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第7話 営業スマイル

 出勤した星愛が管理画面を開くと、予約一覧の一番上に見覚えのある名前があった。 『水沢様・千影星愛を再指名』  一度閉じ、もう一度開いて確かめる。表示は変わらない。 「再指名、おめでとう」  隣から画面をのぞいた直が笑う。 「ありがとうございます。こんなに早く、また選んでもらえるとは思いませんでした」 「初接客で再指名はすごいよ。水沢さんも、星愛と一緒にいて安心できたんだろうね」 「浮かれるな」  離れた机から、梓の言葉が飛んできた。 「再指名は、前回と比較される接客だ。一度目より期待が上がる。同じことをしていれば満足してもらえるとは限らない」 「分かっています」 「ならいい」  梓はそれ以上何も言わず、冷めたコーヒーを口へ運んだ。眉がわずかに寄ったのは、苦みのせいなのかもしれない。 「梓、素直に褒めたら?」 「昨日、十点をつけた」 「それは採点でしょ」 「十分だ」  星愛は昨日、管理画面に残された『また』から梓が目を離せなかったことを知らない。  ただ、一言くらい喜んでほしかったと思う自分が、少し不思議だった。      ◇  午後から大学の講義があるため、星愛は昼前に事務所を出た。  駅へ向かう途中、歩道の先に見慣れた背中を見つける。長身の男性と、その腕へ寄り添う淡い水色のワンピース姿の女性。今日の予定表にあった、梓の顧客だろう。  追い越すべきか迷っていると、女性がショーウインドーの前で足を止めた。 「梓くん、これ似合うと思う?」 「似合うと思います。でも、隣の白も見てみませんか。今日の靴に合いそうです」 「本当だ。よく見てるね」 「あなたの恋人ですから」  梓が微笑む。  目元までやわらかく細め、相手だけを大切にしているように身体を傾ける。星愛が研修で一度も見せてもらえなかった、完璧な恋人の顔だった。  女性が楽しそうに梓の腕を抱き直す。その距離の近さに、星愛の足が止まった。  仕事だ。  顧客が望み、梓が同意している。何もおかしくない。 「今日も楽しかった。また指名していい?」 「もちろんです。次にお会いできる日を、楽しみにしています」  昨日、自分へ届いたものと同じ『また』だった。  けれど、胸へ生まれたのは喜びではない。理由の分からない重さが、心臓の周囲へまとわりつく。  梓が顔を上げ、視線が重なった。  一瞬だけ微笑みが消える。ところが女性が振り向くより先に、整った表情が元どおりに戻った。 「千影くん。お疲れさまです」  自分にも、顧客へ向けたものと同じ笑顔が差し出された。 「お疲れさまです」  星愛は頭を下げる。 「大学がありますので、失礼します。お仕事の邪魔をして、すみませんでした」 「千影」  呼び止められたが、振り返らなかった。  背後から届く街のざわめきに紛れ、梓が何かを言ったような気がした。      ◇  大学へ着いても、胸の重さは消えなかった。  学生食堂の窓際で昼食を広げたものの、パンを半分食べたところで手が止まる。普段より苦く感じる紅茶を飲んでいると、トレーを持った直が向かいに立った。 「珍しいね。星愛が食べるの遅いなんて」 「直先輩」 「ここ、座ってもいい?」 「どうぞ」  直は向かいへ腰を下ろし、星愛の食べかけのパンを見る。 「朝は再指名を喜んでたのに、今はパンに負けそうな顔をしてる。何かあった?」 「どうして、直先輩にはすぐ分かるんですか」 「星愛のことを見てるから」  さらりと言われ、返事に困る。直は星愛を急かさず、自分のコーヒーへ口をつけた。 「梓さんの接客を見ました」 「偶然?」 「はい。完璧でした」 「梓だからね」 「相手の方も楽しそうでした。梓さんに、また会いたいと言っていました」 「それが嫌だった?」  すぐには答えられなかった。  嫌だと認めれば、梓の仕事を否定するような気がする。自分も同じ仕事をして、誰かから『また』をもらったばかりだった。 「分かりません。ただ……僕へ向けられた笑顔まで、同じだったんです」  直は茶化さなかった。 「梓は、仕事中に素の顔を見せないよ」 「知っています」 「知ってることと、平気でいられることは別だから」  胸の中に絡まっていたものが、少しだけほどける。 「嫌だったなら、嫌だったと思っていい。梓へ何を求めるかは、そのあと考えればいいよ」 「直先輩は、いつも簡単そうに言いますね」 「簡単じゃないよ」  直は窓の外へ目を移した。 「好きな人が、別の誰かを見ているのを平気でいられるほど、俺も器用じゃないから」 「好きな人がいるんですか?」 「いるよ」  直は星愛へ向き直ったが、それ以上は何も言わなかった。      ◇  講義を終えて事務所へ戻ると、梓も接客から帰っていた。 「千影」 「はい」 「昼は何だった」 「梓さんの接客を見かけただけです」 「どうして逃げた」 「逃げていません。大学へ急いでいました」 「呼んだだろ」 「お客様の前で、何を話せばよかったんですか」  梓が黙る。  昼間の営業用の服から着替えているのに、髪だけは綺麗に整えられたままだった。女性が触れていた腕へ目が向きそうになり、星愛は机上の予定表を見る。 「水沢さんの再指名、受けるんだろ」 「はい」 「よかったな」  梓は微笑んだ。  穏やかで、優しくて、欠点のない笑顔だった。 「それ、やめてください」  言葉が考えるより先に出た。  梓の表情が消える。 「何がだ」 「その笑い方です」 「接客では笑えと言ったのは俺だ」 「今の僕は、お客様ではありません」 「なら、どういう顔をすればいい」 「それを僕に決めさせないでください」  梓は眉を寄せる。困っているのか、不機嫌なのか、本人にも分かっていないような顔だった。 「僕は、今のほうが好きです」 「……何が」 「梓さんの、その顔です」

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