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第21話
学園祭。学内が浮かれ、楽しげな空気に包まれる。
そんな中を、陰を背負ってティルは早足で歩いていた。生徒会室に向かって。
わあわあと騒ぐ歓声が煩い。俺は今それどころじゃないんだ!
リュートの生徒会長としての最後の仕事のひとつ……学園祭の開会挨拶は、滞りなく終わった。もし檀上でいつものように意識を失ったらと思うと気が気でなかったが、そういうこともなく、無事に終わった。
終わった後、リュートは生徒会室に向かうと言っていた。クラスの出し物には参加しないとも。生徒会長として、学園祭の収支計算があるから、その準備をしないといけないし、という理由だったが、本音はクラスメイトの前で意識を失いたくない、だろう。
近頃、リュートが意識を失う回数が増えた。ティルに見えているガラス玉のような彼の心は真っ黒な根で覆われている。あの状態で学校に来て、授業を受けて、生徒会長としての仕事もして、となると、どれだけ自分の意思で立っているんだとその強さに恐れ入る。少なくとも、教室で意識を失ったことはない。そうなるとしたら、気が抜ける生徒会室。
何度、リュートを呼び戻しただろうか。だがその戻ってくるまでの時間も、段々延びている。理由はわからないが、キスの効果が薄れてきている。
事態は、悪化の一途を辿っている。
学園祭の準備の途中にセラに呼び止められ、怨霊の正体を聞いた。
この学校周辺の土地は、古くは主神を祀る神殿があり、それが滅んだ理由が、怨霊と呼んでいた太古の怪物によるものだと、神社の文献に記されていたそうだ。
その太古の怪物の名は、原初の悪。
この国を興した神々から漏れだした悪意の塊。世界の破壊を望む存在。遥か過去に主神と姫神にこの土地に封じられて以来、虎視眈々と封印を破る機会を狙っている。封印破壊の最後の一欠片が、リュートの神力。そのために、彼に楔を打ち込んだ。
思った。リュートが何をしたのだ。彼は何も――ただ、生きていたいだけなのに。
早足でももどかしくて小走りで駆け抜け、生徒会室の扉を開けると、そこには――光の抜けたリュートが、珍しく妙に姿勢正しく座っていた。落ちると脱力するのだが。
「っ!リュート!」
慌ただしく扉を閉めて、リュートに駆け寄る。肩を揺さぶっても反応がない。ティルがいない間に何もなければいいのにと思っていたが、そんな期待は浅はかだと言わんばかりだ。俺はもう神も運命も信じないぞ、と内心で切れる。
(……戻ってこればいいが)
そっとリュートにキスをする。細い呼吸が、少し回復して、ふっとリュートの瞳に光が戻った。はぁ、と息を吐く。よかった、戻ってきてくれた。
目を細め、口角を上げて、どこまでも美しい微笑みをリュートは浮かべる。それを見た瞬間に心底嫌な予感がしたのは、多分気のせいではない。
(――死相だ)
直感的に浮かんだその言葉に背筋が冷える。何てことを考えるんだ、リュートは死なない、何度だって俺が引き上げる。そんな不吉な考えは今すぐ捨てろ!
「……ティル」
か細いリュートの声。聞き逃すまいと、ティルはリュートの側に椅子を寄せ、肩を抱き寄せ、何だ、と優しく問いかけた。
「これが、きっと最期になる」
「……は?」
今、何と言った?
「ティル、俺、知ってたんだ」
「何を」
「ティルが、何かを知っていて、俺を助けるために振舞ってたこと」
「……!」
「実際、助かってたんだ。ティルは俺の朝陽だった――でも、もう奴の方が、強い。光が届かない程、黒い雲で覆われていて。俺ひとりではもう勝てないんだ」
「リュート、お前……何を言ってるかわかってんのか」
声が震える。涙が浮かぶ。本気で、マジで、何言ってんだお前は。
「ティル」
「何だ」
リュートの言葉を引き延ばしたくて、無意味に疑問を返す。もぞっと腕の中で動いた彼は、どうもティルを見ているらしい。そちらを向くと、本当に綺麗な笑顔で笑っていた。
「泣かないで」
「無理に決まってんだろ、お前――お前を」
「ティル」
「何だ」
「――」
「何でもいい、何でもいいから声聞かせてくれっ……!」
「――」
唐突に、終わりが訪れた。本当に唐突だった。名前を呼んで、何かを言おうとしていた唇は、静かに引き結ばれ、昏い瞳が、何も映さずそこにあった。
息が詰まる。引き付けるように息を吸って、反射的にいつものように唇を重ねた。冷たい。駄目なんだ、と察した。もう、もう。
「う……うわあああああああああ!」
ぎゅうっと中身のないリュートの身体を抱きしめて、叫ぶ。こんな形で失うなんて、誰が思う?
生徒会室まで響く学園祭の音が、音が……こいつの挨拶で始まった学園祭は続くのに、こいつは終わるのか?どうして?
「ああああああああああ!」
もう涙すら零れない。心がただ叫んでいる。半身を失ったかのような痛みに、全身で泣いている。
「リュート、リュート……!」
もう怖くて彼の顔を見られない。瞼の裏に残る顔は、ティルがこうなることを予想していたかのような、リュートの綺麗な笑顔で。最期の最期まで、あいつはただティルに爪を立てていく。
「リュートっ……!」
ぎゅうっともう一度抱き締め、混乱したまま引き寄せた彼の身体を椅子に戻す。何をやっているんだ、俺は――と、ふと。リュートを見る。
抜け殻になって力が抜けているはずなのにどうして姿勢は綺麗なままなんだろう。あいつは落っこちるといつだつて脱力しているのに。
「……」
ティルは、一瞬自分の思考にひっかかる。そうだ、本当に、終わったのか?まだ身体に力が残っているから、ひょっとして、まだ終わってないのではないか。
ティルは、リュートの身体を見る。リボンタイの下あたり、真っ黒に染まったガラス玉。だが、まだ形を保っている。割れていない。砕けていない。まだ、リュートは自身の内側で戦っているのではないか?
だが、キスは届かなかった。それは、リュートの内側を侵食する原初の悪が光を遮っているから。ならば、もっと強い光なら届くのではないのか。
ふと、脳裏によぎる。
(……あいつは、あのとき何を言おうとしていたんだ)
ノイズシュタイン邸に泊まったとき。ティルのことが、で止まった言葉。
もしそれが――自分の自惚れでないのなら。今のリュートが心から求めている言葉は、友達の保証ではないのではないか。友達のティルから貰うキスだから、駄目なのではないのか。
リュートの心にもう一度それで火を灯せるのなら。でももしこの仮定が間違っていて、友達であることを否定されたと取られたら?
(……それはない。あいつはさっきだって、最期に伝えたいと思って、俺の名を呼んだんだ)
身体に力が戻る。ぐいっと涙を手の甲で拭って、見るのも恐ろしい空虚なリュートの顔を見て、肩を掴んで、ティルは大きく息を吸った。
思い込みでもいい。伝われ!
「リュート。俺……言いたいことは山ほどあるんだけど、全然纏まんねぇんだ」
ぐっとリュートの肩を握る。
「だから、一個だけ言わせて欲しい」
光のない瞳を見据えて、告げる。
「――愛してる。どうか俺と一緒に生きて欲しい」
ぶあっとリュートの身体に体温が戻る。瞬間、真っ黒だったガラス玉が内側から明るい火を灯し、黒い根を焼き払う。そして、初めて見る、リュートの心に刺さった黒い楔。また根を伸ばそうと黒い筋を伸ばすが、内側から燃える火がそれを燃やしていく。
呆気に取られてそれを見ていると、力強い、いつも聞いていた声がした。
「ティル」
はっと顔を上げる。
灰金の髪、彩度の低い紺色の瞳。神の被造物と言われても納得するその美しい顔。血の気の通った明るい肌色。
「リュート!」
「ティル!」
両腕を互いに伸ばして、抱き合う。力を込めて、もう離すまいと。
「ティル……ティル!」
「リュート、お前……」
ぎゅうっと抱き合ったまま、離れた一瞬を埋めるように声を紡ぐ。
「お前、よく……!戻ってきて、よかった……!」
「うん、うん……!ティルの声がした。俺、俺」
「ああ、いい。何でもいい。喋っててくれ。お前の声が聞きたい」
「ティルの声がした。俺、本当に嬉しくて……何か燃えたんだよね」
「……折角の場面だ。何か燃えたんだよね、は言い直せ」
「無理。思いつかない。そのとおりだもん」
そっとリュートが離れていく。名残惜しくて彼の手を取って、指を絡めた。
少し離れて見るリュートは、すっかり血色がよくなっていた。夏休みから見ていたどこか青白いリュートではなくなっていて。本当に根を蹴散らしたんだなと、ティルは少し安心する。
それから、はっと思い出す。
「リュート」
「何?」
「俺さ、お前に告ったんだけど」
「……そうだね。ちゃんと聞いてたよ」
「返事」
「え?」
「返事。寄こせ。今すぐ」
「ええ?」
リュートが珍しく頬を紅潮させ、気まずそうに視線を逸らす。逃がすかと彼の頬を両手で包んで、ティルの方を向かせる。潤んだ瞳がティルを見つめていた。
「リュート、愛してる」
「……俺、」
「何だ?」
「俺も、たくさん話したいことがあるんだけど、纏まらないね。こういうとき」
「そうだな。よくわかるよ」
「ティル」
「何だ?」
「大好き――俺も、愛してる。誰よりも、何よりも」
「友達じゃねぇの?」
「意地悪!」
リュートの右手がティルの太ももを叩く。全然痛くない。頬を包んだ両手を解いて、代わりに顎を取って、少しだけ上を向いてもらう。もう躊躇わない。
キスをする。ここから先はと止めていたこともすっかり忘れて、舌先でリュートの唇を割り、彼の舌を捕まえる。
「んうぅ」
くぐもった喘ぎ声が脳天から下半身までを刺激する。角度を変え、子供が貰った飴玉を大事に転がすように、優しくリュートの口内と舌をなぞっていく。ふっ、と苦しげにリュートが息を吐いたのに合わせて、解放する。
「……ティル」
「俺、もう遠慮しねぇしな」
「……俺も、お預けくらってた分、ちゃんと貰うからね」
「取り立てかよ。怖ぇな」
ふふ、と二人で笑う。ああ、何と愛おしい時間。
気付けば夜の帳が下りていて、グラウンドのキャンプファイヤーの炎が、生徒会室を薄っすらと照らしていた。二人で窓際に寄って、それを眺める。
「後夜祭か」
「そうだね。みんな踊ってる」
「俺らも踊るか」
「ここで?」
「下行きたいか?」
「……ティルと一緒なら、どこでもいい、かな」
「可愛いな、本当。お前って」
リュートの腰を引き寄せ、手を取って。
幸せな笑顔を浮かべて、二人は踊った。ダンスホールは、生徒会室。
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