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第9話

 雲ひとつない突き抜けるような青空には、小さな惑星がいくつか浮かんでいた。見渡す限り続く荒涼とした赤土の大地。関所から少し離れた位置にいたその男は、王都から出てくるガドゥラの行列の中に俺の姿を認めると、慌てて他の仲間へ声をかけているようだった。 「……すまん、うちの外交官だ。少し話をしてきてもいいか? 連絡する手間が省けた」 「……ああ、あの男か。行ってこい」  ジルヴァの短い返事を聞くや否や、俺はガドゥラの背から滑り降り、駆け足で男の元へ向かった。  その男——アルフレッドも、相変わらずの妙に整った斜めパッツンの前髪を振り乱しながら、憔悴しきった顔で駆け寄ってきた。 「グレン! 無事だったか……!」  投げかけられたのは、聞き慣れた人間側の言語――英語だった。  ここ数日、城の中で耳も口もヴェルデ語漬けだった俺にとって、久しぶりに響く母国語は、どこか口腔に馴染まない奇妙な違和感を伴っていた。 「まさかあんた、ずっとここで待ってたのか?」 「ああ。君が母艦(エフフォーリア)に戻る時に、足がないと困ると思ってね。……しかし、君のその衣装は一体……」  アルフレッドの疲弊しきった顔が、見る見るうちに困惑へと染まっていく。  俺の最高にイカすピッチリ婚礼衣装を上から下まで視線で往復させたあと、アルフレッドは眉間に深い皺を刻んだ。  俺は腰から垂れ下がった華やかな腰帯を片手で振り回し、ポーズを決めながら戯けて見せる。 「セクシーだろ? 悩殺されてくれ」 「……すまない。鼻血を出したいところだが、あいにく僕の守備範囲外だな」 「そうか、そりゃ残念だ」  俺はそこまで言って、視線だけでチラと背後の一団を示すと声のトーンをひとつ落とした。 「だが……見ての通りだ。こんな衣装で俺を着飾るくらい、あの王様は俺にぞっこんなのさ」 「……嘘だろう? あのジルヴァ王が、君に……?」  まるで信じられないものでも見るかのように、アルフレッドは声を潜めながら俺の背後に視線をやった。 「ああ。だから帰ったら上層部にも伝えてくれ。俺は今、王に寵愛されてる。これから正式に番の契りも交わしに行くところだ。しばらくは帰れないが、グランヴェルデの件は、俺が引き続き交渉する、とな」  どうやら俺の芝居は及第点だったらしい。  アルフレッドは、状況の重さを噛み締めながら静かに頷き、そして肩の荷が下りたような安堵の息を吐いた。 「……分かった。上には僕から報告しておくよ。だけど、いくら君がオメガだからといって、こんなに上手く事が運ぶなんて……正直驚いたよ」 「ああ、俺もな。だけどまぁ、ひとまず心配は要らねぇ。俺のケツ穴以外はピンピンしてるとも伝えておいてくれ」 「分かった。君のアナル以外は無事だとも伝えておくよ」  軽いジョークのつもりだったが、アルフレッドは至って真面目にそう返した。  そういえば装甲車の上で、こいつはバーミンガムの出身だと話していたが。真顔でこういう冗談を返してくるのが英国紳士流のやり口なのか、俺には分からなかった。 「しかし、困ったな。王の番ともなると、君は城から出ることもままならないだろうし、迂闊に電子通信機の類も持たせられないな」  顎に手を当てて唸るアルフレッドに、俺は鼻で笑って肩をすくめた。 「アナログ的にやるか?」 「そう、だね……、それしかないかな。幸い、前王の代から我が軍とユバ国との間では定期的な外交文書のやり取りがある。……そこに君宛ての手紙を紛れ込ませるから、君も僕宛てに返事を書いてくれるかい?」 ​「了解した。……ちなみに、ユバの中に英語が読める奴はいるか?」 ​「いない、とは言い切れないね。僕たちがこの星に降り立ってから随分経つし、語学に興味を持った物好きや、人間側の文献を解読している獣人が潜んでいる可能性は捨てきれないかな」 ​「……なるほど。じゃあ、軍の標準暗号でいくか。あいつらに取られても、ただの気取り屋の詩にしか見えねぇようなやつで頼むぜ」 ​「善処しよう。僕の詩的センスが問われるな。……そうだ、これを持っていくといい。餞別だ」  アルフレッドが胸ポケットから取り出して差し出してきたのは、アルミケースに入った煙草だった。  手持ちの分がちょうど底をつきかけていたので、俺は躊躇なくそれを受け取る。 「餞別ならワンカートン欲しいところだが、これで我慢しといてやるよ」 「……あいにく、僕のポケットはそこまで四次元的じゃないんでね。今回の交渉が上手くいったら、上層部が煙草でできたベッドを君にプレゼントしてくれるかもしれない」 「あのケチな連中がか? プレゼントしてくれたとしても、たぶん中身は入ってねぇだろうな」  そんなくだらない軽口を二、三繰り返している最中——不意に、背後から重々しい足音が近づいてくる気配がした。  同時にアルフレッドが俺の背後に視線をやり、ハッと息を呑んで目を見開く。 「……っ!?」  気押されるようなその表情に嫌な予感がし、俺が咄嗟に振り返ろうとした瞬間。  視界がふっと浮き上がり、浮遊感とともに強固な腕が俺の背中と膝裏をすくい上げた。 「おわっ……!?」  お姫様抱っこ、という文字通りの惨状だった。  巨躯の影が俺をすっぽりと覆い隠し、見上げれば、そこにはいつの間に近づいたのか、ジルヴァの不敵な顔があった。 「長話が過ぎるな。そろそろ我が妃を返してもらっていいか?」  ジルヴァはアルフレッドに向かってわざと密やかな甘さを含ませた声で言い放つと、目を白黒させる彼を置き去りにして、軽々と俺を抱え上げたままガガの方へと歩き出した。 「あ、おい! 降ろせって!」  俺が胸元で暴れると、ジルヴァは周囲に聞こえない程度の低い声で、耳元に愉しげな吐息を吹きかけてきた。 「なんだ? あやつらの前では、俺は貴様に骨抜きにされた腑抜けた王を演じればいいんじゃなかったのか?」 「そ、そりゃそうだけど……別にそこまでしなくてもいいだろ」 「……なに、念のためだ。聞かせるより見せたほうが信憑性も増すというものだろう?」  ニヤリと唇の端を上げ、この状況すらどこか楽しんでいるようなその瞳に、俺は呆れるように苦笑を漏らした。  ならば俺も、と、悪戯(イタズラ)に加担する悪ガキのように、ジルヴァの太い首に手を回し、その鬣をくるくると指に絡ませながら、アルフレッドに向かってひらひらと手を振ってみせる。  ジルヴァの巨躯に遮られて、その姿は見えなかったが、遠ざかっていくアルフレッドは、きっとからくり人形のように、魂が抜けた顔をしていたに違いない。  背後の喧騒をあとにした俺たちは、ガガの背に揺られながら、緩やかに広がる乾燥した荒野を進んでいく。  その視線の先——地平線の彼方には、異様で、どこか神聖な威圧感を放つ巨大な緑の影——「グランヴェルデ」の深い森が、静かに待ち構えていた。

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