8 / 10

第8話

「あ……あの……」 「身構えないで。俺は君の本音を待ってる。宇井くんが言いたいことは、俺が言ってほしいことだよ」 「本当ですか?」 「答え合わせしてみる?」 「恋人……に、なってくれませんか? 今夜だけ、僕を恋人のように扱ってください」  視線を逸らそうとしたが、阻止された。  雪乃を手を握っている右手はそのまま、左手を頬に添え、見詰められる。  桐江は微笑んでいた表情からさらに口角を上げ、「正解」だと言った。 「甘えたかったんでしょ?」 「はい。我慢するのが当たり前になっていましたけど、でも、桐江さんから優しくしてもらう度に心の蟠りが溶けていくような気持ちになっていました。これって、甘えたかってことなんですね」  桐江は一つ頷くと「出ようか」と耳許で囁いた。  自分で赤面しているのが分かる。本音を受け入れてもらえて身体中の熱が上がっていく。心臓が大きく跳ね、「はい」と答える声が震えた。  マスターに挨拶をしながら会計を済ませると、桐江の後ろから店を出る。このまま社宅に向かうのかと思いきや、桐江は夜の街を歩き始めた。  ビルとビルの間から満月が見えた。空高く登った月は強く光り、街灯りにも負けずその存在感を放っている。 「今夜は珍しく涼しいね」  梅雨が明け本格的な夏の暑さが続いているが、桐江の言う通り今夜は風が心地よくて過しやすい。街路樹の葉が揺れ、心地よい葉音を奏でた。  自分から恋人扱いして欲しいと頼んだはいいが、隣を歩いて良いのか躊躇ってしまう。そんな雪乃を悟ったらしい桐江が腕を伸ばし、背中を押すように引き寄せた。  桐江と付き合える人は幸せだろう。性格に裏表がなく仕事熱心で、プライベートでは気さくで、つい上下関係を忘れそうになる。  たった半年一緒にいただけなのに、もう何年も共にしたような安心感を覚える。  確か三十四歳だと言っていた。恋人が二年もいないのが信じられない。 (あーぁ。明日、本社に帰ってしまうんだな)  横目で桐江を見て、形の良い唇に目を奪われる。  どんなキスをするのだろう、なんて考えて我に返り、顔を背けた。  いや、自分にキスをして欲しいと思ったわけではないと、謎に頭の中で言い訳をする。  これはきっとさっきのバーで手を握られていたからだ。自分よりも大きな手に男らしさを感じてしまった。あの感触が抜けないでいる。  むしろ、恋人にどんなふうに触るのか考えない方がおかしいのではないか。  雪乃の好意など関係なく、桐江と接した人なら誰しもが抱く興味関心ではないだろうか。  そのくらい、彼は蠱惑的なオーラを纏っているのだ。

ともだちにシェアしよう!