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第10話
グランヴェルデの大原生林は、見たこともないこの星固有の植物で埋め尽くされていた。枝葉の隙間から差し込む光の雨が、淡くターコイズブルーに発光する苔むした岩に優しく降りそそぎ、美しい斑模様を描いている。
軍事衝突を避けるため、この大原生林への立ち入りは原則禁止とされており、俺がここへ足を踏み入れるのはこれが初めてだった。樹々が鬱蒼と生い茂る場所ではあったが、嫌な気配はただの一度もしない。それどころか、どこか神聖な空気さえ纏っていた。
しかし、ジルヴァが言っていた通り、とてもカボチャの馬車の類で通れるような道ではなかった。ガガと他のガドゥラたちは、勝手知ったる庭とでも言わんばかりで、器用に八本足で木の根や森の起伏を突き進んでいく。
感心しながら先導するガドゥラの足元へ視線を落とした、その時だ。
踏み荒らされる地面に転がっていたただの石ころの塊——そのひとつが、ガサガサと蠢いていることに気づいた。
よく見ると、無数に転がる石ころに脚が生えている。
(……嘘だろ。これ全部、あの牢屋の壁にへばりついてた原生蟲 の“掃除屋”か……!?)
俺がその光景に思わず背筋をゾッとさせていると、背後から包み込むようにジルヴァが「どうした?」と鼻先を寄せてきた。
低く掠れた声が、耳元で吐息とともに揺れる。
「あ、いや。よく踏み潰されねぇなと思ってよ」
ガドゥラが避けているのか、それとも蟲の側が避けているのか。ガドゥラが足を踏み下ろした跡を見ても、潰された死骸らしきものは一つも転がっていない。
気持ち悪い、という本音をぐっと飲み込み、感嘆するように呟くと、ジルヴァもつられるように足元へ視線を落とした。
「ああ。ボルムの甲殻は頑丈だからな。ガドゥラに踏まれたぐらいでは潰れん」
(……マジかよ。この巨体に踏まれて無傷とか、どんな装甲してんだこのクソでかダンゴムシもどき……)
「こいつら、この星だと“掃除屋”って呼ばれてんだろ?」
「ああ。朽ちた有機物や生き物の死骸、果ては鉱物までなんでも齧り取って養分にする」
「鉱物まで? だからこんなに頑丈なのか……」
呑気に枯葉のビュッフェを嗜んでいるであろうそいつらに再び視線を落とした、その時だった。ふと、肌を撫でる空気が変わる。
「……着いたぞ」
ジルヴァの声につられて顔を上げると、鬱蒼とした樹々の隙間が視界から消え、一気に視界が大きく開けた。
そこは、まるで誂えられたかのような円形のステージだった。
その中央に歌姫のごとく姿を見せたのは、大人が十人ほどで手をつないでようやく囲めるほどの太さを誇る巨木だ。さらにその幹の根元には、太い樹根が抱え込むように幾重にも絡みついた巨大な岩 が鎮座している。
開けた広場の足元一面には、その巨木から伸びたのであろう幾筋もの根が、緻密な網目状となって張り巡らされていた。
「すげぇ……」
その圧倒的な迫力に、ガドゥラでの長い移動で絶賛悲鳴を上げている股間の痛みを一瞬忘れていると、いつの間にかガガから下りていたジルヴァの太い腕が、背後からスッと俺の腰に回された。
浮遊感とともに、まるで羽毛か何かのように軽々と地面へ抱き下ろされる。
「……っ、一人で下りれるっての!」
慌ててその胸を押し返すと、ジルヴァは「そうか?」と可笑しそうに鼻で笑った。
「誓痕 の儀……だったか? そいつはここでやるのか?」
ジルヴァは短く頷くと、俺の手を取り、巨石の前まで導いていく。他の獣兵騎士たちは、少し離れたところから俺たちを見守っていた。ふかふかのクッションのように柔らかい網目状の木の根に、足を取られそうになりながら、巨石の前に立つと、ジルヴァと向かい合せになった。
(なんかこれ……。結婚式みたいだな。いや、まぁあながち間違ってはいねぇか)
ジルヴァは俺の両手を一纏めにすると、上からすっぽりと包み込むように大きな手で握り込んできた。熱く柔らかい肉球の質感と、まるで子供扱いされているかのような体格差。そして何よりこの小っ恥ずかしいシチュエーションのせいで、俺はジルヴァの目をまともに見ることができなかった。
(……クソが、イカつい獣人相手に何毒気を抜かれてんだ俺は……!)
胸の奥が妙にかゆくなるのを必死で誤魔化し、俯いたまま無言を貫く俺の頭上から、降ってくるような重低音が落ちてくる。
「我が血をもって母に誓う。この肉体が滅び、骨が芽吹くその日まで、我らはひとつの魂とならん――」
ジルヴァの静かな、だが深く響く声が鼓膜を揺らす。
言葉の意味を噛み締める間もなく、引き寄せられた後頭部にジルヴァの大きな手が添えられた。
「――グレン、首を差し出せ」
「は? く、首……?」
ジルヴァは片手で俺の手を包み込んだまま、空いたもう片方の手で俺の右肩の生地に手をかけた。
グッと引き下ろされると、ピッチリと身体に密着していた婚礼衣装の首元が引き裂かれ、右の鎖骨から肩にかけての生の肌が、冷たい空気に晒される。
むき出しになった首筋を視線でなぞられ、俺は思わず肩を竦めた。
ジルヴァの目が、獲物を狙う獣のように深く、怪しく濡れている。
熱い吐息が耳元をかすめた。次の瞬間、鋭い犬歯が首筋に深々と突き立てられた。
「……っ、く……!」
思わず息を呑み、痛みに歯を食いしばって耐えると、すぐに首筋を生ぬるい感触が伝っていく。
血だ――そう認識する間もなく、ジルヴァはそれを大きな指先で掬い取ると、そのまま巨岩の肌へと滑らせ、塗りつけた。
「次はお前の番だ。同じようにやってくれ」
そう言うと、ジルヴァは俺の背丈に合わせるように、その場にすっと片膝をついた。
視線が同じ高さになり、無防備に晒された太い首筋が目の前に差し出される。
(……っ、王様のくせに、あっさり跪いてんじゃねぇよ……!)
腹の中でそう毒づきながら、俺は差し出されたその太い首筋に両手を回した。鼻で鬣を掻き分け、思い切り歯を立てる。
――が、ジルヴァの分厚い皮膚はまるで丈夫なゴムのようで、まったく歯が立たない。
「遠慮は要らん。もっと強く噛め」
耳元でそう促され、俺は意地になって渾身の力で噛みしめた。
ブチッ、という生々しい感触とともに皮膚が破れ、口の中に熱い血が溢れ出してくる。
「上出来だ。その血を、母なるこの岩に捧げろ」
ジルヴァは口元に血を滲ませた俺の手を包み込むと、そのまま自らの血が混ざり合った掌を、目の前の巨岩へと強く押し当てさせた。
ふたりの血が、仄かに温もりを帯びた石の表面に塗られた――その瞬間。
――ドクン…………っ!!
地鳴りのような重低音が、足元から、そして掌を通じて全身の骨へと直接響き渡った。
(……っ!? なんだ……これ……!?)
驚愕に目を見開いた瞬間、視界が真っ白に染まった。
雷に撃たれたかのような脳内への衝撃のあと、俺の意識は深い闇へと叩き落とされていった――。
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