが、何年後かは分からないけど過去の日本に転移して、ナギたちの軌跡をゲームに落とし込んだ。
俺たちにとっては過去のゲームだったのに、そうなると実際は始まりがナギだったわけで――え、訳わかんなくなってきたぞ。
「そうだ、言おうと思ってたことがあるんだった!」
違和感を覚えて首を傾げていると、いきなりナギが大声を上げたのでびっくりする。
「――ミキ」
そこへ、レスニカが現れた。
顔を上げると、綺麗な琥珀色の瞳と目が合った。酒を飲まされていたはずなのに、顔色一つ変わっていない。
その眼差しはどこまでもやさしく穏やかで、口元に至っては緩めてすらいる。
背負っていた靄も消え、ただのレスニカになった彼は、憑きものがとれたように晴れ晴れとした表情で、眩しいくらいに格好良かった。
いやマジでビジュ爆発してるな今日。
「外、行きませんか」
「え、でも」
「あー、どうぞどうぞ、遠慮せず~! みんなには先に帰ったって言っておくから!」
ヒラヒラとナギが手の甲を俺に向ける。追い払う仕草だ。
でもその目は嬉しそうに細められていて、だから俺も遠慮無く立ち上がった。
実際、俺とレスニカはこの一週間まともに会話をしていない。仲間やその他の対応に追われて忙しくしているレスニカに接触するのも憚られて、俺はというと、ようやくナギと合流できたのもあって、二人でショッピング行ったり飲んだりしてこの世界を満喫していた。
その時間に、沢山考えた。
考えて考えて、それで、決めたんだ。
「行きましょう」
スッと手を差し出され、え、ってなる俺。
「手、繋ぐの? なんで?」
「? なんでってなんでですか?」
「いや、恥ずかしいっていうか……いや、そうじゃなくて」
「誰も見てませんよ」
もじもじしてたら強引に手を取られ引っ張られた。
誰も見てないって、そりゃそうだろって振り返ったらニヤニヤ顔のナギと目が合った。親指を立てられて、慌てて視線を戻す。
なんだよそのジェスチャー。どういう意味だ!
思わずグッと握った手に力が入ったんだろう。レスニカが握り返してきて、顔の辺りが熱くなった。
逃げるようにレストランを出て、馴染みの車に乗り込む。
こんな時の自動運転は神だ。
レスニカは、既に行き先を決めているみたいで、車は滑らかに動き出した。
「ナギに教えてもらった場所なんです。もしかしたら知っているかもですけど」
「うーん、この辺で俺の知ってる場所ならほとんど行ったはずだから大丈夫じゃん?」
眠らない繁華街を抜けて、住宅地をくぐって畦道を通り、山道へと入る。
うねる道の上を浮かび、夜の空に近付くと、闇の中で三つの星が今日も綺麗に並んでいた。
一つは丸く、一つは楕円に、最後は爪先の形で輝いている。
それを眺めて数分後に、突然視界が拓けた。さっきまであった沢山の木や草木が一切見当たらない。
ほどなくして止まった車から降りて、その光景に息を呑む。
辺り一面、色とりどりの花が広がっていた。白にオレンジ、ピンクに紫、水色に黄色。様々な色の小さな花が風が吹く度に揺れて、花びらが宙に舞っていた。
その先は崖なのか暗闇に包まれていて、まるで小さな楽園のようだ。
「すご、これって花吹雪? わぁ、初めて見た……」
現実世界であるような花じゃないせいか、小花は淡く発光しているようも見える。くわえて星明かりもあって、闇夜なのに視界はほんのりと明るい。
感嘆とその光景を目に焼き付けていると、不意に手を握られた。
レスニカが、隣に立っている。
そのまま誘導され、中心へと足を進めると、花びらが俺たちを囲むように舞い上がった。辿るように上を見れば、たくさんの星が見える。
空一面に隙間なく光が埋まっていて、その壮大で無限を感じる景色に、ただただ圧倒された。
ここにいたいな。
心底そう思って繋いだ手に力を込めると、レスニカが俺に向き直る。
「本当に、いいんですか?」
ここに残って。
少し不安そうな琥珀色の瞳に、笑って頷く。
故郷にも、たくさん綺麗な場所はあった。
喧噪に包まれたビルの上から眺めた景色、空っぽの身体で逃げ込んだ夏の海に浮かんだ満月。
でも、俺はそれを見てこなかった。見ていたけど、きっと目も心もくすんでいで流していた。
今、あの景色が綺麗だったと思い出せるのは、レスニカがいるからだ。
「いいに決まってる」
言うと、レスニカが頬を緩めた。
そうして確認するように俺の目を見つめて、そのまま覗き込むように腰をかがめられる。
ゆっくりと近付いてくるレスニカの顔。鼻先に彼の前髪が掠める。
その、柔らかい感触をただ唇で受け止めた。
鼓動が早くて音がレスニカまで届きそうだ。勝手に目頭が熱くなるのも止められない。
触れあうだけの、優しいキスを何度かした。
名残惜しい気持ちでゆっくりと離れて目を開ければ、レスニカが俺を慈しむような瞳で見下ろしている。
彼の唇の感触を初めて知っただけなのに、どうしてこんなにも幸せな気分になるのだろう。
俺をここに連れてきてくれたレスニカの気持ちが嬉しい。手を繋いでくれるレスニカの気持ちが嬉しい。
俺にキスをした、レスニカの想いが――。
「……教えてくれる? この世界のこと、おまえのこと――」
言うと、嬉しそうに、そしてどこか照れくさそうな表情で彼が頷く。
「はい。――だからどうか……まだ、傍にいて」
どこにもいかないで。
そう囁いたレスニカの声音は、なんだか少し震えていた。
ひとりきりにされたあの日の子供。
俺とレスニカは、どこか似ていたのかな。
たまらなくなって、今度は俺の方からレスニカの首に両腕を回し引き寄せた。
ぶつかるように唇を当てて、食んで、僅かに開いた唇から互いの舌が触れあった。
深くなるくちづけ。
後頭部を支えられて、身長差から足が浮く。
吐息さえも飲み込まれ、レスニカの舌が俺の舌を絡め取る。
こんなキス、初めてなのに、もっと深くしてほしくて、恥ずかしくて嬉しくて、背筋が痺れる。
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