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第16話

「おはようございます」 「おはよう、いつもリュートがお世話になっています」 「いえ、俺もリュートには世話になってるんで」 アルトフェルト家の門前。そこにノイズシュタインの車と、ティルがいた。迎えに行くと聞いていたので、ずっとそわそわと待っていた。で、いざ来てみたら、ティルの乗るSUVと、その後ろに数台の車。え?海に行くのに車列?と思いながらリュートはそれを眺める。 母が一礼して、ティルに話しかける。 「この子、すっかり毎日楽しそうで」 「そうですか、学校が楽しいのはいいことだと思います」 「口を開けばティルさんの名前ばかりで」 「……そうっすか」 一瞬沈黙を挟んで、人好きのする笑みを浮かべるティル。よそ行きの顔してるな、とリュートは思った。 「じゃあ母さん、行ってくるよ」 「ええ、行ってらっしゃい。では、お願いしますね」 「はい。責任を持って」 ティルが一礼して、リュートに車に乗るように言う。運転手が扉を開けてくれたので、広い乗口から楽々と乗り込む。広い車だな、ともぞもぞと座っていると。ティルが乗って来て、扉が閉められる。 運転席と後部座席の間は磨りガラスで仕切られていて、お金持ちの人の車ってすごいなと感心してしまう。うちの車なんて、父は長い間乗ってるセダンだし、母はコンパクトカーだ。 ゆるゆると車が出発する。後部座席のカーテンを開けて、母に手を振る。穏やかに微笑んで手を振り返す母が車窓から流れていって、ティルがカーテンを閉め直した。 「お前、お袋さんと激似だな」 「よく言われる」 「お前ほどの美人、世界に二人はおらんだろって思ってたが……その顔、お袋さん譲りなんだな」 「お爺ちゃんも似てるよ」 「マジか」 「というか、アルトフェルト直系は大体同じ顔してる」 「……恐ろしい一族だな」 親類一同が集まる正月に、お前も段々アルトフェルトらしくなってきたな、と祖父から言われるのが恒例行事だ。どういう意味なのか小さいときはあまり理解していなかったが、顔が似てきて、そういうことかと納得した。 「今日はどこに行くの?」 「隣県の海だな。県境の辺りにうちの土地があって、そこに別荘とプライベートビーチがある」 「へえ。ティルってやっぱりお金持ちなんだね」 「だからお前は五聖家でうちより総資産額でかいだろうが……」 「うちの資産って物置に転がってる壺とかだよ」 「今度その壺鑑定させろ」 ティルが妙に真剣な顔をして言うものだから、リュートは、ふふ、と小さく笑って、いいよ。と言う。商売のにおいがしたときのティルは面白い。格好いい。 窓の外の景色を見ようと思ったが、カーテンが閉まっていて見られない。何で閉めてあるんだろうと思ってティルに問いかけると、彼の瞳がゆらっと揺れた。 あ、と思う間もなく唇を奪われて、リュートは、ああ、そういうことか。とカーテンが閉まっている理由を察する。何時間で着くんだろう、もういっそ着かなくてもいいかもしれない。 「ずっと?」 「ずっとだ。駄目か?夏休み始まってから一回しかお前に会ってない」 「LINEでやり取りしてたよ」 「足りるわけねーだろ」 「そうだね。俺も足りない」 リュートは手をティルに伸ばす。彼の手と指を絡めて、握る。 「――いいか?」 問われてからティルの瞳を覗き込んで、リュートは小さく頷いた。これは、友達なのだろうかとふと疑問に思いながら。 県境のプライベートビーチに到着すると、浜にテントを立てて、ノイズシュタインの使用人たちが着々と準備を進めていく。その様子を見ながら今日のお昼はバーベキューなのかなと推測する。 浜に沿って建てられた別荘に移動して、中で着替える。修学旅行のときも見たが、ティルの身体の厚さが羨ましい。じーっと見ていると、ティルがジト目で見返してきた。 「何見てんだ」 「身体」 「お前な……」 「だって羨ましいもん。俺細いから」 「お前のは細いんじゃない。しなやかに筋肉がついてんだ。身体自体はしっかりしてんだろうが」 「そうかもしれないけど」 「ないものねだりすんな。つーか妖退治のときの動きとか、筋肉ない奴にはできねぇ動きしてるからな。お前。ちったあ自覚しろ」 「でもそれはそれとしてティルの身体好きなんだもん、見てたら駄目?」 「すっ……き、とか!言うな!」 「ええ?何で?」 「何ででも!」 ティルがふいっと前を向いて、着替えに戻る。あんまりじっと見てるのも申し訳ないので、リュートもさっさと服を脱いで水着に着替えた。 「おう、着替えた……か……」 振り返ったティルの言葉が消えていく。きょとん、と首を傾げていると、ティルがもそもそと自分の荷物の中からラッシュガードを取り出して、リュートの肩にかけた。 「何で?」 「……」 一度沈黙を挟んで、ティルが言った。 「俺の理性を守ると思って、着てくれ」 「どういうこと……」 何を言っているのかいまいちわからないが、ティルが求めているのなら仕方がない。ラッシュガードの袖に手を通して、着替える。前を開けておいたら、ティルがそっと前を閉めに来た。 「暑いんだけど」 「水の中にいれば大丈夫だ。行こう」 「もう」 頬を膨らませて抗議するが、ティルは譲らない。諦めて一緒に外に出る。 白い砂浜の先に、綺麗なマリンブルーが揺蕩っていた。ほうっと言葉を失っていると、ティルがぽん、と頭を叩いた。見上げると、にっと笑って、行くぞ。と言う。頷いて、砂浜に足を下ろす。 ビーチサンダルを履いていても砂の熱さを感じる。ティルもそうだったようで、走るか、と言われた。うん、と頷いて二人で海まで走る。 波打ち際に足を踏み入れて、そのまま海の中へ。足首が沈むほどの深さで一度立ち止まって、足裏の熱を冷ました。 「温いけど、気持ちいいね」 「だな。夏の砂浜はやべぇわ」 周囲を見回すと、小魚がちょろちょろと泳いでいる。そっと手を伸ばすと、リュートの手の平の上で止まっている。人慣れしているのだろうか。 「この海、元々ダイバー向けに開発しようかって話してたんだけどよ」 「うん」 「ま、採算取れなさそうってことでおじゃんになった。そういう経緯だから、海も綺麗だし、魚は人慣れしてて見た目楽しいし、良い海だろ?」 「そうだね。魚がこんなに近くにいるの、初めてだよ」 リュートはしゃがみ込んで、もう一度魚の群れに手を伸ばす。怖がる様子もなくリュートの手を突いたり、寄り添ったり。小さく微笑んで、リュートは呟いた。 「可愛い」 「……そうだな。可愛いな」 「それ、魚に言ってる?」 「いや、お前に言ってる」 「変なの」 突いてくる魚には悪いが、リュートは立ち上がって沖の方に向かって歩いて行く。 「この海遠浅なの?」 「そうだな。でも途中で崖になってっから、ブイが浮いてる所より前に進むなよ」 「はぁい」 リュートは、水を掻き分けて前に進む。先程まで小魚ばかりだったのが、手の平サイズの大きな魚が混ざって来て、深くなってきたことを感じる。こうして黙々と歩いて行ったら、水平線の向こう側にいけないのかな、なんて考えていると、気付けば胸まで水に浸かっていた。ふと振り返ると、浅いところでティルがリュートを見守っている。お父さんみたい、と小さく笑って、もう一度、遠くの海を見る。 (遠くに行きたい――消えたい) ふと浮かんだ思考に、どこか海の水が冷たく感じられた。 最近、どうも思考がマイナス方向に進みがちだ。リュート自身、別に元気がないとかそういうわけでもないのに、何かを考え始めると深みに嵌って行く――落ちていくような、そんな感覚がある。陽キャというわけではないし、深刻に暗いという性格でもないと自認していたのだが、最近本当におかしい。あまりにもネガティブな思考が進むので、一度医者に行った方がいいのかなと考えている。 折角の海なのに、こんな綺麗な海を見せてもらったのに、考えることがこんなことだなんて。自分自身に心底失望する。連れてきてくれたティルに申し訳ない。ふうっと溜息をついたそのとき、後ろから太い腕に抱き締められた。 「……ティル?」 「おう。俺だよ」 「どうしたの?」 「いや……その。多分、何か元気ないんだろうなって気がしたから」 「すごいね、よくわかったね」 ティルは俺の心を読んでいるのではないかと思う程、リュートがそのときに欲しいものをくれる。何度も偶然を重ねれば必然になるというが、これもまたそうなのだろうか。 ぎゅっと深く抱き締められて――海の水すらも邪魔に感じる程に、リュートはティルに心を預ける。安心する。ずっとマイナスに沈んでいた思考が、暗い水底から光る水面に上がるように、浮上していく。 「……もう、大丈夫か?」 「うん、ありがとう」 「何か嫌なことがあったら、俺に言え。側にいるから」 「それも友達だから?」 「もう決まり文句になりつつあるが、そうだよ。友達だからな。お前が不安なときは、一緒にいる」 「うん、一緒にいて」 ティルの腕の中で半身を捻り、ティルの方を向く。何度も抱き着いたことはあるのだが、そういえば肌が触れ合うことはなかったっけ、なんて思いながら、ティルの首に手を回して抱き着く。 「リュート」 「ティル。ありがとう」 「気にすんな。お前を守りたい……悲しむところは見たくないんだ」 リュートは、ティルの首筋に頬擦りする。うん、本当に嬉しい。ティルの優しさが、いつだって俺を救っていることを、君は知らないんだ。 不意に、ティルと唇を重ねる。驚いた気配を感じたが、いいのだ。 (いつか、伝えられたら) この口付けを、誓いに代えて。 海から上がって、使用人さんが焼いてくれた身の厚いステーキを数枚頂いて、その後は黙々とししとうを食べ続けた。リュートは脂の強い肉が苦手なのだ。 それを聞いたティルは、男子高校生とは思えん発言だな、と呆れ、使用人さんは平謝りだった。次回はアルトフェルト様の食べられるものを事前に確認します、とのこと。気を遣わせるのは申し訳ないので、すみません食べられますと言ったのだが、無理すんなというティルの一言でリュートは草食動物になった。 その後はパラソルの下で砂浜に座り込んで、ティルと他愛のない話をした。期末テストの成績のこと、最近の不良集団のこと、妖退治のこと、リュートの好きな食べ物のこと、本当に雑多に、いろんな話をした。 そんな時間が、本当に幸せだった。

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