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第20話
樹は通話の切れた携帯を胸にぎゅっと抱きしめた。雑音にかき消されながらの電話だったけ
ど、掛けてきてくれたことが嬉しくて、樹は喜びのあまり笑っていた。
幸福の余韻に浸りながらも、今するべきことを思い出し、掃除の続きを再開した。今晩の献立を考え始める。
多嶋はきっと疲れているだろうから、さっぱりしたものの方がいいのかもしれないと思い、素麺で中華風サラダを作ることにした。後は酒のあてになるようなイカのテンプラ、小魚の梅風味の和え物、刺身などを用意することにする。
そうと決まると、樹はちゃくちゃくと目的へ向かって働いた。
買い物に行ったあと、鼻歌を歌いながら料理に取り掛かる。
そんな自分に我に返り、クスリと笑みが漏れた。
こんな風に、誰かの為に食事を用意し、ウキウキしている自分は初めてだった。戸惑いを覚えるがそれよりも楽しくて仕方がない。
樹の料理のレパートリーはそれほど多くないし大したものは作れない。けれど、刺身以外は自作だ。
多嶋に喜んでもらえますように。と心の中で念じながらカウンターテーブルに料理を並べ、取り皿を置いたとき、玄関の鍵が開く音がした。
キッチン横のドアを開け、玄関に出る。
多嶋は靴を脱いでいるところだった。
「おかえり」ついそう言ってしまい、唇をかんだ。『おかえり』じゃなく『いらっしゃい』だ。多嶋はそんなことは気にしていないのか自然に「ただいま」と言った。
キッチンに入りカウンターに並べられた料理を見て驚いた表情をしている。
「まずはビールかな」
冷蔵庫を開け、多嶋に振り向いて聞いた樹に多嶋は頷いた。
「これ、樹が作ったのか?」
「うん。久しぶりに料理したから、味の保証はできないけど」
照れ隠しでそう言う。
多嶋は感心した様子で樹を見ている。それが嬉しくて、また樹のテンションが上がった。
カウンターにグラスを置きビールを注ぐ。多嶋が横に腰かけるのを待って、乾杯をした。
「うん、旨い」と、多嶋が一息つく。
「大変……だったね。突然の出張」
「ああ、問題が発生すれば部長が出て取り直す。それが俺の仕事だから仕方がない」
自分は多嶋の立場も理解せず、勝手に不安になって電話してしまった。それを樹は今更ながらひどく後悔した。
「電話して、ごめんなさい。迷惑だったよね」
多嶋は驚いた表情で樹をまじまじと見つめる。そして樹の髪に指を滑り込ませ梳くように撫でた。
「お前はほんと可愛い奴だな。留守電聞いて嬉しかったよ。迷惑なんかじゃない。俺の方こそ連絡できなくて悪かった」と、優しく微笑む。
「多嶋さんに嫌われなくてよかった」
思ったことがまたぼそっと口から洩れた。
「あ、ほら、遠慮なく食べて。おなかすいたんじゃない?」
自分の失言を撤回するように話を変えたが、わざとらしかっただろうかと、多嶋の表情を盗み見た。
多嶋は「旨い、旨い」と言いながら、食べてくれている。
樹は横でそれを見ているだけでお腹いっぱいだった。
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