35 / 44
第35話
すると和音が徐に尋ねてきた。
「そういえば、お前の実家はどうなった?大丈夫か?」
羽振りの良かった実家の米問屋の経営が傾いてしまったことは、和音にも話している。
香煌楼を出て、それからどうなったのか気にかけてくれているのだろう。
「僕が香煌楼を出てから、経営の立て直しを図っているみたいだよ」
新天地にやって来る前に出した文の返事が、つい先日飛鳥の郷里から届いたのだ。
「そうか……お前は手伝わなくていいのか?」
「何か、力になってくれる人もいるみたいだし、僕の人生を生きて良いって言ってくれてる」
そう告げると、和音は「そうか」と穏やかに返してきた。
「それで、和音さんのご両親は?」
「うちは……まだ頼りも何もない。ただ噂では、何とかやってるようだ」
「ご実家に戻らなくて、本当に良かったの?」
飛鳥が問うと、和音は頷いて「あぁ。お前がいればそれで良い。もう大人だしな、自分の道を行きたい」と言って笑った。
「僕も、それは同じだよ」
飛鳥が答えると、二人の視線が絡んだ。
不本意ながら香煌楼に売られてしまい絶望していたが、図らずも和音と出会うことができた。
彼と恋仲になり、その関係を保つことができるのか不安もあったが、こうして幸運にも共にあの場から出ることができた。
もしも目の前にいる男が運命ならば、これから先も共に歩んでいくことができるのではないだろうか。
飛鳥はそう願わずにはいられなかった。
「そういえば僕、和音さんの本名を知らない。これからは、一緒に生きていくんだし、教えてくれる?」
飛鳥の問いに、和音は少し思案してから口を開いた。
「そうだな。俺の名前は時定だ。お前は?」
「僕の本名は、士郎」
「士郎か……良い名だな」
そう言って、和音は微笑んだ。
「和音さんも、素敵な名前だよ」
「それで?これからは、本名で呼ぶことにするか?」
「そうだなぁ……。出会った時の呼び名だし、僕はこれからも和音さんて呼んで良い?公には時定さんて呼ぶから」
それを聞いた和音は、しばし考えた後に頷く。
「分かったよ。それなら、俺もそうする」
環境は変われども、二人は決して変わらない。
互いの源氏名は、あの過酷な日々の中にあっても、互いの口から聞けば特別なものになったのだ。
辛いことも多かったが、それでも互いに寄り添うことができたのは、何よりの幸せである。
ともだちにシェアしよう!

