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第3話 - 1
「おはようございまーす」
朝のオフィスは、人もまばらだ。ところどころ眠そうに返ってくる挨拶に応えて、自分の席につく。
くぁ、と込み上げた欠伸を噛み殺して、パソコンの電源を入れる。今日は少しスケジュールが詰まっている。お昼から担当作家である、針乃の自宅で打ち合わせ。その後、めでたく読み切り掲載でデビューが決まった、新人作家の翔太を訪ねて、報告と今後の予定確認。最後は、大御所作家である財前の仕事場へ行き、作画資料の撮影協力だ。
青年コミック編集部で編集に携わるようになって、もう八年になる。
この八年の間にも、漫画を取り巻く環境はいろいろと変化した。デジタル作画はすっかり一般化し、電子コミック市場も無視できない規模に成長した。紙の原稿を編集部へ持ち込むことなく、投稿から連載までデジタルだけで完結する若手作家も、今では珍しくない。
技術の進化だけではない。コンプライアンス意識の変化や、流行のジャンルなど、常に世間の動向にアンテナを張っていなければならない仕事である。作家の先生方に心置きなく創作へ打ち込んでもらうためには、時代への柔軟な対応力や、知識のアップデートが必要だ。
よし、と小さく気合を入れる。今日も自分にできることを、精一杯やろう。まだ眠気の残る頭を覚醒させた。
そういえば、と自分の隣の席を見る。この春から、俺が教育係を務めることになった、この部署に異動して間もない雄大が、まだ来ていない。
始業までまだ五分あるので遅刻ではないが、普段なら十五分前には出社して、既に仕事の準備を始めている彼にしては珍しいことだった。
雄大は真面目な青年である。元々営業部にいただけあって、礼儀正しく、仕事の覚えも早い。漫画はほとんど読まないと言っていたのに、うちに来てから勉強したのか、今や作品名を挙げるだけでネットの情報ページより詳しく説明できるほどになっている。
本が好きで、ずっと編集業に憧れていたのだと言っていた。希望した文芸編集部とは違う部署に配属となったが、腐って仕事を疎かにする様子もない。自分と重なる部分もあり、その頑張りからも、つい贔屓目に見て応援したくなるような青年だった。
それから……。
雄大は異動初日から、「俺があなたを守ります」と言って、何かと俺を気にかけてくれた。守るとか、誰にもいいように使わせない、とか、彼の主張が何を指すのかは、正直なところよく分からなかったが——それからというもの、彼は俺に代わって同僚の頼みを毅然とした態度で断ってくれたり、作家の先生からのとんでもない要求を、突っぱねてくれたりするのだ。
自分が人の頼みを断りづらい、意志の弱い人間だという自覚はあった。だが作家の先生たちのように、何かを生み出すような才能もなく、大切にすべき家族や恋人もいない俺のような人間が、誰かの役に立てるのなら、それでいいんじゃないかと思っている。たとえ残業が明らかな仕事量でも、あまりにも恥ずかしくてさすがに抵抗があるような要求でも、俺だけが頼りだと言われれば、断る理由なんてなかった。
その結果どんな目に遭ったとしても、今更である。こんなのはもう慣れっこで、なんてことはないというのに。それでも。
……自分のような人間を気遣い、守るとまで言ってくれた人は、雄大が初めてだった。
彼の優しさが、最近ほんの少しだけ心地よくて、このまま一緒に仕事をする時間が少しでも長く続けばいいのにと、そんなことを考えてしまうのだ。
いよいよ始業という時間になって、やっと雄大が現れた。
「おはようございます、陸さん」
「雄大くん、おはよう。遅かったね……雄大くん?」
声をかけられ、振り向いた俺は、そこにいた雄大のあまりにも異常な様子に、唖然とする。顔は真っ青、目は虚ろ、足取りも怪しくフラフラしていて、今にも倒れそうだ。
「雄大くん⁉︎ どうしたの……⁉︎」
「すみません、ちょっと体調を崩してしまって……でも大丈夫です」
「大丈夫じゃないよね⁉︎」
いつもきっちりと身なりを整えている彼が、今日はなんだかガタガタだ。髪は寝癖が残っているし、眼鏡もちょっとずれているし、おまけにワイシャツもアイロンがかかっていないのかしわくちゃで、ボタンの留め方も途中で一個飛ばしになっている。
絶対におかしい。心配になって雄大の額に手を伸ばす。
「熱っ、熱い! 雄大くん、熱があるよ! 今日はお休みして!」
あまりの高熱に驚いてしまった。雄大は俺の手が冷たくて気持ち良かったのか、離れていくそれを名残惜しそうに見た後、今日はお休み、という言葉を聞いて、突然険しい表情になった。
「いえ、大丈夫です。休みません」
「ダメだよ、このまま仕事したら倒れちゃうよ」
「絶対休みません……! 今日だけは、休むわけにはいかないんです……!」
真面目な彼の性格ゆえなのか。意地と根性で自分の席に座ろうとするが、足がもつれてその場に崩れ落ちてしまう。俺は慌てて彼に駆け寄った。
「編集長、すみません! 俺、雄大くんを家まで送ってきます」
許可をもらい、雄大の体を支えてオフィスを出る。
体の大きな雄大を支えるのは一苦労だった。なんとか社用車の助手席に雄大を押し込んで、運転席に乗る。
「すみません、陸さん……」
「いいよ、気にしないで。疲れが出たのかな……編集長には休みの許可もらったから、ゆっくり休んで治してね」
「はい……」
弱々しく返事をすると、雄大は限界だったのか、目を閉じてぐったりと動かなくなった。予め聞いていた自宅の住所をナビに登録し、車を発進させる。
雄大の自宅までは、車で三十分ほどだった。真新しいマンションの、来客用スペースに車を停めて、肩を貸しながら雄大を助手席から降ろす。
足元がフラついて危なっかしい彼を支え、部屋まで辿り着いた。鍵を開けてもらい、中に入る。
いつもデスクの上をきっちり整理整頓している彼らしい、整然と片付いたモデルルームのように綺麗な部屋だった。もしかしたら家族や恋人と暮らしているかもしれないと思っていたが、一人暮らしらしく、間取りは一部屋で、リビングにベッドが置いてあり、寝室を兼ねているようだ。
そのベッドの傍らまで雄大を連れて行くと、苦しそうに横たわった彼は、薄く開いた目でこちらを見上げた。これから休むのに、眼鏡が邪魔そうだ。
「雄大くん。眼鏡、外すよ」
「はい……ありがとうございます」
弱々しく答え、されるがままの彼から、そっとその眼鏡を抜き取る。レンズの下から現れた、何も隔てない彼の瞳を見て、どくりと、心臓が妙な音を立てた。
他人の眼鏡を外すなんて、そうそうすることではない。それこそ恋人同士でもなければ……変なことを考えてしまい、ますます心臓が妙な音を立てる。外した眼鏡を慌てて枕元に置いた。
時計を見ると、もうすぐ十時だ。こんなに苦しそうな雄大を置いて仕事に戻らなければいけないのは気が引けるが、しかし自分の仕事に穴も空けられない。
枕元に近づいて、苦しそうな雄大の頭を撫でながら、そっと囁いた。
「雄大くん、何かあったら連絡して。仕事の後、また様子を見に来るから。鍵をかけていくから、少しの間借りるね」
「陸さん……」
「なに、雄大くん」
熱で朦朧とした様子の雄大が、何か伝えようと自分に向かって手を伸ばすのが分かった。その手をきゅっと握ってやる。相変わらず心配になるほどの熱さだ。
「お願いします、今日の仕事……」
「うん?」
「今日の仕事は……嫌なことは、ちゃんと断ってください……」
「!」
こんなに苦しそうにしているのに、雄大は、自分のことより俺を心配している。なぜ、そんなに俺のことを気にかけてくれるのか……信じられない思いで、彼を見る。
「俺の知らないところで、陸さんに何かあったらと思うと……お願いします、約束してください、陸さん……!」
必死な様子で、俺の手をぎゅっと握り返しながら、雄大が言う。その熱い手の感触に、誤魔化しようもないくらい、心臓がドキドキした。
「うん……約束するよ」
この感情を、深追いしてはいけない気がした。雄大を安心させるようにそう答えて、手を離す。
雄大の熱が移ってしまったのか、顔が熱くなった気がした。
針乃の仕事場兼自宅マンションに到着する。エントランスを抜けて、部屋の前でインターホンを鳴らした。
やがて中から開錠の音がして、玄関の扉が開く。
「はいはい、お疲れ様でーす……あれ、陸さん。新人くんは?」
寝癖そのままのくしゃくしゃな金髪を手で掻きながら、中から針乃が出てきた。俺の隣に、このところずっと一緒だった雄大がいないことに気づいて、目を丸くする。
「お疲れ様です、針乃先生。すみません、本日佐藤は体調不良のためお休みで……」
「マジ⁉︎ ラッキー! 陸さん、早く上がってください!」
「え、あ……」
針乃は俺の腕を掴むと、家の中に引き入れて、ずんずん先に進んでいった。かろうじて玄関で靴を脱ぎ、腕を引っ張られるまま、針乃の後をついていく。
「いやー、今日はどうやって追い払おうかと思ってたから、助かった〜」
何やら上機嫌でそんな独り言を言うと、針乃は仕事場を通り過ぎて奥にある物置まで俺を連れて行った。
「針乃先生……?」
いつも針乃が俺に無茶な要求をする時の部屋である。少しだけ身構えていると、針乃は物置に置かれたスチールラックで、なにやらゴソゴソと探し物を始めた。
やがて両手に例のアイマスクと拘束具を持って、ニッコリ笑いながら俺に向き直る。
「じゃあ、打ち合わせ始めましょっか、陸さん♡」
「あ、あの、針乃先生……打ち合わせですよね?」
針乃は鼻歌を歌いながら、後ろ手に俺を拘束した。今はアイマスクを頭から被せて、俺の視界を奪おうとしているところだ。
「そうですよぉ、忘れちゃいました? 陸さん、打ち合わせではいつもこの格好だったじゃないですか」
「そ、そうでしたっけ……」
確かに針乃の言う通り、毎回何かと理由をつけていつの間にかこの格好にされている気はする。『痴●プレイがどういうものか試したい』とか、『オモチャの刺激でどれくらい快感を感じるのか知りたい』だとか、漫画のネタとして必要性を説かれてのことだったが、理由もなくいきなりというのは初めてじゃないだろうか。
これから何をするつもりなのか、不安に思った俺は針乃に尋ねる。
「あの、針乃先生……今から、何をするんですか?」
先ほど、熱にうなされる雄大とも、嫌なことはちゃんと断ると約束したばかりである。あまりにも恥ずかしいことを頼まれるようなら、今日こそはちゃんと断らなければ。そう思って、恐る恐る針乃を見上げる。
針乃は俺にアイマスクをつけようとした格好のまま、ニッコリ笑うと、軽い口調で言った。
「今日はゲームをしましょう、陸さん」
「ゲーム?」
「そう、楽しいゲーム。だから、そんな心配しなくていいですって」
針乃はニコニコと笑っている。何か企んでいるようには見えないけれど、ゲームをするのに、なぜこんな格好をする必要があるのだろう。
まだ警戒を解かない俺に、針乃は困ったような顔で口を開く。
「次の話を描くために、どぉーしても、このゲームが必要で……陸さんにしか頼めないんですよ。お願いできませんか?」
「う……っ」
作品を描くために必要。俺にしか頼めない。懇願するような顔でそんな風に頼まれると、どうしても断りづらい。
「わ、分かりました。変なことじゃなければ、協力します」
「そうこなくっちゃ!」
針乃は張り切った声で言うと、頭に被せていたアイマスクを下ろして、いよいよ俺の視界を奪った。突然暗闇の中に放り込まれ、心許ない気持ちになる。両手を背中で縛られており、自由に動けないことにも不安が募った。
針乃は再びゴソゴソと物音を立てて、何かを準備しているようだ。近くなったり遠くなったりする声で、俺に説明する。
「次の話は、フェラチオをメインに描こうかなって思ってて〜」
「⁉︎ ふぇ……って、まさか!」
「いやいや、さすがにさせないですから! そこまで鬼畜じゃないですからね、俺」
針乃は心外だというような声で話しながら、俺の目の前へ戻ってくる気配がした。顎に指が触れ、ぐいと上を向かされる。
「……っはぁ〜、エロ……陸さん、なんで目隠しだけでそんなエロいんすか」
「え? ……ん!」
突然、唇の隙間から何かが押し込まれる。舌の表面をぐりぐりと擦る、少しカサついた人肌の感触。この感触は、おそらく針乃の指だ。
「んぅ……っ、んっ、ぅ」
針乃の指は俺の口の中を無遠慮に蠢いて、歯列をなぞったり、喉の奥まで突いてきたりした。苦しさにうっと呻いて、アイマスクの下で涙が滲む。
口を閉じられないせいで、飲み込めなかった唾液が口からこぼれそうになった。慌てて口を窄めて、指を吸い上げるような形にする。
「んむぅ……」
「はぁ、マジでエロい……」
「ん……? んん……」
「陸さん? これ、何か分かります?」
「ん……ゆひ?」
「何指?」
「……ほやゆひ?」
「せいかーい」
針乃の親指が、窄めた口からちゅぽんと音を立てて引き抜かれる。ずっと口の中に異物を突っ込まれていたせいで、息苦しい。ハァ、と吐息を漏らす。
「こんな風に、今から口の中に入れられるものが何かを当ててください。ルールは、歯を立てないこと。口の中のものがなくなってから喋ること。分かりました?」
「ん……はい」
「じゃあ一問目、陸さん、口開けて」
言われるまま、恐る恐る、口を開ける。何を入れられるのだろう。変なものじゃないといいけど。ドキドキと緊張しながら待っていると、開いた口の隙間に、再び針乃の指らしきものが挿し込まれた。
「んむぅ……」
今度は親指だけではなく、人差し指も一緒に入ってきた。二つの指で何かを摘んでいるようだ。この間にあるものを当てればいいのだろうか。
しばらく針乃の指が離れるのを待っていたが、針乃は俺の口に指を入れたまま、動こうとしない。口を開いたままにしているので、だんだんと唾液が溢れそうになる。ぎこちなくゴクンと喉を鳴らして飲み下すが、飲みきれないぶんが口の端を伝って落ちる。
もしかして、このまま当てろということだろうか。変化のない時間に耐えかねて、恐る恐る、俺は自分の舌を動かしてみた。
口の中に挿し込まれた針乃の指の間に、何かある。何だろう、これ。少し硬くて、溶けてる……?
「ん……ん、む」
口の中にじわりと、甘くてほろ苦い風味が広がる。少しずつ溶けて舌に広がるこの味は、チョコレートだ。
「ん、ぅ……んっ、はぁ」
答えはもう分かったけれど、針乃の指は一向に動かない。さっきルールにあったように、口の中の物がなくなるまでは、喋らせてもらえないのかもしれない。
とにかくチョコレートがなくなるようにと、俺は必死に舌を動かしてその固形物を舐め溶かした。時々、チョコレートを摘んでいる針乃の指にまで、舌が当たってしまう。
「んん……っ」
指とはいえ、人肌同士が触れ合うと、妙な気分になりそうだった。なるべく無心で、チョコレートだけを舐める。
やっとチョコレートの原型がなくなったころ、針乃は指を引き抜いた。
「はぁ、はぁ……」
つ、疲れた……。ずっと口を閉じられなかったので、顎が痛いし、唾液もかなりこぼれている。きっと酷い顔をしているだろう。口を拭いたいのに、手を縛られているせいでそれも叶わない。
「どうでした? 陸さん。今の何か、分かりました?」
「ん……、ちょこれーと……」
「正解、よくできました」
子どもをあやすような口調で言って、針乃がティッシュか何かで口の周りを拭いてくれる。
「ちょっと簡単でしたね~、じゃあ、次の問題」
「へ……? あ、ん!」
再び針乃の指が口の中に挿し込まれた。ヒヤリとした冷気が口の中に広がる。さっきチョコレートを摘んでいた指は、今度は氷のように冷たくて、丸く大きい何かを掴んでいた。
甘く爽やかなフルーツの味がする。多分、これはアイスキャンディだ。口に入れた瞬間すぐに溶け始めたそれは、飲み込む間もなく、せっかく拭いてもらった口元にどんどんこぼれてしまう。
「んん……っ」
きっと口元はベタベタだ。床にも落ちたかもしれない。これ以上汚してはいけないと思って、俺は必死にそのアイスキャンディを舐めしゃぶった。口や舌を動かすたび、静かな部屋にちゅ、ちゅぷっと唾液の水音が響く。
「ん、んむ……んっ」
「ハァ……そんなに必死に舐めて、エロすぎる……ヤバい、ちんこ痛ぇ……」
「んんっ⁉」
何やらとんでもない発言が聞こえて驚いてしまう。ちょうどアイスキャンディも完全になくなったところで、口の中は針乃の指だけになった。
口から出て行くだろうと思った針乃の指は、徐に俺の舌を掴んだ。
「んむぅ……⁉」
そのまま、軽く舌を引っ張られて、親指の表面で舌の表面をぐりぐりと嬲られる。
「んぁ……っ、んっ、ん!」
な、なんだこれ……きもちいい。舌の上で蠢くざらついた指の感触に、ビクビクと体が震えてしまう。針乃はそのまましばらく俺の舌を弄び、やっと指を引き抜くと、興奮し切った吐息をハァ、と漏らして俺に言った。
「陸さん、二問目の答えは?」
「はぁ……はぁ……あ、アイスキャンディ……」
「何味?」
「んぇ……?」
まさか味まで聞かれるとは思っていなかった。爽やかな、柑橘系のフルーツの味だと思うけれど。キャンディがなくなってから随分舌を嬲られていたので、もうよく思い出せない。
体中が痺れるような感覚が、まだ抜けない。もじもじと身を捩りながら考える。
「……レモン?」
「ブッブー! 残念! 正解はグレープフルーツでした! じゃあ最後の問題、これ外したら罰ゲームってことで」
「え、えぇ……⁉」
そんなの聞いてない。罰ゲームって、一体何をするつもりなんだ。不安に思って問い詰めようとするが、俺が何か言う前に、その口を塞ぐように勢いよく何かを突っ込まれた。
「んむ!」
太くて、長い。口の中に入った瞬間、それが何か分かってしまう。
「んーっ、んむぅっ、んっ」
ぬるりとした、生々しい感触を舌に感じる。針乃は俺の口に突っ込んだ、その太くて長いものを、勢いよく動かして口の中に出し入れした。
「んっ、んぅ、ん」
もう唾液を飲み込む暇もない。時々喉の奥に届くほど深く突っ込まれて、苦しさにうっと呻く。アイマスクの下でじわりと涙が滲む。
「イイ……! 陸さん、最高! あっ、そのまま、そのままお願いします! キてるキてる……降ってきてますよ、ネタが‼」
興奮したような針乃の声が聞こえる。もう自分の意志ではどうにもできない。逃げようと首を後ろに引いても、針乃が追いかけてきて、もっと深く口の奥までそれを突っ込んでくる。
苦しい。もう限界だ。頼むから、早く抜いて……! 顎の痛みと息苦しさで、膝がガクガクと震えてしまう。
真っ暗な視界に、ふと、雄大の顔が浮かんだ。もし彼がここにいたら、きっと自分を助けてくれたと思った。
俺なんかのことをいつも心配してくれて、優しくて……彼の顔が浮かんだ瞬間、体の芯が急にビリッと熱くなる。
何だ、今の……⁉ 自分で自分の反応に驚いているうちに、さっきまで苦しいだけだったはずの行為が、突然全く違う感覚に反転する。体が痺れてビクビクと震え、身悶えるほどに熱く感じられた。
「んむぅ……っ、ん、んんっ」
無意識に、その太くて硬いものに舌を絡めている。じゅっ、じゅっと下卑た音が鳴った。まさに、口淫そのものの音だった。
「ああ~っ! 陸さん! マジでエロい、最高……! さあ、最後の問題の答えは⁉」
針乃は興奮しきった声で言うと、俺の口からずるっとそいつを引き抜いた。やっと解放され、はぁ、はぁと荒く呼吸する。唾液を垂らしながら、息も絶え絶えに答えた。
「ば……バナナ……」
「正解~!」
やっとアイマスクが外される。急に明るくなって眩しい視界の中、現れたのは、ニッコニコ顔の針乃と、その右手に握られた、皮の剥かれたバナナだった。
社用車に戻った瞬間、はぁと大きな溜息が漏れる。
今しがた針乃の元で起こったことを思い返す。結局、散々な目に遭ってしまった。まだ顎が痺れている。今朝雄大とした『嫌なことはちゃんと断る』という約束は、果たして守れていただろうか。
もちろん、本当に嫌なことをされたわけではない。少なくとも、針乃が言ったとおり、実際に口淫をさせられたわけではないのだから。
……それでもやっぱり、今日のことを雄大が知ったら、怒ってしまうような気がした。
怒るといっても、俺にではない。俺を守れなかった自分と、針乃に対してである。
「………」
雄大は、優しい。俺なんて別に、そこまで大切にされるような価値のある人間でもないのに。いつも俺のために怒って、俺のことを気遣って、色々考えてくれる。
雄大のことを考えると、心がふわふわと心地よい風にさらされるような気がした。また顔が熱くなる。いよいよ彼の熱がうつってしまったのだろうか。
車を走らせて、次に向かったのは翔太の家だ。
玄関でインターホンを鳴らすと、扉の向こうから慌ただしくこちらへ近づいてくる足音がした。やがて扉が勢いよく開いて、中から翔太が飛び出してくる。
「陸さん! 俺の漫画、掲載してもらえるって本当ですか……⁉︎」
長く伸ばした前髪の隙間から、こちらを見る目がキラキラと輝いている。
郵送投稿で送られてきた彼の作品と出会ったのは、一年ほど前だ。そこから、人見知りの激しい彼に心を開いてもらうまでに数ヶ月。更に作品の方向性を固めるまでに数ヶ月。ネームを完成させるまでにまた数ヶ月。
長い時間を共に過ごし、やっとチャンスを手にした彼の、その幼い少年のような瞳の輝きを、眩しいと思った。
俺は微笑んで、力強く彼に頷き返す。
「うん。おめでとう、翔太くん!」
みるみる泣きそうな笑顔になっていく翔太に、こちらまでもらい泣きしそうになってしまう。
また一人、作家となる先生の、はじめの一歩を踏み出す場に立ち会うことができて、俺も嬉しかった。翔太はこれからきっと、誰もが知る偉大な漫画家になるだろうと、そんな予感がした。
編集会議で出たネームの修正案や、掲載までの細かなスケジュールを、翔太に説明していく。
翔太はアナログで原稿を制作する作家だ。人物から背景まで繊細なタッチで丁寧に描くため、どうしても作画に時間がかかる。
「スケジュール的には、すぐ制作に取り掛かってギリギリだと思うんだ。翔太くん、どうかな。俺もできる限りサポートするから、完成させられそう……?」
「……っ、はい、やります。やらせてください!」
普段は弱気な彼が、勇気を振り絞るように力強く答える姿に、胸がじんと震える。子どもの成長を見守る親は、もしかしたらこんな気持ちになるのかもしれない。
「うん。一緒に頑張ろう」
「はい! ……陸さん、ありがとうございます。こんなチャンスをもらえたのは、陸さんのおかげです」
改まって、翔太がそんなことを言うので、俺は慌てて首を振った。
「いやいや、俺は何もしてないよ。翔太くんの才能があったからだよ」
「いえ……陸さんが見つけてくれなかったら、俺なんてデビューできるわけないって最初から諦めて、何もできなかったと思うんです。陸さんがそんな俺を、ずっと、根気強く励ましてくれたから……」
「翔太くん……」
そんなことはない。翔太の原稿は、初めて見た時からその才能が満ちあふれていた。もし俺が見つけられなかったとしても、きっと他の誰かが、彼の才能を見つけていただろう。
それでも、そんな風に思ってもらえるのは嬉しい。こんな俺でも、役に立てたんだっていう気持ちになる。嬉しさと気恥ずかしさで、また胸が震えた。
「だから、感謝の気持ちを伝えさせてください……!」
「うん……こちらこそ」
「陸さんと、陸さんのおっぱいに!」
「ありが……うん?」
今、何かおかしなことが聞こえた気がする。感動の雰囲気から一転して首を傾げると、翔太の手が俺の胸板をシャツの上から鷲掴んだ。
「翔太くん⁉︎」
「俺がここまでこれたのは、陸さんと、陸さんのおっぱいのおかげです……ありがとうございます。陸さんのおっぱいは、世界を救います」
「んん……っ! いや、何言って……んっ」
ぎゅうぎゅうと服ごと胸を揉まれた後、今度は服の上から乳首を探り当てられ、その場所を指先でスリスリと擦られた。
「ぁ……!」
胸の先端がツンと尖って、ジンジンと熱を持ち始める。思わず声が漏れてしまう。
翔太が俺の胸に異様な執着を持ち始めたのは、いつだったろうか。自分に自信が持てずにネガティブ思考に陥った彼を励ましていたら、何かの拍子に倒れた翔太を俺が抱き止めて、偶然翔太の手が俺の胸板に触れて……それから、「こうしていると落ち着きます」と言って、顔を合わせるたびにおっぱいを触らせてほしいと請われるようになった。
最初は服の上から、だんだんと触り方が大胆になって、最近では直接乳首を弄られたり、舐めしゃぶられたりするようになった。
そのせいか、俺のおっぱいはこの頃、妙に敏感になってしまった。ほんの少し服に擦れるだけでジンジンして、体が熱くなる時もあるくらいだ。あまりにひどいと、絆創膏をつけて保護しなければ身動きが取れないこともある。
だから今、服の上からスリスリ、スリスリと、翔太に執拗に乳首を擦られるだけでも、俺の体はビクビクと震えて大袈裟に反応してしまう。
「あっ、ん、翔太くん……! 待って、それ、ダメ……ッ!」
「えっ、ダメですか……⁉︎ でも俺、こんなにお世話になったのに、まだちゃんとお礼もできてないです……」
「いい、いいからっ」
「いいんですね! 分かりました!」
「いや、違……っ、そうじゃなくて、ッあ!」
お礼なんてしなくていい、と伝えたかったのに、俺の言葉を待たずに翔太はシャツの上から口を押し当てて、じゅうっと強く乳首を吸い上げた。
「んぁぁっ」
強い刺激にビクンと背筋が跳ねる。シャツに染み込んだ唾液の冷たい刺激にすら感じてしまう。
「ハァ、陸さん……」
翔太は興奮したように呟いて、俺のシャツのボタンを外し始めた。ぼやけた思考で、一瞬、いつものようにそれを受け入れてしまいそうになる。
だが、頭に浮かんだのはやはり、雄大の言葉だ。
「……っ、だめ! ダメです! 翔太くん、ストップ!」
「えぇ⁉︎」
いつもと同じことをしているのに、なぜ止められたのか分からないという顔で、翔太が驚く。俺は荒く呼吸をしながらも、ボタンを外しかけた翔太の手を取って、そっと離した。
「翔太くん、君はこれから、きっとすごい漫画家になるよ。だから自信を持って……これからは、もう、俺のおっぱいがなくても大丈夫だから」
「そんな……む、無理です。無理無理。陸さんのおっぱいがないと俺なんて、社会の最底辺のダメ人間なんです」
「そんなことないよ……! んっ、ぁぁ」
話している間にも、濡れたシャツの上から翔太の手がグリグリと乳首を捏ねている。
こちらを見る翔太の目は、親離れできない子どものように純粋で真剣だ。俺のおっぱいがなければダメだと言う翔太に、こんなものでよければと、差し出してしまいたい気持ちになる。
そもそも、翔太がなぜこんなものにそこまで固執するのか、よく分からない。ただのおじさんのおっぱいである。レイティングの必要もないこんなものに、守る価値は見出せない。俺のおっぱいでこの若き才能が守られるなら、そちらの方が大事なのでは。
一瞬、そんな考えに流されてしまいそうになったが、寸でのところで踏みとどまる。
——でも。それでもきっと、雄大なら。
「翔太くん……やっぱり、俺のおっぱいはもう、卒業しよう。大丈夫だよ。心細いなら、何か代わりのものを見つけるから。少しずつ慣れていこうよ」
「陸さん……」
話せば分かってもらえるはずだと信じて、俺も真剣に翔太を見つめ返した。しばらく不安そうにしていた翔太だったが、やがて、俯いてぽつりと口を開く。
「分かりました」
よかった、やっぱり分かってくれたみたいだ。ホッとして気を抜いた、その時だった。
「少しずつ慣れるために、まずは、直接触るのをやめて、服の上から触るようにします……! 俺が慣れるまで、陸さん、協力してくれますよね」
「へ……あっ、ん! あぁっ、翔太くん、待っ、あぁぁ!」
言うが早いか、翔太はさっき濡らしたシャツの上から、再びベロベロと乳首を舐め始める。
「やぁっ、あ、んぁぁ……!」
服越しというもどかしい刺激が、かえって快感を呼び覚ます。じゅっ、じゅうっと何度も布越しに乳首を吸い上げられ、ビクビクと体が震えてしまった。
結局、思う存分服の上から俺のおっぱいを弄り倒した翔太は、やがてスッキリした表情で立ち上がると、力強く拳を握った。
「はぁ……ありがとうございます、陸さん。俺、できるような気がしてきました。原稿も、陸さんのおっぱい離れも、頑張ります! 目指せ社会復帰……!」
「そ、そっか……よかった……」
散々嬲られてもうヘロヘロな俺は、気合を入れる翔太の前でくたりと畳の上に倒れ込んだ。ワイシャツの胸周りは、翔太の唾液でベトベトだ。冷たい布地にピンと張った敏感な乳首が擦れ、落ち着いていられない。
でも、とにかく、翔太がやる気を出してくれてよかった。一歩前進である。ちゃんと自分で「ダメ」だと言えたし、雄大もきっと安心してくれるだろう。
熱にうなされてぐったりしていた、今朝の雄大を思い出して、気がかりな気持ちになる。この後の仕事は、財前のポーズモデル協力だけ。それが終わったら、急いで雄大の様子を見に行こう。少しでも体調が回復しているといい。
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