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第2話

『第2話 日常と忍び寄る影』 朝日がやわらかく差し込む喫茶『ルナ』の店内で、奏太はエプロンの紐をキュッと結び直した。 父を亡くし、行くあてのなかった自分を温かく迎えてくれたこの店と、店主の凱。あれから数日が経ち、奏太の日常はすっかりこの穏やかなカフェを中心に回り始めている。 「奏太、今日の焼き立てスコーンの仕込みが終わったよ。少し休むといい」 厨房から出てきた凱が、相変わらず隙のないクールな笑みを浮かべながら、出来立ての紅茶を差し出してくれる。背が高く、モデルのように整った容姿の凱は、立っているだけで絵になる男だ。 「ありがとうございます!あ、凱さん、僕も早く凱さんのお役に立てるように、もっとテキパキ動けるようになりたいです。例えば……お客様を笑顔でお迎えしつつ、皿を一度に5枚くらい指に挟んで運ぶとか!」 「……え?」 奏太が真面目な顔で腕をまくり上げると、凱は差し出そうとしたティーカップをピタリと止めた。 「そ、それは……サーカスの団員のような曲芸を、この店で披露するということかい……?」 「はい!インパクトがあってバズるかなって!」 「バズ……っ!? い、いや待ちなさい奏太!君の手が傷ついたら、私は世界のすべてを敵に回してでもその皿を粉砕しなければならなくなる……! だから皿は一枚ずつ持つんだ、いいかい!?」 必死な顔で熱弁を振るう凱の声が、開店準備を始めていた女性スタッフたちの耳に届いた。 「「「……え?」」」 店内が一瞬で静まり返る。あのいつも冷静沈着でクールな凱店主が、大真面目な顔で何を言っているのだと、スタッフたちが目を丸くして二度見していた。 「……ゴホン」 周りの視線にハッと我に返った凱は、慌ててコホンと咳払いをし、いつもの澄ましたクールな表情に戻る。 「……失礼。とにかく、無理なパフォーマンスは不要だということだ。君はそこにいて、笑顔でいてくれるだけでいい」 「? はぁ、分かりました」 凱の急な態度の変化に首をかしげる奏太だったが、凱の不器用な優しさが伝わってきて胸がじんわりと温かくなる。 (なんだろう……凱さんの側にいると、すごく心が落ち着くんだよな。不思議と、昔から知っているみたいに波長がぴったり合うというか……) 奏太は自分でも気づいていなかった。本来、魔界最強の魔力を纏う凱と、神界最強の神聖力を内に秘めた奏太の力は反発し合うはずのもの。しかし二人の魂は、世界の違いを超えて奇跡的に引き寄せ合い、深く調和していたのだった。 ◇ そんな二人のやり取りの翌夜。魔界の城では、長男のサイと、二人の父であり魔王のディルが、通信用の水晶鏡を覗き込みながらお腹を抱えて大爆笑していた。 「ひーっ!ハハハ!おやじ、見たか今の!?あの落ち着き払った凱が『世界を敵に回して皿を粉砕する』だぞ!? 奏太の一言で大パニックじゃないか!」 「ふっ……相変わらず奏太のことになると余裕がないな。だが、お前が一目惚れした時の取り乱しように比べれば、まだまだ可愛いものだ」 「おいおやじ、俺の過去の話は関係ないだろ!それを言うなら、かあさんだって昔、すごい魔法を暴走させたことがあるっておやじが言ってたぞ。そうだろ?かあさん」 豪快に笑うサイと、ニヤリと微笑むディル。その横で、頬をぽっと赤く染めた理人が「ふんっ!」とそっぽを向いた。 「な、何を見ているんですか!凱の落ち着きがないのは、絶対にディルの血が騒いでいるからでしょう!僕があんな風に取り乱したことなんて、一度もありません!」 「はいはい、理人。お前が昔、余の前で盛大に照れ隠しして魔法を暴走させた話は、今度凱にも教えるとしてだな……」 「ディル!!余計なことを言わないでくださいっ!」 わいわいと賑やかな魔界の家族たち。彼らもまた、遠く離れた人間界で過ごす奏太と凱の平穏を、温かく見守っていたのだった。 ◇ 夕暮れ時、喫茶『ルナ』の店内は少しずつ落ち着いた時間を迎えようとしていた。 その時、ガチャンと粗暴な音を立てて入口のドアが開いた。入ってきたのは、明らかに態度が悪く酒臭い男だった。 「おい!この店の店長を出せ!さっき買ったテイクアウトのコーヒーがぬるかったぞ!どう落とし前つけるつもりだあ!?」 大声を上げてカウンターのテーブルをバンと叩く男。店内にいた数少ない女性客たちがひっと息をのんで怯え、空気が一瞬で凍りつく。 その様子を見た奏太の眉間がピクリと跳ね上がり、腕をまくろうとした——その瞬間。 「……お客様。申し訳ありませんが、当店はテイクアウトを行っておりません」 いつの間にか男の目の前に立っていた凱が、静かに、けれど逃げ場のない透き通った声で告げた。 「あぁ!? テイクアウトだろうが何だろうが関係ねえよ!文句があるなら……っ」 「……これ以上、何か言いたいことがあるならお聞きしますが」 凱は男だけに聞こえるような低い声で囁くと、射抜くような眼光を注ぎ込んだ。 その瞬間、凱の瞳がかすかに妖しく揺らめき、見えない漆黒の魔力が男の精神を威圧する。凱の瞳と視線が合った男は、あまりの恐怖に一瞬で酔いが冷め、尋常ではない寒気に襲われた。 (ヒッ……! ここにいちゃ駄目だ、早く……早く逃げないと死ぬ……!) 顔面を蒼白にした男は、「す、すみませんっ!間違えましたっ!!」と叫ぶなり、足早に逃げるようにその場から立ち去った。 通りに出た男は、ハッと足を止めて頭を掻きむしる。 「……あれ? 俺、ここで何やってたんだ……?」 酔いもすっかり冷め、さっきまでの興奮も消え去った男は、首をかしげながらそのままそそくさと去っていった。人間界で魔力を使う際、凱は相手に余計な害を及ぼさぬよう、魔法を行使した瞬間の記憶だけを綺麗に消去するように操作していたのだった。 店内では、何事もなかったかのように凱がふっと柔らかい微笑みを浮かべ、怯えていた女性客たちのテーブルへと歩み寄る。 「お騒がせいたしました。……お待たせいたしました、ご注文のカフェラテとスコーンです。ごゆっくりどうぞ」 極上の笑顔とともにエレガントに商品を差し出す凱。 「「「……っ///」」」 さっきまでの恐ろしいほどの静かな迫力と、目の前で見せられた極上の微笑みのギャップに、女性客たちは一瞬で心を奪われ、ぽっと頬を赤く染めて溜息をついた。 一部始終をカウンター越しに見ていた奏太は、目を丸くしたあと、感心したように小さく息を吐く。 「……すごいや、凱さん。格好いいな……」 凱の圧倒的なスマートさと美しさに、胸の奥がキュッと熱くなる奏太。 しかし、そんな穏やかな店内を、店の外の陰からじっと見つめる「異質な気配」があることには、まだ誰も気づいていなかった——。 ◇ 夕闇が街を包み込み、喫茶『ルナ』の明かりが温かく通りを照らしている。 その店の向かいにある路地の暗がりから、二人の姿をじっと見つめる一筋の鋭い視線があった。 暗闇に潜む男の胸には、憎悪と悲壮な覚悟が渦巻いている。 男の名はゼルーガ。かつて神界最強と謳われた神族・ジャナード族の幹部であり、亡き主君・竜神の元・右腕であった男——。 (……間違いない。あの少年こそが、竜神様のご遺児……奏太様だ) ゼルーガは握りしめた拳にぐっと力を込めた。 その目には、奏太の隣で柔らかく微笑む凱の姿が映っている。 (魔王ディルの息子、魔族筆頭ルシフェリア族の凱……! 我が主、竜神様を追放し、死に追いやった仇どもの血族め。あのような優しげな面皮を被り、奏太様を騙して手元に囲い込んでいるとは……なんと卑劣な……!) ゼルーガの誤解は根深かった。 竜神が我が子の身を案じ、無二の親友であるディルと凱に奏太を託したという真実を、彼は知る由もなかったのだ。 ただ一心に「亡き主君への忠義」と「幼き主君の奪還」を信じ込むゼルーガの瞳に、暗い執念の光が宿る。 (奏太様、どうかご無事で……。このゼルーガが必ずや、魔族の手からお救い出し見せます。竜神様の無念、この剣にかけて晴らしてみせる……!) ゼルーガは外套の隙間から、禍々しい紫の魔気を帯びた「死の剣」の柄にそっと手をかけた。 店内で笑顔を見せる奏太と、一瞬、外の異変を察知したかのように路地の方へ鋭い視線を向けた凱。 穏やかな日常の裏で、すれ違う忠義と誤解が紡ぐ緊迫の影が、静かに二人へ忍び寄っていた——。

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