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第6話

 多嶋が樹を連れて行った店は、落ち着いた雰囲気の日本料理店だった。 「ここはね。刺身が新鮮で美味しいんだよ。日本酒もいける口なら、お薦めがあるよ」  多嶋は食のことには饒舌でいろんなことを教えてくれた。話が弾み、樹は薦められるまま、日本酒を飲み、料理の美味しさに舌を巻いた。 「多嶋さんは、独身ですか?あ、すいません。不躾な質問をしてしまって」  多嶋は言葉に詰まった様子ではあったが、どこか淋しそうな表情をしたまま樹に視線を向けた。 「いや、そんな気を遣わなくていいよ。僕は独身だよ。5年間一緒に暮らした恋人を亡くしたところだ」 「亡くした? 亡くなられたんですか?」 「ああ……自殺したんだ。何も気づいてやれなかった。何に追い詰められ、苦しんでいたのか、何も気づいてやれなかった」  小さくそう呟いた言葉に樹はどうやって慰めればいいか分からずただ悲しい気持ちになった。  ああ、だからなのか……、多嶋が店に来なくなったのは。そんな悲しいことがあったからなのか……。と樹は悟った。 「多嶋さん、よかったら食事の後、僕んちでエスプレッソでもどうですか? 鳴海社長のフランス土産のコニャックがあるんですよ。エスプレッソと一緒に飲むといけるんですよ」  樹は少しでも多嶋の気持ちが軽くなればと思いそう提案した。  多嶋は一瞬困惑したような表情をしたが、すぐにそれは消えた。 「迷惑じゃなければ、そうさせてもらおうかな。仲森君の家はここから近いのかい?」 「ええ、徒歩10分ほどです」と答えると、多嶋は納得顔で頷いた。 「なるほど、鳴海のところのマンションに住んでるんだね」 「あ、ご存知でしたか。社宅代わりということで家賃をかなり負けてもらってるんです。でないと青山のマンションに一人暮らしなんて、夢のまた夢ですよ。通勤も徒歩だし。だから尚更、仕事場に入り浸っちゃうんですよ」  多嶋は樹の言葉に初めて声を出して笑った。  多嶋がプライベートなことを隠さず樹に話してくれたことで、彼との距離が一気に縮まり、樹に対して親近感を持ってくれたような気がして嬉しくなった。  多嶋は店を出た後、樹の申し出に遠慮している様子が伺えたが、樹の押しに負けた。  食事代を折半にと樹の申し出を多嶋は自分が誘ったのだから奢ると主張した。あまりみっともなく言い合うのも気が引けたので、ならエスプレッソとコニャックを飲んで帰ってくださいと頼んだのだ。  自分がこれほど押しが強くなるとは思ってもみなかった。正直、好きな女性相手でも自分から口説くこともなく、流されるまま付き合いが始まり、樹の優柔不断な煮え切らない態度に嫌気がさした彼女の方から、離れていって終わるのが常だった。  店を出てから徒歩でマンションまで向かう間、多嶋は無口だった。樹は興奮した子供のようにしゃべり続けていた。  樹はそもそもおしゃべりではない。仕事と家の往復、誰かと飲みに行ったり、休日を一緒に過ごしたりすることもない生活だった。  だからなのだろうか? 普段なんの刺激もない生活に馴染みすぎて、不意に誰かと接点を持つと、それが刺激的に感じて、嬉しくて浮かれてしまうのだろうか?  多嶋と一緒に食事をしただけでこれほどまでに、心が浮足立ってしまう自分の気持ちの変化を樹はそんな風に考えていた。

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