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第24話

 男ばかりの3人兄弟の末っ子の樹は、一番上の兄とは9つ離れている。2番目の兄でさえ6つ離れており、樹は兄たちからも両親からも甘やかされて育った。  小さいころから何に対しても無関心で執着心さえ薄く、何かに熱中し、やり遂げたことすらないし興味も湧かなかった。樹の才能と言えるのは要領の良さだけだった。何をさせても何となく上手くできるが、ある程度のレベルまで行くとそこから先の成長がない。努力をしないからだ。  試験問題に山をかければ必ず当たった。真剣に勉強しなくとも中の上ぐらいの成績を保ち、それで樹は満足だった。一番を目指そうなんて意欲も無く、ただ毎日をだらだらと過ごす。社会人になって店長に昇格するまで、樹はそんな感じのゆるい人生を送っていた。  鳴海コーポレーションに入社したのは、そこが最初に認定をもらえたからだ。  特にやりたい職業もなく、たまたま目に留まった新卒の求人に応募しただけだった。この就職難の時期に欲を出しても簡単に就職先が見つかるわけがない。そう冷めた目で世間を見て自分の将来を決めた。  面接のとき、自分の目の前に並ぶ重役の中に、一人だけ無精ひげを生やし、ラフな格好をした粗野な男性がいた。その男性だけがここにいるのが滑稽なほど場違いな印象で、脳裏に残っていた。それが社長の鳴海だと入社時の社長挨拶で知ったのだった。  樹は渋谷のカフェに配属になり、いつものように可もなく不可もない従業員として働いた。自分に課した社会人としての決め事は、遅刻、無断欠勤はしないこと。兄たちから口酸っぱく言い聞かされたことだ。それを守り適当に働く。それで満足だった。  だから、自分が店長研修に呼ばれたときはひどく驚いたのだ。  研修の最中、樹は鳴海に聞いた。なぜ自分が選ばれたのか? と。その返答は理路整然としたものだった。 「大卒で5年以上勤務、無遅刻無欠勤。その基準でふるいにかけたら必然的に君が残った。だからだ。しかもイケメンで客受けがいい。店長研修でコーヒーについて興味を持ってくれればいいと思っているが、ま、なくても何とかなる。心配するな」  樹は想像もしていなかった鳴海のドライな返答に更に鳴海社長に好感を持った。  そしてその研修が樹を変えた。  無関心で、意欲に欠けた人生を送っていたゆるい性格に火をつけたのは南米の貧しい環境で働く農家の人たちだった。  樹はスペイン語は話せない。しかしある程度の基礎会話は覚えて行った。目は口程に物を言うと言うが、樹は身をもってそれを体験した。  熱心に説明しようとしてくれる現地の農民に心が熱くなった。自分たちがどれほどコーヒー豆の栽培に情熱を持ち、一つ一つ大事に摘み取っているかを熱心に説明するその表情に魅入られた。日焼けし深く刻み込まれた皺、もしかしたら自分それほど変わらない年齢なのかもと思った。その瞳は自身の仕事に誇りをもちキラキラしていた。  その熱意に心を打たれ、感動のあまり目頭が熱くなり、涙が溢れ出してしまいそうになるほどだった。 ゆるい人生を送っていた自分が恥ずかしく、これではいけないと初めて危機感のような焦燥を感じた。  今もその気持ちは色褪せていない。  もっと頑張らないといけないと思う。  昔の自分なら、「頑張る?何のために?」と言っていた。  そんな樹の態度を親友だった裕は怒るでもなく、呆れるでもなくかっこいいと言って笑った。  自分は努力なしでは何もできない不器用な人間だから。いつも不安で、一生懸命取り組まないと置いてきぼりを食らう。それが怖いと裕は言った。樹には裕の言っていること自体その時は全く理解できなかった。  なぜ裕はそれが怖いと思うのか?  置いてきぼりを食らったっていいじゃないか。人より優れたからってそれが何だっていうんだ――?  そんな風に思っていた。

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