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第7話

「あ、着きました。ここの5階です」  マンションの外観が見えてくると、ついつい急ぎ足になってしまう。  エントランスに入ると、エレベーターは丁度1階に停まっていた。  ボタンを押して彼が先に入るのを待つ。多嶋は先に中に入ると、5階のボタンを押し、樹が入ってくると、そこから指を静かに離した。  エレベーターの扉が静かに閉まった。その時、樹の心臓がトクンと大きく跳ねた。密室の中で今まで感じなかった多嶋の香りが鼻腔を掠めたのだ。ふたりだけの空間の中に感じる相手の体温。今まで意識していないことばかりが気になり出してしまう。  そんな自分に動揺しているうちに、エレベーターは停まり、扉が開いた。  エレベーターを出て自分の部屋の扉までの数秒ほどの間に何とか心のざわめきを消し去ろうと樹は躍起になっていた。それなのに、後ろに感じる多嶋の気配に心臓の鼓動は早くなるばかりだ。  いつもと何ら変わらない鍵を開けると言う行動さえ、ぎくしゃくしてしまう。 「多嶋さん、ジャケットお預かりしますよ。くつろいでください」  部屋に入ると樹は多嶋にそう声をかけたが、声は心持ち震えてしまっていた。多嶋はスーツのジャケットを脱ぎ、それを樹に差し出した。その時、グリーンノートとムスクが混ざり合ったようなほのかな香りが漂った。さっきエレベーターの中で感じ取った匂いだ。多嶋の体臭と混ざり合って何とも言えないエロティックな香りだと樹は思った。  シャツとスラックス姿の多嶋はジャケットを着ているときよりも逞しい筋肉の隆起がはっきりと表れ、素晴らしい体格をしているのが見て取れた。175センチの身長の樹より10センチは高く、その均整の取れた身体に見惚れてしまう。  直火式のエスプレッソマシーン、マキネッタに挽いたコーヒーを入れ、火にかけながらも樹はついつい多嶋を盗み見てしまう。それを自覚しているのに止められず、全くたちが悪いと自分自身にげんなりした。  気を取り直し、何か話しかけようと話題を探すも、自分の得意分野と言えばコーヒーの話くらいしかない。樹はエスプレッソに合うコーヒー豆の話などをして間を持たせることにした。 「日本じゃお洒落な電動のエスプレッソマシーンが主流ですけど、今日使うブラジル産の豆は鳴海社長のお土産でもらったやつで、是非、直火式のマキネッタで抽出したエスプレッソを飲んでみてください。コクが全然違いますから」  コーヒーの話をしていると次第に心が落ち着いてくる。トレイにデミタスカップを用意し、コニャックのグラスを準備したところで、それを運んだ。 「仲森君は本当に今の仕事が好きなんだな」  デミタスカップとコニャックが入ったグラスを置いたとき、多嶋は感心したように言った。 「研修で南米の産地を廻って実際に作業を目にしたあの経験が僕を変えたんだと思います。鳴海社長も真剣で、貧しい畑の労働者にトイレの設置工事を受け持ってあげたり、いろんな奉仕活動をしているのを見ると、僕も真剣に取り組まなければって思ったんです」  多嶋はだまって聞いてくれている。それが樹には嬉しかった。  ふと何かを思い出したかのように多嶋は部屋を見回し、樹に向かって「君は彼女はいないのか?」と聞いてきた。  突然そんなことを聞かれ、口ごもってしまう。 「え?あ、いや。いませんよ。彼女いない歴更新し続けてます。殺風景な部屋だと思ったんじゃないですか?」と、聞くと多嶋は困ったように笑った。 「僕はひとりが長いんで、ひとりの方が気楽だなんて思ってますけど、多嶋さんは……淋しいんじゃないですか?」  あ、また思ったことを口に出してしまった。そう思ったが後の祭りだ。  多嶋はグラスを手の中で器用にまわしながら、考え込んでいる。 「淋しいよ。ものすごく。悪夢もよく見る。だから眠りたくない。でも眠らなければひとりを実感して淋しくなる」と、苦笑し樹を見つめる。  眼鏡越しの多嶋の瞳は少し潤んでいて男の色香を感じる。そんな風に思う自分が恥ずかしく、視線を逸らしてしまった。その時、多嶋の指先が樹の頬を滑るように触れた。  刹那、首を引き寄せられ、唇が重なった。  えっ?な、なんで?  パニックに陥り、自分の身体なのに硬直し動けない。多嶋の唇は樹のそれを啄ばむように刺激し、舌先でなぞられたときには背中に電流が流れたような痺れが走り、身体が震えた。

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