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浴室前にある洗面所でひとりになった紅は、政宗にメッセージを送る。まだ部活中で確認できないかもしれない。
どうにか外へ出られたら、政宗の家に泊めてもらえないだろうか。迷惑をかけてしまうけれど、すがる思いで連絡を入れておく。
(どこから入ってきた?窓は?)
窓が割られているかもしれないと思うと、昔の記憶がよみがえる。クロがいなくなった夜だ。
あの日、実家のリビングの大きな窓が割られ、何者かが侵入した。リビングにいたはずのクロがいなくなったけれど、何も盗られてはいなかった。
(クロはうちの飼い犬じゃなかったし、何もできなかったんだよな)
そういえば、この部屋にいたクロはどうなったんだろう。
(怖くて隠れてる?)
いつも扉を開けると玄関まで走ってきて、足元にまとわりついていたけれど、さっきは姿がなかった。
(またいなくなった?それとも、この男が…?)
居ても立っても居られず、洗面所を出て男の待つ奥の部屋へ向かう。
「こ、ここに黒い犬、いなかったか?」
ローテーブルにオムライスとスープを置き、その前に正座した男は、紅の方へ向いて首をかしげた。
「俺だよ、クロ。犬の姿だけじゃなくて、人にもなれるようになったんだよ!」
いいながら、長くふさふさとした尻尾でカーペットをリズミカルに叩いている。
部屋の大きな窓は割れていなかった。しかし犬のクロの姿はない。
「あっ、そうか! 尻尾が黒くないから、わからないんだね?」
言うと突然男は立ち上がり、紅の目の前で全身に力を入れている。
(襲われる!?)
顔の前へとっさに両手を出して身を守ろうとすると、足元でわん、と鳴く声がした。
「く、クロ……?」
代わりに男がいなくなっている。この一瞬で入れ替わるなんて、できるはずがない。
すると、今度はクロが全身を震わせ始める。次の瞬間、また黒髪で耳と尻尾をつけた男が姿を現した。
「え、どういうこと……」
「大人になれたから人の姿に変化できるようになったんだよ。でも尻尾と耳は色が薄くなっちゃうみたい」
言われてみれば、ツヤのある頭髪はクロと同じ漆黒色をしているけれど、耳と尻尾は銀色だった。
クロと同じ髪色をしているので、少しだけ信じてみようかと思ってしまう。
「……クロって、天本当は……人間、だった……?」
混乱しつつどうにか尋ねる。
目の前に立つ、クロと言い張る男に、紅は両手を握られた。
「前はできなかったけど、今度こそちゃんと大人になったから、人の姿になれたんだよ」
「………」
現実味がなさすぎて、声が出ない。もともとクロはインプリ・ペットではなかったし、かといって生きたペットの犬らしくもなかった。
黙っていると、クロだと名乗る男は心配そうに紅をのぞき込む。
「紅は人の姿がイヤなのかな……ならずっと犬のままでいるよ」
眉尻を下げて笑いながら紅の手を離し、うつむいて全身を震わせ始める。また犬の姿へ戻ろうとしている。
「待てって、そんなこと言ってない」
あまりに雰囲気が黒い犬のクロに似ているので、試しに確かめてみる。
「……じゃあ、ここに来て最初に食べたの、覚えてるか?」
「オムライスだよ! だから今日、真似して作ったんだ」
「……俺とその前にも会ったの、覚えてる?」
今回卵で拾ったクロは、過去に拾って世話をしたクロとは違う。けれど、同じ存在のような気もしていた。
同じであったらいいのにと思い、つい聞いてしまった。
「当たり前だよ、覚えてる! ケガして動けない俺を助けてくれたんだ。この家じゃなくて、お母さんもいる家! 紅は黒の学生服着てた」
「!」
「あのときは、急にいなくなっちゃってごめんね」
インプリ・ペットではないとわかりつつ、一緒に過ごしてきたクロは、本物のクロだった。
いなくなって寂しかったけれど、こうしてまた会いにきてくれた。
「ほんとにクロなんだよな……?」
「うん、わかって……くれる?」
自分より頭ひとつ分くらい高い、人の姿をしたクロの首へ腕を回し、紅はそっと体を寄せる。
信じられないけれど、卵から孵化したり急成長したりしたクロには、もう何があっても驚かない。
それよりも心を寄せた存在が、また会いに来てくれた喜びの方が勝ってしまう。
「もう急にいなくなるなよ」
「いなくならないよ。……前は、ほんとにごめんね」
大きな手のひらが、紅の腰へ添えられて抱きしめ返してくれる。ふわりと鼻腔をかすめた匂いは、犬の姿のクロと同じ、柔らかで心を癒してくれるものだった。
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