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第37話
霧雨が髪を濡らし、樹の髪のうねりを強くする。黒いウールのジャケットに滴が流れ落ちた。霧雨が本格的な雨に変わり、しとしとと空が泣いているように降り始める。樹は弥生の移り気な空を見上げため息をついた。
裕の墓の前に仏花を飾り線香に火をつける。手を振って火を消しゆるく煙が立ち上る。樹は手を合わせた。
裕の一周忌。
自分の不甲斐なさや、薄情さを身に染みて感じる。冷たい霧雨に体温を奪われながら、遅すぎる後悔を悔やんだ。
――裕、ごめん。苦しめて傷つけて……本当にごめん。多嶋さんが裕のことをずっと忘れられなくても、俺はそれでいいと思ってる。俺は彼が好きで、一緒に生きていきたい。生きて欲しい。そして、俺と多嶋さん二人の胸の中で裕は生き続けて欲しい。俺に譲って。お願いだ、裕……お願いだ。お前がいる場所にあの人を連れて行かないで……。
どれだけ手を合わせ裕に訴えていただろう。かすかな足音に神経を逆なでされ樹は顔を上げた。
「樹」
そう呼ばれ声がした方に振り向く。
声さえ出なかった。ああ、やっぱり、この人はこの日にここへやってきた。思った通りだよ。裕。彼はやっぱり裕を求めてる。でもお願いだ。連れて行かないでくれ。
涙が勝手に溢れ出し頬を伝った。喉がひりひりと痛み、鼻がつんと疼く。
多嶋は樹を見つめたまま立ち止まり、息さえしていないように微動だにしない。
樹も多嶋を見つめたままただ涙を流していた。
生きていた。
多嶋は……生きていた。
今はそれだけでこんなにうれしい。
ありがとう裕。彼に会わせてくれて……ありがとう。
「樹」
また名を呼ばれた。
樹はごくりと唾を呑み込むと、できるだけ笑顔を作ろうと頑張った。
「多嶋さん……元気そうだ。よかった」
そんな言葉しか出てこなかった。
「ああ、昨日日本に戻ってきた」
「えっ? 海外に行ってたの?」
「ああ、ペルーにいた」
「ペルー? なんでまた……ペルーに?」
多嶋は微かにほほ笑んでいる。とても穏やかな笑みだ。
「樹が研修で行った先を鳴海に聞いて、樹と同じものに振れ、見て来た。自分をリセットしたかったんだ」
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