19 / 19
第19話
迎えの車を回すように連絡して、二人で暫く神社の鳥居の辺りで待つ。車が来たので乗り込みつつ、今日リュートが泊って行くことを使用人に告げた。すると使用人が「直ぐに準備するように屋敷に連絡します」と言って、スマホでぽちぽちとメールを入れていた。
「急にすみません」
リュートが頭を下げると使用人は顔を真っ青にした。
「いえ!そのような!坊っちゃんのこいわ――」
と、そこまで言ってちらりとティルを見て、ぐっと口を噤む。それから穏やかに微笑んで、
「お気になさらず、楽しんでいって下さい」
「ありがとうございます」
ティルはジト目で使用人を見やる。こいつ、「坊っちゃんの恋煩いの相手」って言おうとしただろ。ボーナスの査定下げんぞ、と思いつつ、腕組みしてどかっと後部座席に座る。
リュートの視線を感じたのでそちらを見ると、暗い車内でリュートの灰金の髪がぼんやりと浮かんでいた。
「花火、綺麗だったね」
「ろくに見てないけどな」
「俺は別に気にしてないよ。一つでも近くで見られてよかった」
そう言ってリュートがひっそりと笑う。何となく胸が締め付けられて、ティルはリュートの手を握った。少し体温の低いその手を、指を絡めて。
流れる夜景を背景に、リュートがティルの耳元でそっと囁いた。
「キスしたい」
「は!?」
「でも海のときの車じゃないしね、仕方ないね」
「……お前な。俺の心臓止まるぞ。そのうち」
「だってしたいんだもん」
リュートがティルから少し離れて距離を取る。どこか色香の漂う微笑みで、リュートは言った。
「繋がれてる気が、するんだ」
「……」
「夢の話、したでしょ?」
「おう」
「たくさんのティルを思い出して、最後に感覚で残るのは、キスの感触なんだ。現実との接点って、思ってる」
何で遮蔽のついた車で来なかったんだこの使用人は。やっぱり査定下げるか、などと思いながら、ぎゅっと握った手に力を込めた。
「……今日は、俺が一緒に寝るから。怖かったら起こせ。迷惑じゃないから気にすんな」
「ありがとう」
ああ、やっぱりキスしたいな、なんてリュートが笑って、ふとバックミラーを見ると、居たたまれない顔をした使用人が映っていた。ざまあみろ。
車が家に着く。玄関に車を寄せてもらうと、使用人がずらりと待ち構えていた。
「ノイズシュタインのご当主は?ご挨拶しないと」
車を下りながらリュートが言う。ティルは首を横に振って、
「母さんと二人で別荘に出張だ。だから気にすんな」
そう。両親は定期的に先日訪れた海の別荘に行く。仲が良いのはいいことなのだが、年頃になると何となく察してしまって何とも言えない気分になる。そろそろ自重してくんねぇかなと思う。
「仲がいいんだね」
リュートがその辺の事情全部ぼかして感想を言う。まあ、そういうことにしておこう。
使用人がリュートのことを浴室に連れていく。戸惑いながらもついて行く彼を見送って、ティルは残された使用人に指示を出す。
「俺の部屋に軽食出してくれ。あんまり大層じゃなくていい。具材の少ないサンドイッチとか、クラッカーとか。そんなんでいい。あいつ全然食べないから」
「かしこまりました。お飲み物は?」
「ホットの紅茶。うちにある一番いいアールグレイの茶葉出してやってくれ。俺はいつものコーヒーでいい」
「承りました。しかし坊ちゃま」
「何だ」
にまにまと笑った使用人が、ティルに言った。
「ご執心ですね」
「やかましい」
ノイズシュタインの使用人は、ほとんどがティルの幼少期からの付き合いだ。親同然に見守ってくれているので、ティルもあまり強く出られない。
リュートは客用の浴室に連れていかれたので、ティルは屋敷の人間が使う浴室に向かい、さっとシャワーで済ませる。リュートを待たせたくない。
スウェットを着て、客用の浴室の前に立つ。少し待っていると、ティルと同じようにスウェットを着たリュートが出てきた。
「待ってたの?」
「待ってた。お前の顔が見たくて」
「もう散々見たじゃない」
ふふ、とリュートが笑う。二人で連れ立って私室まで歩く。途中すれ違う使用人が一様に頭を下げるので、リュートは律儀にその一人一人に会釈を返していた。
私室に入ると、ソファの前の机にあまり多くない量の軽食と、ティーポットとカップが置いてあった。こんな時間に厨房動かして、悪いことしたなと思いつつもリュートを促して二人でソファに座る。
「これ」
「準備させた。図書館から何も食べてないしな。俺は普通に腹が減った」
「……そうだね。少し、頂こうかな」
言いつつも、リュートが最初に手を伸ばしたのはティーポットだった。こぽこぽ……と琥珀色の紅茶をカップに注いで、カップを持ちあげ、その香りを感じる。
「いいお茶なんじゃない?香りが全然違う」
「俺は紅茶の良し悪しわかんねぇしな。お前がそう思うならそうなんだろ」
ティルの指示通りに一番いいアールグレイを出したのがわかる。リュートはカップに鼻を近付け、そっと口をつける。ベルガモットの爽やかな香りが部屋にふわっと広がった。
ティルは軽食に、と出された手の平サイズの卵サンドを手に取る。よく見るとリュート仕様なのか、ハムときゅうりとか、シンプルな具材のものが多い。ティルは肉の入ったサンドイッチが好きなのだが、まあ仕方ないだろう。
もごもごと口を動かしつつ、リュートの様子を見る。やはり紅茶から手を離さない。あまり食べる気がしないのだろうなと言うのはわかるのだが、食べていない様子を見ると心配になる。
「食わねぇの?」
一応聞いてみる。リュートは困ったように眉を下げて、言った。
「食欲なくて……」
「そうか。ま、無理に食うことないけどな……果物の方がよかったか?」
そう尋ねると、リュートは首を横に振った。
「実はさ」
「……」
既に嫌な予感がする。
「ここ最近、あまり食べられてないんだ。家でもポタージュとかあまり胃に残らないものばかりで……母さんが凄く心配してるから、心苦しいんだけど」
儚く微笑んで、リュートがそう言った。
(……まずい)
卵サンドを飲み込んで、ティルは思った。
(根の侵食のせいだ。リュートから生気が抜けてるってことか……?)
それでもいつもどおりに振舞えるのは、リュートの心の強さなのだろう。だが、本当に分水嶺まで来ている気がする。こんなときなのに主神は現れないし、本当に何の役にも立たない。結局頼れるのは自分だけなのだ。
ティルは部屋の内線で使用人を呼び、食事を下げさせる。残して申し訳ないと言い添えて、後は皆の夜食にしてくれと告げる。
ティーポットだけがぽつんと残った机。リュートがソファに凭れることもなく、小さくなって座っている。
前にこうしてソファに座ったときは、まだ元気そうにしていたのに。
「寝ようぜ。お前寝不足なんだろ?」
「うん、そうする」
部屋の隅にある広いベッドに二人で入り込む。エアコンの冷たい風が気持ちいい部屋で、肌布団を二人で羽織って、身を寄せ合う。
腕をリュートに差し出すと、いつかの修学旅行のときのように頭を乗せてくる。ティルの胸に右手を乗せて、リュートがぽつりと言った。
「ティル、キスしたいな」
「いいぞ、いくらでも」
リュートの顔が迫る。もう見なくても大体の位置を覚えてしまった。間違うことなくそれを探し当てた自分の唇が、リュートのそれと重なる。ここで舌を差し入れて、もっと重なり合いたいと思うのだが、それは――告白が成功した、未来の自分がすることだろう。
だが、告白する未来なんて、くるのだろうか。
リュートを守るために、友達でいなければいけないと言うのに。
ふ、と離れたリュートが、ティルの肩口に顔を埋める。はぁっとどこか融けた呼吸を落として、すりっと頬擦りをした。
「たまに思うんだけどさ」
「何を」
「俺は、何を望んでいるんだろうって」
「……リュート」
「ティルに触れたいだけじゃなくて、もっと、ってねだる自分もいるんだ」
「……」
「俺の中で、友達との境界がなくなっているような気もして」
「リュート」
「俺の望みは、きっとこういうことなのかもしれないって、思ってるんだ」
「リュート」
「ティル、俺、ティルのことが」
きっとその先は、自分が焦がれてやまない言葉に違いないと、どこか強く確信して、リュートの言葉を待つ。心臓が煩い。ああ、ひょっとするのか。自分と同じ未来を、リュートも――
だが、待てど暮らせど、リュートの言葉の続きはやってこなかった。おかしいと気付き、小さく身を起こしてリュートを見る。
洞穴を覗いているようだった。
ぞっとする背筋。震えだしそうな身体を奮い立たせ、ベッドサイドのリモコンで部屋の明かりをつける。
洞穴を、覗いているようだった。
先程まで喋っていたとは思えないほど、生気の抜けた顔。何も映さない紺色のガラスのような瞳。呼吸も薄く、目が開いているのに起きている気がしない。くたりと脱力しきった腕。
「リュート!」
叫ぶ。叫んでも返事はない。何が起こったんだ!?肩を掴んで揺さぶってみるが、人形のようにただ揺れるだけ。
「おい!いるんだろ!?出てこい!」
『……遂に、来てしまいましたか』
ふわっとベッドサイドに浮かんだのは、白い神。主神。そいつにティルは食って掛かる。
「リュートがおかしい、何が起きてる」
『淵から足を滑らせたのでしょう』
「淵?」
ティルは、リュートの話していたことを思い出す。
暗い穴の底に落ちていく夢を見ると言っていた。リュートは、自分の心の中で、そこに落ちる未来を感じ取っていたのかもしれない。そして今日、不意にその穴の淵から、落ちた。
『まだ落ち切っていません。底に辿り着けば心神喪失に至るでしょうが、まだ間に合います』
「そう思うなら助けろよ!お前っていつもそうだよな!?」
ティルが再度叫ぶ。
リュートのことを愛し子だと読んで可愛いと思っているのなら、助けたらいい。いつも傍観者みたいな顔をしてティルにあれこれ指示を出すだけ。力があるなら助けろよ。救ってやってくれよ、あいつは俺の一番星なんだ――!
「くそっ、拾い上げろって言うんだな!?」
『そうです。彼の心に、その声を届けるのです』
そう言って、主神が消えていく。
「抽象的なことばっかり言いやがって。お前マジで一回殴らせろよな!」
殴りかかりたい衝動をぐっと堪えて、ティルはベッドでぽっかりと空いた穴のようになってしまったリュートを見る。しかし声を届けると言っても。
「リュート、聞こえてんのか?」
反応はない。
「お前さ、何してんだよ。うっかり足滑らすとからしくねーぞ」
やはり反応はない。
「……ダチだろ、夏休み、まだやれることはたくさんある。思う存分遊ぼうぜ、な?」
何も、変わらない。
ぎりっと奥歯を噛みしめる。落ちている途中だというのなら、底につく前に引き上げなければいけないのに、何をどうしていいのかさっぱりわからない。
気持ちだけが急いて、どうしようもない。
失いたくない。どうしたらいい?
「……リュート」
ふと、思い出す。
――繋がれてる気が、するんだ
――現実との接点って、思ってる
仰向けに倒れるリュートに覆いかぶさって、ティルは口付けた。静かに唇を重ねていると、ふぅっとティルの唇に呼吸が触れた。慌ててリュートを見る。先程まで微弱な呼吸しかしていなかったのに、きちんと胸が上下している。瞳も徐々に焦点を取り戻して、そして。
「……ティル」
小さく名を呼ぶ声が、これほどに愛おしく、堪らないことなんてない。
「リュート!……リュート!」
がばっと再び覆いかぶさって深く深く抱き締める。離さない、もうどこにも。
「……ティルの、声がしたんだ」
「ああ」
「また怖い夢を見てさ。今度こそ目が覚めないんじゃないかって思う程、暗い所にいて」
「……ああ」
「でも、ティルの声がしたんだ。そっちの方に歩いて行ったら、明るい陽射しが見えて」
「……もういい、喋んな。わかったから」
「ティル」
少し身体を離して、鼻先にいるリュートの顔を見る。愛おしい紺色の瞳が、ティルをどこかぼんやりと見上げていた。
ともだちにシェアしよう!

