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第5話*

心地の良い照明に照らされながら、エスカレーターで五階に向かう。紳士服売り場だ。きょろきょろと物珍しげに周囲を見回してると、ティルに笑われた。おのぼりさんか?と。生まれも育ちもこの地域なのに心外である。確かに百貨店に用はなかったが。 ティルの先導でモノトーンの服が多く並ぶ店に入る。途中フロアマネージャーと書かれた名札をした店員がティルを見て頭を下げ、一体どのようなご用事で?と尋ねていた。ティルは、ダチと服見に来ただけだから今日はいいです、と丁重に言って、その人は何度も頭を下げて立ち去って行った。 「よかったの?」 「お前が望んでないことをわざわざやらねぇよ」 当然だろ?と言わんばかりの顔。思わず見入って、何をしているんだと軽く首を振る。ティルは早々に店員に声をかけ、こちらを振り返りながら何かを説明している。店員は朗らかに笑って、リュートに近付いてきた。 「お話はお聞きしました。いくつかコーディネートをご提案させて頂きますので、その中から選んで頂ければ」 「は、はあ……」 多分見せられても何も分からないだろうという確信にも似た感覚で、リュートは店員が持ってくる服を眺める。何が何だか。困惑していると、横に来たティルが言った。 「任せとけば大丈夫だよ」 「いや、でも」 「そんなに店員の腕が不安か?俺はいつもこの店で服買ってっけど、腕は確かだよ」 「そうかもしれないけど」 「ま、大船に乗ったつもりでいろ」 「ティル……」 言いたいことを一つも伝えられないまま、リュートの目の前には三つのコーディネートが置かれた。店員が一つずつ説明していく。 一つ目は、薄いグレージュのニットベスト、薄水色のストライプのシャツ、チャコールのストレートパンツ。 二つ目は、くすんだ水色のオーバーサイズシャツ、インナーの白Tシャツ、濃紺のデニム。 三つ目は、アイボリーの薄パーカー、濃いグレーのTシャツ、濃い紺色のイージースラックス。 それらを、リュートはうろんげに見て、無言になる。心配そうにティルが声をかけてきた。 「どうした?嫌だったか?」 「……俺、こういうのよくわかんないから」 「え?」 「服とか量販店のTシャツとデニムだし。ちゃんとしたところにご飯行くときの服は母さんが買ってきた服そのまま着てるだけだし……」 「ちょ、待て待て待て。マジで言ってんのか?」 「うん」 ティルと店員が顔を見合わせる。すると店員が、 「最上級の食材をぼろの皿に乗せるような暴挙ですね……」 と、深刻そうに言った。だよな、とティルも応じる。一体何を言っているのだろう。 「ま、不安な気持ちは分かったから。取り敢えず着てみろ。何かわかるかもしんねーから」 「でも」 「ほら、な?」 ティルに背中を押されて試着室に上がる。服を一揃え押し付けられて、しゃ、っとカーテンが閉まる。 試着室の明るい照明を見上げて、もうどうにでもなれという気持ちで制服を脱いでいく。そして、ティルに押し付けられた服を着ていく。す、と袖を通した瞬間の肌触りが違う。滑らかだ。シャツなのにかぴかぴしていない。パンツも綺麗に折り目がついていて、履きやすい。長さも、家にあるものは合わなくて裾を折っているが、これもそうすればいいのだろうかと思って、一つ程折ってみる。 「着れたかー?」 外からティルの声がする。やや慌てながら、うん、と頷くと、カーテンが開く。ティルがざっと頭の先から足先まで見て、しゃがみ込む。先程リュートが折った裾を戻している。 「長くない?」 「ピッタリなんだよ。寧ろ折るな。裾上げでもするつもりか?」 ティルが言いながら立ち上がる。そして数歩離れてもう一度リュートを見る。そして、ふいっと視線を逸らした。 「……おかしかった?」 「おかしくない。断じて。似合い過ぎだよ」 「何でこっち見ないの?」 「……色々な」 ぼやくティルに、店員が、「あらあら坊ちゃん……」と何やら言っている。ティルはいつもこの店で服を買っていると言っていたから、彼の小さい頃をこの店の店員は知っているのかもしれない。だから坊ちゃんか。 「如何されますか?」 「え?」 「次のコーディネート、試してみられますか?」 「うーん」 脱ぎ着するのが面倒だなと正直思った。なので一旦今の服を脱いで、後は鏡で当ててみるくらいにしておこう。そう店員に告げて、試着室に戻る。そして制服に着替えて、ローファーを履く。待っていたティルがリュートから服を取り上げて、これ、会計な。と店員に渡していた。 「買うの?」 「買わねぇの?」 「今日千円しかないよ」 「おいおい……お前五聖家の嫡男だろ?」 「一応」 「財布の中身小学生か!?」 「まだ自分で稼いでないのに、勝手に大金使えないよ」 先程試着室で服の値札を見て、声が出そうになったのを何とか押さえた。百貨店と量販店で一桁服の値段が違うなんて思わなかったから。鞄からスマホを取り出して、母にLINEする。すると直ぐに返事が来て、「気にせず、お友達の言うことをよく聞いて、好きなように服を買ってきなさい」と返事が来た。ティルの言うことをよく聞いてというのはどういうことだろうか。ひょっとして服に関するあれこれが信用されてないのかもしれない。 その後、ティルが店員に、リュートの家に送っておいてほしい、連絡も頼むと言っていたので、リュートも母にLINEを送って、事前に服のことを伝えておく。 買い物を終えて、 「じゃ、行くか」 ティルがリュートの肩に手を回す。うん、と小さく頷く。お世話になった店員にも頭を下げて、店を出る。ところでいつまで肩を抱いているんだろう? 「ティル?」 「どした?」 「肩……俺、一人でも歩けるよ?」 「ん?ああ、悪い。つい」 すっと腕が離れていく。急に冷えた肩に、そのままでよかったかなとティルを見る。彼は店内を思い出すように、喫茶店何階だったっけ、と呟いている。するとリュートの視線に気付いたのか、ああ、と短く応じて、言った。 「服、数日中にお前の家に届くから。修学旅行には間に合うだろ」 「何から何まで、何か申し訳ないな」 「気にすんな。俺たちみたいのの買い物はこんなもんだ」 「いつもお店に直接行って、買って帰ってたよ」 「それはお前んちだけだ……着いたぞ。店」 目の前にレトロな外観の店がある。喫茶店とはここのことか。二人で店に入ると、いらっしゃいませ、の声と共に、席に案内される。 「何にする?」 ティルに尋ねられて、リュートは薄く微笑んだ。 「俺、ここ最近、ずっとティルとお茶したり……してる気がする」 「そういやそうかもな」 「友達って、こういうふうに時間を過ごすの?」 「うーん、俺、ずっと不良とつるんでたしな。あんま参考にならねーよ」 「俺が聞きたいんだ、ティルの話」 「……そうか?でもその前に頼むもんだけ決めちまおうぜ」 そう言われて、リュートは改めてメニューに視線を落とす。見慣れた紅茶の銘柄を選んで、これにしようと思う。ケーキの類は……やめておこう。 「決めたか?」 「うん」 「すみません」 ティルが店員を呼び止めてくれる。お決まりでしょうか?と尋ねる店員に、リュートは紅茶を、ティルはブラックコーヒーを頼む。去っていく店員を少し眺めてから、リュートは視線をティルに戻す。 「コーヒーなんだ」 「まあな。オレンジジュースでも飲んでおけばよかったか?」 「ううん、大人だね」 「お前はイメージどおりだよ」 ん?と首を傾げると、ティルは薄い唇を弧に吊り上げた。 品の良い穏やかな音楽が流れる店内で、暫し無言のままティルと視線を合わせる。不思議だ。店内は弱冷房で少しひんやりしているのに、視線で触れられた場所が熱い気がする。そうして見ていると合わせ目から溶けてしまうように思えて、リュートから先に視線を逸らした。 「……あ、あのさ!」 「ん?」 「ティルの話、聞きたい」 話題を変えるために、先程の話を蒸し返す。ティルはそうだな、と一瞬天井を仰いで、 「ま、楽しくやってたよ。一応」 「一応なの?」 「……そうだな。一応だ。喧嘩もまあ嫌いではなかったし、俺のこと好いてる女子生徒もいたし、つるんでる連中も、気の良いやつばっかだったが……」 そこで一息吐いて、言った。 「退屈だったんだ」 店内の音楽が、二人の距離を埋める。リュートは、そんなティルに、あのさ、と前置きをして、ずっと気になっていたことを口にした。 「……知ってたかも」 「何を?」 「ティルが、素でいられなかったこと」 「……」 リュートから見たティルは、いつだって太陽だった。たくさんの惑星を従える、一番大きな星。快活な笑みで皆をまとめ、守ってきた光。だが、いつだっただろうか。廊下でたくさんの仲間を連れて廊下を歩いている彼とすれ違ったことがある。気になってふと見たとき、明るい笑顔とは対極の、どこか陰のある疲れた表情をしていたのが、妙に残ってしまった。 (彼は、無理してそう振舞っているのではないのか) そう考えるのは、自然な思考の帰結だったかもしれない。 ただ何故そうしているのかまではわからず、そのときはそれ以上追及することもなかったのだが。 ティルは、瞳を僅かに揺らして、そうか、と短く言った。 「お前、よく見てんだな」 「何か……気になったんだ」 「いつ?」 「進級する前かな」 「そんな前から、俺のこと気にしてたのか」 窺うように問いかけられて、リュートはどきりと心臓を跳ねさせる。そんな前から、ティルのことを気にしていた?何で? 逃げようとしても、ティルの視線が放してくれない。鼓動だけがどんどん早くなっていく。 「お待たせいたしましたー」 こちら紅茶です、とティーポットを机に並べる店員に、ふ、と息を吐く。ティルがどかっと背凭れに身体を預けさせて、そっぽを向く。かた、と食器の小さな音と一緒にティルの前にコーヒーが置かれる。 「頂こうか?」 「そだな」 その後は、何を話したか。他愛ない学校の話、修学旅行の話、そんな所だろうか。ティルが家の前まで送ってくれて、じゃあ、と手を挙げて去って行った。 終わった時間を反芻して、リュートはそっと胸に手を当てた。 ******************** ティルは家までの道を駆けた。リュートの自宅から走ってそこそこ。慌ただしく門を潜り、玄関の扉を景気よく開いて、驚く家令に短く挨拶をして、ばたばたと自室まで一直線。ばたん!と扉を開けて閉めて、鍵をかけて、ずるずると扉を背もたれにへたり込む。膝を抱えて、額を膝頭に押し付けて、頭を抱える。 「可愛いが過ぎる……」 零れた言葉に自分でも呆れる。何がって、リュートのことだ。 放課後を一緒に過ごして、彼のころころと変わる表情を見て――自分の心が必要以上に浮ついていることは自覚していた。だから手も伸びた、触れたくて仕方がなくて。全幅の信頼を寄せる彼の彩度の低い紺色の瞳に、罪悪感を覚えながら。 その頃には、もう自分の心に答えは出ていた。でなければ、以前からティルを知っていたリュートに、あんなふうに問いかけたりしない。俺のこと気にしてたのか、なんて。 知っていてほしかった。 彼の心のどこかにティルを気にする気持ちが、あってくれればと願った。 浅ましい。こんなことを考えるなんて。だが理性よりも感情が先に走る。止まらない。止まらない、走り出した感情はたった一つの言葉を引っ掴んで、離さない。 「クソ……」 喉元に引っかかったそれを、ティルは吐き出した。 「好きだ」 言葉にした途端、リュートの姿が脳内で実像を結ぶ。ティル、と柔らかく微笑む彼が、心を撃ち抜く。手を伸ばして触れたい。拒みもせず、それを当たり前のように受け止める彼の無防備さが、愛おしくて堪らない。 ベージュのニットを着た姿なんて、神使の兎が人の形を取ったのかと思ったほどだ。淡い灰金の髪が透けて、白く美しかった。直視できないほどに。 「俺、おかしくなったのか?リュートは男だろ」 小さくぼやく。そうだ。リュートは男だ。いや、中性的な美しい男性というか。だが体格は高校生らしくしっかりしているし、声もちゃんと男性だ。そう、男なのだ。 ちなみにティルは数人の女子生徒と付き合ったこともある。中学三年の終わりから高一の終わりにかけて。ただ非常に退屈で、「良い彼氏」のロールプレイに飽きてしまって長続きはしなかった。てっきり恋愛に向いてないのだと自分では思い込んでいたのだが。 リュートを見ていると、楽しいと思う。反応の一つ一つが普通とは違う。彼と話をしていると、ちゃんと聞いて、ちゃんと反応して、ちゃんと会話をしたいと――ずっと、ずっと。 ティル、と呼ぶ声を聞きたい。灰金の髪に触れて口付けたい。思った瞬間だった。 「う」 下腹部に質量と熱量。唖然とする。まさか、リュートを想って、こんな。 ぐっとそれが勃ち上がって力が入る。リュート、と熱を逃がすように名前を呼んでみるが、逆効果だった。余計に膨張して、じわりと先端から欲を垂らす感触。 リュートが手を握ったときのこと、視線を絡めたときのこと、全てがティルを煽って逃さない。もう無理だった。もたつく自分の動作すら鬱陶しく思いながら下着を下ろし、上下に擦って快楽の波に溺れる。耳元で、リュートの声がした。 「っ、くっ、は……」 そして――べったりと手に張り付いたそれを見て、息を吐く。 もう戻れない。もう友達なんて言えない。 俺は、リュートのことが本当に好きなんだ。

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