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02 恋人面すんなよな
「水を飲むか。いや、果実の方が良かったか。ああ、いつもなら疲労に効く蜜を携帯しているというのに今日に限って持っていない。何たる失態だ」
「まじでうるせえ……なに……寝かせて……」
「今日は俺が全部やろう。着替えも運ぶし、食事も運ぶ。何が食べたい、言ってみろ! 俺が何でも叶えてやる! 何も遠慮はいらないぞ、ヨゼフ! 俺とお前の仲だろう? それより次の予定だが」
「つぎ……?」
「デートだ。ヨゼフは甘い物が好きだろう、いい店を知っている。来週は兄上の派遣する使節団の持て成しがあるので難しいが、その前なら時間が取れる。いつがいい」
返事を待たず、次から次へと喋り続けた。頭の中には昨夜の断片が、まだ鮮やかに残っている。
『好きだ、っ好きだ、アレクセイ、……っは、顔見せて、なあ、……かわい』
何度も思い出すたび、体の芯がゆっくりと熱を帯びていく。
幸福が血液となって、全身を巡る。体の中心から指先まで、恍惚とした痺れがビリビリと走った。
それが顔に出ていたのだろう、気付けばヨゼフがこちらをじっと見ていた。
「……なんだよ、その顔」
「おお、ヨゼフ! 聞いてくれるのか!!」
ヨゼフの意識が漸く恋人である俺に向いた。ぱっと顔が輝くのが自分でもわかる。
そう、恋人だ。
恋人になったのだ。
俺が、ヨゼフの恋人に。
「お前が俺を好きだということが嬉しいんだ。本当に、ほんとうに、すごく嬉しいんだ!」
こちらに向けられた顔が、瞬時に赤みを帯びた。耳の端まで同じように赤くなっている。
「な……っ、そ、……ッ、そ、……ハア!?」
「俺達の間にもはや隠し事は無用! 照れなくても良いぞ、ヨゼフ! 昨夜、何度も言っていただろう。好きだ、かわいい、と。俺も好きだ。お前が好きだよ、ヨゼフ。ヨゼフが大好きだ」
ヨゼフが上掛けを引っ張り上げて顔の下半分を隠す。それでも目元は赤く色付いたままだった。
その反応がまた愛おしくて、俺はベッドの上で笑いながら距離を詰めた。
「ヨゼフ」
「なんだよ」
「今日は何が食べたい」
「だからそれさっき」
「大事なことだから二度聞いている。気持ちが通じて初めての朝だ。初めての食事だ。とても大切なことだろう? 何でもいい、何でも用意する、お前にとって忘れられない朝にしたい」
上掛けの中で、ヨゼフが何か小さく呻いた。それからしばらくの沈黙があった。
「……アレクセイ、お前さあ」
「なんだ?」
名前を呼ばれた。
嬉しくなって返す声が弾む。
「一回ヤったくらいで恋人面すんなよな」
くぐもった声が、幸福に包まれた温かな室内の空気を鋭く切り裂く。
恋人面。
こいびとづら?
一瞬、何を言われているか分からなくなる。
知らない難解な学術用語を突然投げかけられたかのように、理解が及ばず、上手く咀嚼出来ない。
「………」
上掛けからヨゼフの目だけが覗いている。瞠目する俺を、いつものように睨みつけている。
『お前が欲しい!!』
『こっちくんな顔近えんだよゼロ距離やめろ!!』
目元や耳先が紅潮していることを除けば、俺を拒むいつものヨゼフの、いつもの拒絶に満ちた視線だ。
俺はこの国に来て長い。最初の頃は覚束なかった言葉も、来て半年経つ頃には流暢に話せるようになっていた。
それもこれも、ヨゼフが面倒くさそうな顔をしながらも根気よく俺に教えてくれたからだ。
この国の言葉はもう十分に話せる。だから、言葉の意味が分からないわけじゃない。
なのに、今の一言だけはどうしても頭の中に入ってこなかった。
『一回ヤったくらいで恋人面すんなよな』
何を言えば良いか分からず、ベッドの上で少し身じろぐ。
腰の奥が、ずきりと痛んだ。
さっきまで愛おしかったその痛みが、急にひどく生々しく感じられた。
ヨゼフは、俺を好きだと何度も囁いた。夕暮れ時の茜空が紫色に美しく沈んで、薄暗い闇が月を連れてくるまで、ずっと、ずっと、指先で、唇で、舌で俺に触れてくれた。愛してくれた。
愛してくれたと、思ってしまった。
可愛いと何度も言ってくれた。俺がヨゼフのものだと何度も何度も、……何度も。
俺も返した。どれだけ告げても足りなくて、途中で泣いてしまったのに、ヨゼフは嬉しそうに笑っていた。
好きだと言われて、好きだと返した。可愛いと愛でられて、俺も愛おしい、可愛い、とヨゼフを撫でた。
それでも、違うのだ。
俺は言葉は分かる。文化も分かる。だがこの国の人間ではない。
違うのだ。
体を繋げて、愛を囁いても、この国では恋人になれるとは限らないのかもしれない。
否、俺の国とて、そういった嗜好を持つ者はいる。
俺は心から好きな相手と、唯一の相手としか、触れ合いたくない。ヨゼフだから触れた。ヨゼフだから、誰にも見せない場所まで暴かれてもただただ幸せだった。
でも、ヨゼフにとっては違ったのだ。
兄上も昔仰っていたではないか。ベッドの中での睦言は相手への敬意とマナーであると。
ヨゼフが囁いた言葉も、全部、紳士的な振る舞い故だったのだ。
俺がそれを、勝手に勘違いした。
ヨゼフのことが、ずっとずっと好きだったから。
笑おうとしたのに、上手く筋肉が動かない。口の端が少し動いた、気がする。でもそれだけだった。
上手く持ち上がらない。
「……そうか」
思っていたよりも、平坦な声だった。自分の声の筈なのに、喉から出た実感がない。
唇は寒くもないのに震えているのに、声には何の揺らぎもない。只管に淡々と、いっそ事務的なまでに硬い。
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