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第32話
どれくらい駅から歩いたのかもはっきりとしない中、多嶋のマンションは閑静な住宅街の大型マンションだということは樹にもわかった。鳴海社長がオートロックの入り口横で暗証番号を押しているのをぼんやりと眺めていた。
何故社長が暗証番号まで知っているのだろう? と、脳裏をかすめるも、それを問い詰める余裕は樹にはなかった。兎に角早く多嶋に会いたい。ただそれだけを願っていた。
自動扉が開いたことを知らせるブザーが鳴り、鳴海と樹は自動ドアから中に入った。
「いったい何の用だ?」
鳴海社長を見た多嶋の開口一番の言葉がこれだ。樹は鳴海の背中から顔をのぞかせ、多嶋を見た。
痩せた。
多嶋を見てまずそう感じた。声も出せず、多嶋の変わり果てた姿に固唾をのんだ。
どうして?
多嶋は何も言わず樹を凝視している。その瞳は血走り、相当な疲労がうかがえた。
樹は動揺した。多嶋の様子が別人ほどに違う。自分を見る瞳によく知る熱がないのだ。喉がひりひりし、呼吸が苦しくなる。じわっと涙が溢れそうになるのを瞬きをして抑えた
「功基、なんで電話に出ないんだ。心配したんだぞ!」
鳴海の叱責にも我関せずと多嶋は樹を見つめ続けていた。多嶋は我に返ったようにふたりに中に入るように促した。
中に入るとすぐにカウンターキッチンがあり、その奥がリビングになっていた。洋風のワンルームで革張りのソファがあるリビングの右奥にベッドが見える。
壁が煉瓦で覆われ、まるでデザイナーの部屋のように斬新だ。
「座って」と初めて声をかけられた。樹は多嶋に振り向き、そして革張りのソファに腰かけた。鳴海も樹の横に腰かける。
「心配させて悪かった。どうしても一人で考えたくてな」と鳴海に向かって言う。
樹は黙って辛抱強くそれを聞いていた。
「いったいどうしたっていうんだ!功基?」
鳴海が多嶋の肩を揺さぶる。見ていて痛々しいほど、多嶋には力が入ってなかった。樹はどうしていいかわからず多嶋をかばった。
「鳴海社長、後は俺に任せてもらえませんか?多嶋さん、相当まいってます。俺、これ以上鳴海さんに責められる多嶋さんを見てられない……」
鳴海は多嶋を凝視している。多嶋は一言はっきりと口にした。
「鳴海、すまない。俺と樹の問題なんだ。ふたりにしてくれ」と。
樹はこの時悟った。これで終わりなんだと。もうこれ以上多嶋を見ることもできない。心が鉛のように重くなるのを感じた。
「お前はそれでいいのか樹?」と、鳴海は聞いた。
樹はただ頷いた。鳴海は静かに立ち上がり部屋を出て行った。
静寂がふたりを包んでいた。やるせなく重い。地獄のような静寂だ。樹は多嶋が項垂れたまま動かないのに居たたまれなくなり、ソファから立ち上がった。
立ち上がったところで、何をしていいのかわからない。目の前に多嶋のベッドがある。そしてその横のサイドテーブルの写真に目が移った。
多嶋と恋人の写真。引き寄せられるようにそれに近づいて行った。
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