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Chapter20
「......ナギ」
ーーまたか。
また、この声か......。
奈義は歩く速度を緩めた。
久しぶりに聞いた紫音の声。
幻聴だ。
そう思った。
けれど、
今日のそれは、妙にリアルだった。
「......ナギ!」
「......ッ!?」
今度ははっきりと名前を呼ばれ
奈義は足を止めた。
その瞬間。
「...ぶッ......っ!!」
何かが背中にぶつかって鈍い痛みが走る。
ーー......は?
「ッう...いってぇなぁ!!」
ーー紫音の声がする。
......何で!?
奈義は勢いよく振り返った。
「急に止まんなよ!!」
「......ッ!!!」
そこにはーー
見間違うはずがないアッシュの髪。
チャコールの凛としたスーツに身を包んだ紫音が、鼻を赤くしてこちらを睨み付けていた。
「......紫音!?!?」
「............。」
「............。」
一瞬...
互いに言葉を失った。
紫音の顔から目が離せない。
......。
「......やっぱ」
「......?」
「ナギだった...。」
紫音は赤いままの鼻に皺を寄せて笑った。
「......久しぶり。」
目元を緩めてそう言った紫音は
何も無かったように歩き出した。
「......おう。久しぶり。」
つられて奈義も歩き始める。
「仕事帰り?車じゃねぇの?」
「......今日は出張帰り。」
そう言って奈義は手に持ったスーツケースを少し持ち上げた。
頭が、まだ状況に追いつかない。
「へー。何処まで?」
ーーあぁ......。
紫音がいる......。
「名古屋。」
「......ってかスーツ似合わねぇ〜。」
「......うるせぇ放っとけ!」
もう............
声なんてかけてもらえないと思っていた......。
「そっちは......? 仕事帰り?」
「...おう。」
紫音は短く答える。
心臓がうるさい。
「......。」
「......なぁ、ナギ。飯まだ?」
「まだ。」
「飯食いに行かねぇ?」
紫音は奈義を見上げた。
「腹減って死にそう。」
相変わらず綺麗だと思った。
「何食う?」
「ラーメン!」
「即答かよ。」
この顔でクールかと思ったら無邪気で
ガキ臭くて......。
「しばらく食ってねぇから!」
あぁ......。
オレの知ってる紫音だ......。
「じゃぁ駅前のうまい店連れてってやるよ。」
「おけ。」
久しぶりなはずの会話。
破綻したはずの関係。
聞きたい事を山ほど飲み込んで
二人は赤い暖簾をくぐった。
ーーー
店内は狭くて古くて油が染み付いていて、
いかにも美味そうなラーメンが出て来そうな雰囲気だ。
顔立ちが日本人離れしている紫音には少し不釣合いかもしれない。
けれど。
こういう店が紫音は一番好きなのだと知っていた。
紫音はカウンター席に座るや否や
「チャーハンセットとーー、チャーシュー丼とーー、替え玉一つ!」
と言い放ち
「お嬢さんそんなに食えんの?」
と大将に呆れられていた。
「ははは...! とんだお嬢さんだな...!」
奈義が堪えられず笑うと、
盛大に顔を赤くして睨んで来た。
だが、
これを本当に全部平らげてしまうのだから恐ろしい。
ドカンと目の前に置かれたラーメン丼に目を輝かせている姿は、ガキ以外の何者でもなかった。
「ーー〜〜ッッんまっ!!」
「ハハっ」
本当、うまそうに食うんだよな......。
............。
『もう、こんな関係終わりにしたい。』
............。
ホント、美味そうに食ってて安心した。
奈義は目の前のラーメンに
なかなか手をつけられなかった。
何度も何度も紫音の顔を盗み見た。
2人が店を出ると、時刻は20時を過ぎる頃だった。
週末の商店街は2軒目へ梯子する酔っ払いや、残業終わりの人でなかなか賑わっている。
2人はしばらく無言で歩いた。
奈義のスーツケースを引きずる音だけが、
妙に耳につく。
「......じゃ、オレ、こっちだから。」
と言って立ち止まったのは奈義だった。
「......そか。」
紫音は足を止めて少し俯いた。
ーー新しい電話番号......
と言おうとして奈義は言葉を引っ込めた。
聞いてはいけない。
紫音には新しいパートナーがいる。
半年ほど前に見かけたセレブそうな男が脳裏に蘇った。
「紫音。」
何となくこれで終わりにしなければ
ならない気がした。
終わりにしなければ
また紫音が欲しくなってしまう......。
2年分の空白に嫉妬して
同じ事を繰り返してしまうかもしれない......。
「......ん?」
紫音は視線をこちらへ向けた。
奈義は少し下唇を噛んでから
意を決して口を開く。
「じゃぁ......幸せにな......!」
精一杯の笑顔は
込み上がってきたものに
押し潰されてしまったかもしれない。
「ーーッッ!!」
紫音に背中を向けて一歩踏み出す。
ざわざわ人が通り過ぎて行くのが
何処か遠のいて聞こえた。
ーーこれでいい、
......これでいい。
そう思っていたーー
「......何で...!!」
ーー......え?
奈義は後ろを振り返った。
紫音の目から一つ、また一つと
涙が溢れて行く。
「......何でお前が
そんなこと言うんだよ......!!」
奈義はギョッとして足を止めた。
「......忘れ...よと...してるのに......!」
ーーえ? え?
紫音は唇を噛んだ。
「何で......」
語気に怒りが籠る。
「何で俺の人生から
出ていかないんだよぉぉぉッッ!!!」
大絶叫だった。
涙でしわくちゃになった顔を隠しもせず、
わぁっと紫音は泣き崩れた。
「えぇッ!?
......し、し、紫音!?」
「うわぁぁぁぁん......!!」
せき止めていたものがいっきに決壊するような、悲鳴にも似た声だった。
「ちょ、ちょっ! ...おまっ!」
奈義は慌てて紫音に駆け寄り、肩を支えた。
通りすがる人が何事かと振り返り、辺りがざわつき始める。
「…… y、you...る...じん、せぇ……っズッ...!」
「......お、おぉ。」
「メチャ...ク ...に、しといてぇ!!」
紫音の右手は、痛いくらい奈義の背広を掴んで離さない。
「……な、なんで……っ! Why……っ! なんでッ...忘れられないんだよぉぉッ……!!」
もうしゃくり上げて何を話しているのか
英語なのか日本語なのかも分からない。
「おい、紫音、こっち!」
奈義は泣きじゃくる紫音の手を引いて
人気のない路地に移動した。
「ヒック......ズッ......ハッ...うぇっ...」
路地に移動しても紫音は奈義の胸に額を当てて肩を震わせ続けた。
「何で......何でぇ......ヒッ......ズッ。」
ドン!
握りしめた手で奈義の胸を叩く。
「ーー!!」
「I h...hate ...you......!!」
絞るような声。
奈義は黙ってそれを聞いていた。
「......うん。」
「I...I... hate you!!」
「......ごめん。」
「I hate you......!!」
「ごめんって...。」
奈義は胸を叩かれながら
少し躊躇いつつ紫音の背中を撫でた。
「うぇっ...うえぇぇん......!」
「分かったから......
そんなに泣くなよ......。」
まるで幼い子供のように紫音は泣き続ける。
その背中をそっと宥めるように撫でながら
奈義は自分の罪の深さを実感していた。
時刻は20時15分
誠一郎が帰国するまで
残り1時間を切ろうとしていた。
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