18 / 23

第18話

「……シズ?」 「なぁに、お兄さん」 「いつもみたいに名前で呼んでくれないか」 「……名前? 教えてもらったっけ?」  こてんと首を傾げて私を見ている。  その瞳は吸い込まれるような漆黒で、柔らかい声で心地よく、それはシズで間違いなかった。  ドクドクと鼓動の音がうるさい。  まさか、まさか……私の事がわからないのか? 「私の事は……」 「名前教えて、イケメンなお兄さん」 「……し、暫く待ってくれないか」  シズの寝台から離れて部屋を後にし、急ぎ足でオーギュスト兄上の部屋に向かう。 「兄上!」 「どうしたんだい、そんなに急いで」 「アメリアは……いや、アーバン爺はどこに?」 「ああ、二人なら厨房に行くと言っていた」  返事もせず兄上の部屋から厨房に向かった。  急いだところで事態は変わらない事は承知だが、逸る気持ちを抑えられない。  冷静でいるようにと育てられてきたが、今ばかりは冷静でいられない。 「アーバン爺! いしの呪いとはなんだ!」  背の曲がりかけた後姿を見つけるなり声が出た。  その声にゆっくりと振り返った元宮廷魔術師は私を見て頷いた。 「意思じゃよ」  意思?  石ではなく意思というのか。 「石という意味もあるがの」  じゃから、苦しんでいた、という。魔力を蝕み内臓が徐々に石に変わっていくそうだ。  だから体内で熱を作り出すことが難しく体温が低かったのだ。 「シズが……」 「どうなさいましたの!?」  隣で静かにやり取りを見ていたアメリアが鍋掴みを手に持ったまま口を開いた。 「ああ……目覚めたのだが」 「記憶じゃな?」 「……! わかっていたのか?」 「確実に現れるものではないのでの。黙っておったのじゃが……そうか」 「とにかく診てくれ」  アーバン爺と心配だというアメリアも一緒にシズの部屋へと戻る。  そこにはメイドと仲良く話している姿があった。 「シズオミ! 大丈夫ですの?」 「んーたぶん? さっき鑑定してみたけど呪いはなくなってたよ」 「記憶が?」 「え? なんの事?」 「いえ、ですから記憶喪失になったのではありませんの?」 「えー? アメリアとか城の事忘れてないよ?」  では私の事は、とは何故か聞けなかった。否、聞くのが怖かった、が正しいのかもしれない。  アメリアとは違和感なく今までと変わらないような会話をして、アーバン爺も元宮廷魔術師で、呪いを吸い取ってくれた人ですわ、と紹介していた。  私は隣で違和感がないかを探していたが、別段変わりはないように思えた。  ただ、時折私と目が合うと僅かに首を傾げたり、瞬きをしたりと不思議そうな表情をしていた。  記憶の事はあまり触れずに体力の事を考えて一通り話し終わると早々に皆で部屋を出る。 「シャルル、貴方……」 「いや……わかっている。ただ、暫くシズを頼んでも良いか?」 「……私はオーギュストの事がありますから」 「……」 「ほっほっほ。若者はえぇのう」  命の恩人であり昔から人を逆なでする事に長けている事は知っているが、今回ばかりは激しく苛立ちを覚える。 「戻る可能性は」 「確実ではないがな」  曖昧な答えだ。だが戻る可能性もあるという事か。 「治療方法は」 「そうさのう……記憶の蓋を開けることじゃな」  戻る可能性がある記憶喪失というのは完全に失っているのではなく蓋をして閉じ込めているだけらしく、それを開けてやると良い、と。  ただ、無理やりこじ開けると記憶が壊れてしまう事があるらしく魔法で戻すと人格まで影響が出る場合もあり滅多なこと以外やらないそうだ。  であれば、私の事を忘れているのならば私が傍にいるしかない、か? 「街で魔法屋に行った時の事? 紫色の買ったんだよねー」 「誰と行ったか覚えるか?」 「……んー? そうだ、お兄さん。名前聞いてなかった」  はぐらかされた、という事は覚えていないということなのだろうか。この話を変えるのは前と同じで、声も見上げてくる瞳も、どこか感情の読めない表情も変わらないというのに、彼の中から私だけが……消えた。 「シャルルだ」 「シャルル……貴族っぽい名前だね」  ……まるで初めて会った時のようだ。  今の彼の目に私はどう映っているんだろうか。  街へ行った事は。  蒸留酒を飲んで誘ってきた時の事は。  口づけを交わし最後の一線は越えずとも体を重ねた事は。  共に【魔の森】へ行った事は。  何もなかったことになっている事が酷く腹立たしく気が狂いそうに心が痛む。     どうすればいい。  思い出を語ればいいのだろうか。  ああ、いやそうだな――

ともだちにシェアしよう!