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第4話 恋人の演じ方
「十個、考えてきました」
次の出勤日、星愛は宿題のノートを梓へ差し出した。
優しさ。安心感。楽しさ。誠実さ。自分を選んでくれること。その人自身を見てくれること。無理をさせないこと。話を聞いてくれること。一緒に悩んでくれること。そして、帰りたくなる場所であること。
梓は上から順に目を通し、二つの項目で指を止めた。
「五つ目と六つ目だけ、字が違う」
「直先輩に手伝ってもらいました」
「先輩?」
「同じ大学の四年生だったんです。昨日、偶然会いました」
「ふうん」
梓は再びノートへ目を落とした。
「他人に答えを聞いたら、宿題にならないだろ」
「二つは直先輩の答えです。僕とは違う人が恋人へ何を求めるのか知ることも、宿題の目的では?」
「屁理屈だけは一人前だな」
「筋が通っていると言ってください」
「却下だ。八点」
「昨日は零点でした。成長していますね」
星愛がノートを受け取ろうとすると、梓は手を離さなかった。
「最後のこれは何だ」
「帰りたくなる場所です」
「恋人は場所じゃない」
「その人がいるところへ帰りたいと思える、という意味です」
「重い」
「梓さんには聞いていません」
「俺が採点してるんだろ」
ノートを引くと、ようやく梓の指が離れた。
宿題を見せただけで、どうしてここまで腹が立つのだろう。しかも梓は、直の書いた二つだけをもう一度確認している。
「今日は何をするんですか?」
「実践」
梓は机の上へ三枚のカードを並べた。
それぞれに、依頼人の年齢、希望するデート、恋人役へ求める性格が書かれている。一枚目は人見知りで会話を続けるのが苦手な学生。二枚目は仕事の成功を誰かに認めてもらいたい会社員。三枚目には、長く付き合った恋人と別れたばかり、とあった。
「同じ笑い方と台詞で、全員を満足させられると思うか?」
「思いません」
「じゃあ、何を変える」
「話題、距離、表情。あとは、相手が話したいのか、聞いてほしいのか」
「八点」
「またですか?」
「今ので一つ増えただろ」
梓は一枚目のカードを取り、星愛へ渡した。
「お前が恋人役。俺が客だ」
「分かりました」
「始めろ」
星愛はカードを確認し、梓の正面へ座った。
「今日は来てくれてありがとうございます」
「客に礼を言わせる気か」
「まだ一言しか話していません」
「その一言で、俺がもてなす側になった」
「細かすぎませんか?」
「細かいところに金を払ってるんだよ」
星愛は最初からやり直した。
「今日は、どこへ行きたいですか?」
「分からない」
「好きな食べ物は?」
「特にない」
「見たい映画はありますか?」
「ない」
何を尋ねても、返ってくるのは短い拒絶ばかりだった。
「直先輩なら、答えを急かさず待つと思います」
「今はあいつの話じゃない」
梓がすぐに切り返す。
「比較するつもりはありません。参考にしただけです」
「あいつを基準にするな。目の前の客を見ろ」
会話が苦手な相手へ質問を重ねれば、答えること自体が負担になる。星愛はカードを机へ置いた。
「では、少し散歩しませんか」
「何で」
「話したくなければ、話さなくてもいいからです。同じ景色を見ていれば、沈黙していても不自然ではありません」
梓の顔から、客としての表情が消える。
「十点」
「満点ですか?」
「この客に対してはな」
梓は二枚目、三枚目とカードを替えた。
認めてほしい相手には、結果だけでなく努力を尋ねる。失恋したばかりの相手には、無理に励まさず、過去の恋人を悪く言わない。
正しい答えを探すほど、言葉は薄くなる。相手の立場を想像し、その人に向けて差し出した言葉だけが、梓の採点を通った。
「覚えるのは台詞じゃない」
三枚のカードを片づけながら、梓が言った。
「相手が何を求めているか見ろ。話したいのか、黙っていたいのか。近づいてほしいのか、一人にしてほしいのか」
「それを見抜いて、望まれる恋人を演じるんですね」
「ああ」
「でも、それでは梓さん自身はどこにいるんですか?」
カードを重ねていた手が止まった。
「必要ない」
「どうしてですか?」
「客は俺を知るために金を払うんじゃない。自分が望む恋人と過ごすために払う」
「全部、梓さんが演じているんですよね」
「だから何だ」
「どれが本当の梓さんですか?」
梓は答えず、残った一枚のカードを裏返した。
「最後だ」
表には、依頼人の情報が何も書かれていない。
「これでは分かりません」
「目の前にいるだろ」
「梓さんが、お客様ですか?」
「俺が何を求めているか当てろ」
星愛は梓を見る。
整った服装。乱れのない髪。客の前なら完璧な笑顔を浮かべられるのに、今は何の感情も見せていない。
好きなものを聞かれても答えられず、恋人へ求めるものも考えてこなかった男。
「分かりません」
「零点だな」
「だから、聞きます」
「研修中に客へ答えを聞くのか」
「分からないまま、分かったふりをするよりいいです」
星愛は、何も書かれていないカードを机へ戻した。
「今、何をしてほしいですか?」
「別に」
「では、何もしたくないんですね」
「そう言ってる」
「分かりました」
星愛はそれ以上、質問しなかった。
ただ向かいへ座り、梓が何かを話すまで待つ。秒針の音と、窓の外を通る車の気配だけが、二人の間を流れていった。
「……何で黙ってる」
「何もしたくないと言ったのは梓さんです」
「客を放置するな」
「そばにいます」
梓が星愛を見る。
「何もしなくても、話さなくても、帰らずにいます。それでは駄目ですか?」
「それで金を取るつもりか」
「梓さんは今、お客様ではありません」
星愛は真っ直ぐに梓を見返した。
「だから、無理に喜ばせなくてもいいと思いました」
長い沈黙のあと、梓が視線を逸らす。
「……十一点」
「満点を超えましたね」
「調子に乗るな」
そのとき、事務所の扉が開いた。
「ただいま。大学前の店で焼き菓子を買ってきたよ」
紙袋を持った直が入ってくる。
「おかえりなさい、直先輩」
「ただいま、星愛。研修はどう?」
「今日は十一点を取りました」
「十点満点じゃなかった?」
「僕にも分かりません」
直が笑いながら星愛の隣へ立つ。
梓の視線が、二人の間を横切った。
「梓も食べる?」
「いらない」
「まだ中身も見てないけど」
「甘いものは好きじゃない」
「そうなんですね」
星愛が反応すると、梓の眉が寄った。
「何だ」
「梓さんの好きではないものを、一つ知れたので」
「そんなものを知ってどうする」
「梓さん自身を知るためです」
客へ向ける恋人なら、いくらでも演じられる。
けれど、星愛が見ようとするたび、その奥にいる梓だけが逃げ場を失っていく。
「星愛、もう上がりだよね。俺も大学へ戻るから、一緒に行く?」
「はい。少し待ってください」
星愛は研修資料を鞄へしまい、梓へ頭を下げた。
「本日もありがとうございました」
「宿題は忘れるな」
「次は何ですか?」
「今日の反省点を十個」
「十一点だったのに?」
「足りない一つを探せ」
「分かりました」
◇
星愛と直が事務所を出ていったあと、梓は先ほど断った紙袋を開けた。
中から焼き菓子を一つ取り出し、包装を乱暴に破る。
一口食べると、甘さが舌に残った。
好きではないはずなのに、閉じた扉を見つめているよりはましだった。
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