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第15話 賢王の忘れ形見
“俺のケツ穴以外は無事”というジョークが、まさか真実になってしまった時点で、連合軍からの密書はまだ届いていなかった。
今のところ奴らは余計な手出しをせず、俺の動向をハイエナのごとく涎を垂らしながら窺っている、といったところか。
だが、いつまで経ってもグランヴェルデ譲渡の交渉に進展がなければ、奴らは次の手に出る。
“俺”の強制返還を要求し、それを盾にジルヴァへ揺さぶりをかけてくるはずだ。
そうなったら、ジルヴァから『我が妃を手放してほしくば、グランヴェルデから手を引け』と突っぱねてやればいい。
連合軍は、俺というカードを切った。そのカードは今、ジルヴァの手の中にあるということだ。
最悪、『帰還不能と判断した場合、機密保持のため自決せよ』という最後通告が届くかもしれん。
だが、その時はその時だ。
俺は最後まで、悪あがいてやる。
そんな決意を胸に抱いた朝。
俺は自室の窓辺に凭れ、一日一本と決めたシケモクを吹かしていた。
いくらジルヴァの番という立場に収まったからといって、それだけでユバ国民から完全な信頼を得られるわけじゃない。
俺が人間で、しかも連合軍の兵士だったという事実は消えない。
ジルヴァの妃に相応しいと認めてもらうには、俺自身がそれを証明するしかない。
数日後には、そのための披露宴も控えている。
日光浴よろしく太陽 の光を浴びて、しょぼくれた眼を無理やり醒ましていた、その時。
部屋の扉が、コンコンと来訪者を告げた。
気怠げな返事を合図に姿を見せたのは、ジルヴァだった。俺は吸い終わったシケモクの火種を指で外へ弾き飛ばし、残りをそのまま投げ捨てようとして――ふと踏みとどまり、くたびれた隊服のポケットへ押し込んだ。
「……またその服を着ているのか」
入ってくるなり、ジルヴァは俺の着古した隊服に視線を落として呆れたように息を吐いた。
「別にいいだろ。部屋着だ、部屋着」
「王妃の部屋着としては些か問題があると思うがな」
どこか納得がいかない顔で苦言を呈するジルヴァの足元から、毛玉三姉妹もするりと部屋に滑り込んでくる。
俺は窓枠に背を凭れさせ、肘を預けたまま、「何の用だ?」と促すと、ジルヴァは少しだけ声を低くして本題を切り出した。
「お前に会わせたい男がいる」
「マロたちの兄上なのです!」
すかさず足元からそう補足するマロの言葉に、コロとモコもどこか誇らしげに胸を張っていた。
「おまえたちの……兄……?」
(また毛玉が増えるのか……?)
「ポコ。入れ」
ジルヴァの重厚な声が、明け放たれたままの扉の向こうに響いた。俺も吸い寄せられるように視線を出入り口の――主に下の方に落として待ち構えていると、“ポコ”と思わしき足音が近づいてくる。
カチリ、と硬質な金属音を伴う重い足音が入口で止まった。
「——失礼いたします」
違和感に眉をひそめた俺の視界に入ってきたのは、案の定、毛むくじゃらの脚だった。
だが、位置がおかしい。そして異様に長い。
視線をゆっくりと上へ上へと滑らせていく。
長く引き締まった脚、しなやかな腰、胸元を覆う近衛の甲冑、そして――大型獣人仕様の無駄に高い天井すら狭く感じさせるような、圧倒的な高身長の顔。
毛玉は毛玉でも、縦にすんごく伸びた毛玉がそこに立っていた。
ジルヴァのような重厚な威厳とはまた違う、スラリとした長身。切れ長の細い目に、シュッと引き締まった鼻先。どこかスマートで冷徹そうな雰囲気を漂わせた、見事なイタチ系の男前だ。
入口の扉を狭そうにかがんでくぐり抜けてきたその男は、王であるジルヴァの前で足を止めると、顔を微かに伏せて深く一礼した。
俺が呆然と見上げていると、男はこちらに向き直り、躊躇いもなくその場に両膝をついた。
長い身の丈を深く折り曲げ、床に膝をつく。右手を左胸に当て、左手を背中に回す――ユバ国における、最も深い服従の礼だ。
「――王妃殿下。このたび護衛を務めさせていただきます、前王ファムートが子息、ポコと申します。以後、お見知りおきを賜りたく存じます」
低く澄んだ声が、静かに部屋に響いた。
(……は? ファムートの……息子!? ってことは、この毛玉三姉妹もファムートの忘れ形見だったってことか!?)
だが、今はそんな混乱よりも——
「……ポ…………コ……???」
「はっ」
見た目は完全に“ギルバート”とか“ヴァイリー”とか、いかにも西洋の重装騎士っぽい名前が似合いそうな男前なのに、なぜよりにもよって“ポコ”なのか。
俺は喉まで出かかった「名前と見た目が合ってねぇ!」という叫びを、どうにか飲み込んだ。
「……何度か、顔を合わせたことがあったな」
俺がそう問いかけると、ポコはどこか気まずそうに、切れ長な眉をキュッと寄せた。
——やはりそうか。
ポコと名乗った男は、あの関所で真っ先に俺へ刃を向けてきたジルヴァの親衛隊の一人だ。それに、先日の誓痕 の儀でも、確か先導のガドゥラに跨っていたはずだ。
「ほう、よく覚えているものだ。我らからすれば、人間など皆似たような顔に見えるのだがな」
ポコの背後で腕を組んでいたジルヴァが、興味深そうに低く鼻を鳴らした。
「……職業柄、自分に刃を向けた奴の顔は忘れないように叩き込まれてるんでね」
俺がおどけたように答えると、両膝をついたままのポコはさらに身を縮めるように深々と頭を垂れた。
「ポコは俺が最も信頼している男だ。四六時中、貴様を見張ってるわけにはいかないからな。念のため護衛を立てさせてもらうが文句はないな?」
ジルヴァの問いに、俺は軽く肩をすくめる。
文句はない。だが、一つだけ確認しておきたいことがあった。連合軍どもの汚い策に倒れた前王ファムート——その血を引く男が、この采配に不満を抱えてないはずがないと思ったからだ。
「別に構わねぇが、ポコはいいのかよ? お前にとっちゃ俺なんざ、親父さんを殺した侵略者の猿の一味だろ」
部屋の空気が、わずかに張り詰める。
だがポコは静かに顔を上げると、逃げ場のない鋭い視線で真っ直ぐに俺の目を射抜いた。
「――いいえ。我が主である陛下がグレン様をお認めになった時点で、貴殿はもはや敵ではありません。我が身と剣は、ただ主の御意思に従うのみです」
「……分かった。それならいいが——俺からも頼みがある」
「はっ。なんなりと」
どんな命でも受けて立つと言わんばかりに背筋を正すポコを見下ろし、俺は首の骨をボキボキと鳴らした。
「俺の手合わせの相手になってくれねぇか? こんな豪華な部屋に閉じこもってる“お妃様家業”にはどうにも向いてないんでね。身体が鈍ってしょうがねぇ」
俺が肩を豪快に回しながら言い放つと、死地への赴きすら覚悟していたはずのポコは一瞬だけきょとんと目を丸くし、それから助けを求めるようにちらりとジルヴァの方を振り返った。
「構わん。相手してやれ」
後ろで腕を組んでいたジルヴァが、面白そうに口角を上げた。
「……は。しかして、王妃殿下に万が一のお怪我でもあらせられては……」
「心配いらん。そいつはそんなやわな玉じゃない。生半可な手加減をすれば、お前が足をすくわれるぞ」
「……! 承知いたしました」
ジルヴァのお墨付きを得て、ポコは覚悟を決めたようにスッと立ち上がった。
6フィートを優に超えるスラリとした長身が目前に立ちはだかり、イタチ特有の切れ長な瞳が、今度は「騎士」ではなく「武人」の光を帯びる。
「――では、王妃殿下。不肖ポコ、いつでもお相手を務めさせていただきます」
いろいろと言いたいことも聞きたいこともあったが――主にその『ポコ』という名付けの由来において――足元で毛玉三姉妹が“兄上”をキラキラとした純粋な目で見上げているのを横目で見つめ、俺はそっと口をつぐむことにした。
そんなファムートの忘れ形見たちによる毛玉包囲網に、どこか因縁めいたものを感じつつ——。
突如、静寂に包まれていたはずの王宮の廊下から、バタバタと場違いなほど慌ただしい足音が響き渡ったのはその後だった。
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