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第17話
怨霊のことを話した上で、セラに調べるように依頼した。これで懸案事項は一つ解消した。
冷房をがんがんに効かせた自室で宿題をしてたティルの脳内に、突然姫神が語り掛けてきた。
『おい』
「なんすか、急に」
素っ気なく対応しながら、机に置いてあったアイスコーヒーを飲む。結露で濡れた表面が気になって、ティッシュで拭き取る。
『主神から連絡だ』
「はあ?」
主神は基本的にリュートに張り付いている。神の制約とやらであまり自由に何でもできるわけではなそうだが、リュートの心の根の侵食を防ぐために、常に彼の心の表面に保護膜を張っていると聞いたのは、割と最近のことだった。それまで何の役に立っているのかもわからなかったので、へえ、と生返事したことを覚えている。
そういうわけなので、主神がティルに用事があるとき、姫神を通じて連絡するしかない。今のように。それにしても何の用だろうか。
(嫌な予感がする)
『リュートがやばいって』
「はあ!?」
『詳しくは私も知らん。場所だけは教えてくれたが、何がどうなってんのかは知らん』
「役に立たねぇなあ!」
『お前、神罰食らわすぞ』
「いいから、場所!」
『図書館だと』
「わかった!」
ティルはアイスコーヒーを一気飲みして、スマホを持って部屋を飛び出す。すれ違った使用人が、どちらへ?と尋ねるのにも答えず、屋敷を出て、図書館に向かう。走ろうかとも思ったが、中央区にある図書館は少し遠い。自転車を引っ張り出してきて、飛び乗り、ひと蹴りでトップスピードを出して駆ける。
(……何があったっていうんだ)
ひたすらに嫌な予感がする。基本何事においても強いリュートの危機なんて、そんなの。
(根のことに違いない)
一気に侵食が進んだのだろうか。しかし何故?
ティルの目から見て、夏休み中のリュートは比較的安定していたように思える。海で一度危うかったことはあったが、その後何度か短時間会ったときも根の侵食は抑えられていた。本人も、最近は少し調子がいいんだ、と笑っていたし、問題ないのだと、思っていた。
(リュート……リュート!)
しゃこしゃこと自転車を漕ぐティルの額に、汗が浮かぶ。暑いからなのか、逆に冷や汗なのか、わからない。ただどうしようもなく怖くて仕方がない。リュートに何かあったら、俺は生きていけない。
街路樹の並ぶ道を疾走し、図書館へ。慌ただしく自転車を駐輪場に入れ、館内に駆け込む。
(どこだ……)
だが考えても見当もつかない。
(おい)
脳内で姫神に声をかける。
『何だ』
(リュートはどこにいるんだ。せめて何階とかわかんねぇのか!?)
『知らん。自分で探せ』
(マジで役立たずだな!)
脳内で思いっきり毒づいて、ティルは早足で館内を歩き回る。リュートが図書館にいるのは然程驚くことではない。勉強熱心な彼のことだから、図書館で資料を読みながら宿題に取り組んでいたのだろう。
だが、この図書館は縦にも横にも広い。全部で五階まであり、フロアも広大だ。人一人探し出すのも容易ではない。すれ違ってしまうことだって考えられる。
(どこにいる。せめて推察しろ)
リュートとの会話、LINE、それぞれ思い出す。
(……そういえば)
昨晩、日曜日の大河ドラマを見たのだというLINEが来ていた。今年は旧都時代をテーマにしており、非常に面白いとリュートが喜んでいた。そして、旧都の役人の仕組が気になるから、図書館行こうかな、と話をした――!
(そこか!)
ティルはフロアマップを見る。歴史関連の本は三階。広いバルコニーのあるフロアだ。本を持ち込んで、ガラス張りの温室のような所で本が読める。リュートが好きそうだ。
(というか、そこにいてくれ!)
ティルはエスカレーターを走って登り、三階へ。エスカレーターと反対側にバルコニーがある。ティルは足早にバルコニーに近付く。すると、ガラス張りの向こう側に、二人の人影。一つはリュートだ。いてくれた、よかった。リュートと向かい合うもう一つは……誰かさっぱりわからない。
ティルはバルコニーに繋がるガラスの扉を引く。局所に効いた冷房のひんやりとした風が流れ込んできたので、そっと扉を閉めた。そして。
(……まずい)
リュートの心の根が、着々と彼のガラス玉のような心の表面を侵食し、球の内側にも根を伸ばしている。肝心のリュートはぎゅっと拳を握ったまま、固まっている。
一体どういう状況だろうか。ティルはリュートに近寄って、おい、と声をかける。
「……ティル。何で」
「たまたま図書館に用があったんだよ。お前こそ何してんだ」
「俺は」
「へえ?騎士様のご登場ってことかい?」
いけ好かないトーンで話しかけてきたのは、正面に立つ男だった。眉を顰めて、ティルは言う。
「誰だお前」
「この僕に名乗らせるつもり?まあいいけど……五聖家の一つ、ヴァイスベルクの嫡男、レオン。そういう君は?」
「お前に名乗るような立派な名前じゃねぇよ」
「謙虚な奴は嫌いじゃない。いいね、君。気に入ったよ」
「ティルは!俺の友達だから!」
突然。本当に突然だった。リュートが叫んで、肩で息をしている。それを告げることすら相当の勇気が必要だったことが察せられて、ティルは何だか無性に泣きたくなる。
だが、それどころではない。リュートの根の侵食が加速したのは、状況的にこいつのせいだ。ティルは一旦リュートを自分の後ろに隠して、言った。
「もう見なくていいから。耳塞いでろ」
「ティル」
「よく頑張ったよ。後で話聞くから。この場は俺に預けろ」
「……」
リュートが、しゅん、と俯く。痛々しいが、今はそれどころではない。
「お前、リュートに何しやがった?」
「何も?中一以来の旧友に声をかけたら固まっちゃってさ……まだ気にしてるんだ?って笑ってただけさ」
「……」
リュートは友達が少ない。というか、積極的に作ろうとしない。以前、彼の普段の様子を、すん、と表現したことがあるが、基本的にあまり人と関わろうとしない。
リュートのスペックなら友達に囲まれていてもおかしくないと、以前から思っていた。一体何が彼を今のような物静かな少年にしてしまったのか。
(どうもこいつが原因くさいな)
ティルの敵意が高まっていく。絶対こいつはろくでもない。しかも主神がわざわざリュートの危機だと言うくらいには、リュートに影響を与える人間なのだ。こいつは。
「リュートが何を気にするっていうんだ」
「ティル」
ぎゅ、と後ろから服を掴んでくるリュート。振り返ると、首を横に振って、これ以上は聞かないで欲しいと全身で訴えてくる。
潮時かと思ってこの場を切り上げようとした、そのときだった。
「あれえ?騎士様には聞かれたくないんだ?」
びく、とリュートの肩が跳ねる。
「そりゃあ聞かれたくないよなあ?自分が口を滑らせたせいで、父親の事業一つ吹っ飛んだんだもんな!」
「は?」
ティルは呆けた声を出す。事業を一つ吹っ飛ばした?リュートが?
「ティル、お願い。もう聞かないで」
「初めてできた友達に浮かれて、父親がどこの国に出張していて、どういう新製品持ってるか――まあよくしゃべったよな。本当」
「やめて」
泣きそうなリュートの声を聞いて、にたぁ、と笑ったレオンは、言った。
「お前みたいなバカは扱いやすかったよ」
「てめえ!?」
大股でレオンに近付き、ティルは片腕で襟元を引っ掴み、吊り上げる。
「それを!リュートに言ったんだな!?」
血管が数本切れたんじゃなかろうかと思うほどに、感情の制御ができない。
リュートの友達神話はこいつが原因だ。
五聖家ということもあって、リュートは元々友達を作りづらかったはずだ。小学生の幼いうちはまだ無邪気に遊んでいられただろうが、高学年になれば子供でも大体の事情は察する。以前のように遊べなくなったリュートの元に現れたのが、レオン。
嬉しかったのだろう。しかも五聖家同士。また仲良くなれると期待に心が踊ったに違いない。だが実際は――こいつの発言を聞く限り、リュートから情報を抜くために接近していた。
そして、言ったのだ。『お前みたいなバカは扱いやすかったよ』と。
(全部繋がった。あいつが必要以上に友達に拘るのも、その友達って言葉が怨霊に狙われたのも、全部、こいつが発端――!)
かはっ、と吊り上げられたレオンが乾いた息を吐く。ガラスの向こう側で騒ぎに気付いた他の客がざわつき始めた。ちっ、と舌打ちをして、床に叩きつけるようにそいつを落とした。それからティルは言う。
「もう二度とリュートに関わるな」
「な……何の権限があって君がそんなことを言えるのかな?」
「懲りねぇ奴だな。片腕で吊り上げられても俺に勝てると思ってんのか?頭めでた過ぎだろ」
「っ!お前!?」
「わかったら二度とそのツラ晒すな。消えろ」
「……!」
レオンは、床に転がしてあった自分の鞄を引っ掴み、ばたばたと慌ただしく去って行く。ティルはリュートの手を取って、ガラスのバルコニーから出る。こちらを興味本位で覗いてくる連中に、
「見せもんじゃねえぞ」
と圧をかけて追い払い、エスカレーター横に設置された長椅子に二人で腰かけた。
「……」
「……」
言葉が出ない。リュートが話すまで暴き立てるつもりはなかったのだが、結果として知ってしまった。だが、知らないよりは知っていた方がいい。それもまたリュートの一部なのだ。それすらも愛したい。
「……こんなこと、知られたくなかった」
ぽつりとリュートが零す。
「父さんの事業を駄目にしたことも、そのせいでうちが外からの人を入れなくなったのも、全部俺のせいなんだ」
「リュート」
「友達が怖くなった……心を許したら駄目なんだと、思ってた」
「……」
「……ティルも、どこかに行っちゃうの?」
彩度の低い紺色の瞳が、水面のように揺れる。ああ、何で俺らは図書館にいるんだ。と内心で悪態をついて、リュートの手を取って、指を絡めた。
「行くわけねーだろ。リュートは俺のダチだって。親友だって。お前が望むなら何度でも」
「ティル」
「お前は俺のダチじゃねぇのか?」
「そんな!俺は――友達でいたいけど、烏滸がましいなって」
尻すぼみに小さくなっていく言葉を、口付けて拾ってやれたらよかったのになと、ティルは思った。代わりにぽん、と頭を撫でて、言う。
「烏滸がましいことなんてねぇよ。気にすんな。堂々と友達でいてくれ」
「うん……うん。ありがとう」
水面からつうっと零れたそれを、ティルは指で拭った。心の根は、少しだけ、その勢いを弱めたように、見えた。
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