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第5話

 多嶋はあれ以来、以前のように毎日朝、昼とエスプレッソを飲みに来るようになった。  樹の休みは水曜と土曜日で出勤の時はほとんど8時から22時までの営業時間を通しで働いている。最低1年間はそうしようと決めていたのだ。多嶋の休みは週末なようで日曜に見かけたことはなかった。いつしか樹は多嶋が来るのを楽しみにしていた。多嶋は寡黙でほとんど新聞を読んでいることが多いが、話しかけると話が弾むときもあった。そんな時、樹は嬉しくなるのだ。  オフィスのファイルにしまっておいた多嶋の名刺をもう一度改めて見る。  名刺には、営業部長多嶋(たじま)功基(こうき)とあった。  功基かぁ。(かしこ)そうな名前だな。多嶋さんにぴったりだ。と、考えながら名刺の名前を指でたどり、はたと我に返った。  何やってんだ……俺。  自分のおかしな行動に怖気づいてしまう。  一体俺どうしたんだ?  首を振って名刺ファイルを元の位置に戻した。  夜7時を過ぎたころ、サブの七倉(ななくら)が事務仕事をしている樹の元へやってきた。 「店長、後は僕に任せて帰ってください。店長が毎日通しするのは僕としてもやり辛いんで」  樹が店長で配属される前から青山店で働いている七倉は困った顔をして樹を見ている。いつ言おうか随分と迷ったのだろうということは容易に想像できた。自分が七倉の立場なら、信頼されていないと感じるに違いない。  俺、また身近にいる人に嫌な思いをさせてたんだなぁ……。  と、何となく落ち込む。  人を頼ったり、または育てたりと言ったことが最も樹の苦手とすることで、常に一人で立ち回ろうとしてしまう。その悪い癖を改めて認識した。 「悪かった。七倉。お前のこと信頼してるし、頼りにしてるんだ。自己満足の為に通ししてただけなんだけどさ。そうだな、もうすぐ1年になるし、ここらへんでシフトに合わせることにするよ」  七倉の肩をポンとたたき、「じゃ、これだけやったら帰るから、後よろしくな」と言うと、彼は頷きオフィスから出ていった。  樹は手際よく、やりかけていた仕事を片付け始めた。  店を出ると7時半を過ぎたところだった。  コンビニでも寄って弁当でも買って帰ろうかなぁと、歩き出した時、目の前を歩く多嶋らしき背中に目が留まった。姿勢正しく優雅な歩き方、体にフィットしたスーツ姿は多嶋に違いない。樹は駆け足で近づいて行った。  横に並び顔を覗き込む。  あ、やっぱり。と、思ったとき多嶋が樹の方に視線を向けた。目と目が合う。何となく恥ずかしいような気持ちを押し隠し笑顔を作った。 「お疲れ様です。お帰りですか?」 「ああ。今日は割と早く終わったんだ。僕がいつまでも残っていると部下が帰り辛いからね。たまには気を使って早く帰れる日は切り上げるようにしてるんだ」 「僕も、定時で帰ってほしいってサブに言われて。やりにくかったんだなって反省してたところです」  多嶋は樹に微笑みながらうなずいた。 「よかったら晩飯食べて帰らないか?もし、予定がなければ」  思いがけない多嶋の誘いに樹は驚愕しながらも心が躍るのを感じた。 「ほんとですか?うれしいです。行きましょう」  即答した樹の声は弾んでいた。 「じゃあ僕の行きつけの店でいいかな。ここからすぐだ」 「はい。お任せします。あ、でも僕、制服ですけど……いいですか?」  自分がカフェの制服姿のままだったことに気づき、樹は慌てた。多嶋からのせっかくの誘いをそれで逃したくはない。それが本音だった。 「ああ、その服装なら特にカフェの制服だとわからないよ。大丈夫」  軽くそう言われ樹は安堵した。  多嶋と横に並んで歩いていると、憧れの人に一歩近づけたような気持になり、樹は嬉しくなっていた。

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