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第2話
家に着くと、ソリスは手際よくポトフを作り始める。
セラードは、見慣れない調理器具や食材に目を丸くしながら、キッチンの椅
子に座ってその様子を眺めていた。
やがて湯気の立つ鍋から、食欲をそそる香りが漂ってくる。
「熱いので気をつけてください」
ソリスが皿をテーブルの上に置くと、セラードはすぐにスプーンを手に取っ
た。
「食べる前の、いただきますは?」
「いただ……何だそれ」
セラードはスプーンを止めると、おあずけを食らった犬のように物欲しげに
スープを見つめた。
「食事の前に手を合わせて『いただきます』って言うんですよ。命をいただく
ことへの感謝です」
「……俺の時代には、そんな習慣はなかったぞ」
そう言いながらも、セラードはぎこちなく手を合わせた。
「い、いただきます」
照れたように呟いてから、セラードは恐る恐る一口スープを啜った。
その瞬間、セラードの目が見開かれる。
「美味い!」
スプーンを握る手が震えている。
「美味い! 美味すぎる! あったかくて、柔らかい!」
「たくさん作ってありますから、よく噛んで食べてください」
夢中で野菜と牛肉を口に運ぶセラードを、ソリスは微笑ましく見つめる。
「おかわり!」
子供のようにはしゃぎながら皿を差し出すセラードがなぜか可愛らしく見え
て、思わず笑みをこぼしながら皿を受け取る。
運んできた二杯目をあっという間に平らげたセラードは、信じられないとい
う顔でソリスを見た。
「現代では、こんな美味いものが毎日食えるのか⁉」
「えぇ。セラードの時代ではどんなものを食べていたんですか?」
「あー。固形のフリーズドライ食品とかだな。戦時中だったから、食糧は全て
配給制で。新鮮な食材なんて、貴族でも滅多に口にできなかった」
セラードは遠い目をして、スプーンを置いた。
「不味かったけど、完全栄養食で栄養価は高かったな……」
そこまで言って、セラードはハッとした表情でソリスを見る。
「ってなんで、泣きそうになってるんだよ!」
「だって……」
ソリスは慌てて目元を拭った。
「毎日、そんな味気ないものを食べさせられてた上に、封印されてあんな傷ま
で負わされて、それでも現代で生きようとするセラードは、強いなって」
セラードが戸惑ったように視線を逸らすのが見えた。
「別に強くない。それより……」
セラードは、試すような目でソリスを見つめた。
「俺は食事を終えたら、復讐のために城に殴り込みに行く気だ。そんな男を治
療してポトフまで食べさせたこと、後悔しないか?」
「殴り込みに行くことは止めませんが……」
ソリスはセラードの目をまっすぐに見つめた。
「せめて、傷を治してからにしてください」
セラードが、わずかに息を呑んだように見えた。
「それと、さっき治療してる最中に気になったことがあるんですけど」
「なんだ?」
「俺が使った薬草は、魔法を使える人には痛みなく使えるはずなんです。なの
に、セラードは薬草を塗った時にあんなに苦しそうにしていた」
「……どういうことだ」
セラードの顔色が一瞬で変わる。
「もしや⁉」
セラードは勢いよく椅子から立ち上がると、全身に魔力を込める。
すると、首筋に紋章が現れ、赤く光って激しく痛み出した。
「ツッ……⁉」
「セラード!」
首筋を押さえてよろめくセラードに、ソリスは駆け寄り、肩を支える。
「これは、一体……」
セラードの首筋に刻まれた赤く光る紋章に、ソリスは息を呑んだ。
複雑な幾何学模様が、まるで生きているかのように蠢いている。
「アイツら、俺の魔力を封印しやがったな」
怒りで震えているセラードの目が赤く光った瞬間、ソリスの腹部の痣が熱を
持ち始める。
まるで、セラードの感情と同化するように、一瞬で痣が焼けるような痛みを
放つ。
「熱っ!」
ソリスが思わず腹部を押さえると、セラードがハッとした表情になった。
「ソリス⁉」
セラードが慌ててソリスに駆け寄り肩を支える。
その大きな手の温度が、心地よい。
「大丈夫。腹にある痣が熱を持っただけだから」
「痣? 見せてみろ」
セラードの声には、何か切迫したものが混じっているように感じた。
ソリスは裾を捲り上げ、腹部の痣を見せる。
セラードの指先が、そっと痣に触れた。
その瞬間、二人とも小さく息を呑む。
痣を通して、何かが流れ込んでくるような感覚がする。
「この痣……どこかで見た気がする」
セラードは痣を見つめたまま、眉を寄せた。
「断片的にしか思い出せないが、確かにこの形は……」
「この痣は生まれた時から、ついてるものなんです」
ソリスは平静を装ったが、セラードに触れられている腹が妙に熱い。
「そうか」
セラードは名残惜しそうに指を離した。
「まぁいい。記憶が戻ったら謎が解けるだろう」
セラードは、思い出せないもどかしさを振り払うように、眉間に皺を寄せ
た。
「あまり、無理しないでください。それより、さっきの首筋の紋章が光ったの
と、魔力がなくなったのって関係が?」
「あぁ」
セラードは苦々しく笑った。
「恐らく、この紋章がある限り俺は魔法が使えない」
「そんな……」
ソリスの表情が曇る。
「セラードにあまりにも強い魔力があるから、封印する時に恐れて、魔力まで
封印したんでしょうか」
「だろうな。最強の魔道士を恐れるあまり、徹底的に封じ込めようとしたんだ
ろう」
セラードは自嘲的に笑ったが、その目には深い悲しみが宿っているように見
えた。
ソリスは、その表情を見て胸が締め付けられる。
「でも……」
ソリスは、思わずセラードの手を握っていた。
「魔法が使えなくても、セラードはセラードです」
セラードは驚いたように握られた手を見つめてから、顔を隠すように慌てて
そっぽを向いた。
「そうか……魔力が封印されているから、俺の身体は魔力を持たない人と同じ
状態になっていたんだな。だから、あの薬草であんなに苦しんだのか」
照れ隠しのように話を逸らすセラードの顔を、ソリスは覗き込む。
頬が赤くなっているのは、気のせいだろうか?
「そういうことだったんですね……」
「お前は……本当に、不思議なやつだな」
セラードの声は、少しだけ柔らかくなっているように感じた。
「しかし、その紋章、気になりますね」
ソリスは棚から手鏡を取り出すと、セラードに渡して紋章を見せた。
セラードは鏡に映る自分の首筋を見て、眉をひそめる。
「これまで見たことがない紋章だな。生き物に身体を蝕まれてるみたいで、気
持ち悪い」
「こっちも、見ていていい気はしませんね」
ソリスも紋章を覗き込みながら、顔をしかめた。
赤く蠢く幾何学模様は、確かに不気味だ。
「そうだ! 明日、街を案内するついでに図書館で調べてみません?」
「図書館なんかに行くのか? あんなところ使うの年寄りだけだろ。ネットで
調べた方が早くないか?」
セラードの口から飛び出した「ネット」という言葉に、ソリスは目を丸くし
た。
「セラードの時代にも、ネットがあったんですか?」
「あぁ。誰でも自由に情報を発信できて、知りたいことは何でもすぐに調べら
れた」
セラードは当然のように答える。
「情報が溢れすぎた上に魔法も科学も急に進歩しすぎて、国の法律が追いつか
ない時代だった。だから戦争になったんだけどな」
ソリスは、教科書で読んだことを思い出した。
三〇××年前後、魔法と科学が爆発的に発展した結果、国家の統制が崩壊
し、世界規模の戦争が起こった。
その混沌の時代を経て、各国は、情報統制と監視によって秩序を回復した。
それが、今の平和な時代の始まりだ。
「そんな時代があったんですね……」
ソリスは複雑な気持ちでセラードを見た。
セラードが生きていたのは、自由で、しかし狂気に満ちた時代だったのだろ
う。
「でも、ネットになんでも情報が転がっていたなんて、信じられません」
ソリスは小さく肩をすくめた。
「今は、ネットも免許制になって誰でも情報が流せるわけじゃありませんか
ら」
「は? ネットも免許制かよ」
セラードが眉を寄せる。
「誰でも魔法やネットが使えていたセラードの時代も、おかしいですよ」
「……まぁ、それもそうだな」
セラードは納得しきれない様子で腕を組んだ。
「いずれにしても、百年前に国王が封印に使った魔法でついた紋章の情報が、
今のネットに載ってるはずないじゃないですか。図書館になら、まだ何か手掛
かりがあるかもしれません」
「分かった。明日、図書館に行くか」
セラードが仕方なさそうに頷くと、ソリスは笑った。
セラードも釣られるように口角を上げる。
その表情を見て、ソリスの胸がまたほんのり温かくなる。
少しずつ、セラードの警戒が解けていくのが嬉しい。
お互いに食事を終えると、ソリスが食器を食洗機にかけている間にセラード
が風呂の準備を始める。
キッチンの掃除をしていると、風呂場の掃除を終えて出てきたセラードが、
不満そうな顔をしながら声をかけてきた。
「昔は掃除や洗濯も魔法でやっていたが、今は大昔みたいに自分でやらなきゃ
いけないのか」
「結局はその方が、性に合っていたということじゃないでしょうか?」
「そうかもしれないが、面倒だな」
口角を下げるセラードに、ソリスは棚に置いてある一口サイズのチョコレー
トを渡す。
「何事も、メリハリが大事ってことですよ」
「言い返せないな」
そう言って、肩をすくめながらチョコレートを受け取るセラードに、ソリス
は思わず笑った。
出会ってまだ数時間しか経っていないのに、もう何年も一緒に暮らしている
ような、不思議な居心地のよさがある。
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