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第3話
翌朝、ソリスは昨日洗濯したセラードの服を手に取りながら、悩んでいた。
色褪せて所々ほつれた、時代がかったデザイン。洗っても染み付いた血の跡は完全には落ちず、生地もかなり傷んでいる。
服と睨めっこをしながら眉間に皺を寄せていると、寝室から出てきたセラードと目が合う。
寝起きだというのに寝癖以外は全く崩れていない姿に、最強の魔道士は伊達じゃないなと感心する。
「おはようございます。ベッドの寝心地はどうでした?」
「お、おはよう。凄く寝心地が良くて、よく眠れた」
普段の態度とは違う、ぎこちない挨拶。
百年ぶりにする日常会話に、セラードも緊張しているのかもしれない。
「良かった」
ソリスは微笑むと、持っていた服を見せる。
「昨日も思ったんですけど、やっぱりこの服で街を歩くのは目立ちすぎますよ」
「その服、気に入ってるんだけどな。それに、ソリスの服じゃサイズ小さいだろ」
服を覗き込みながら、当然のようにそう言い、自分の服を借りることに何の抵抗もないセラードに、ソリスはむず痒い気持ちになった。
たった一晩で、こんなにも自然に隣にいるのが当たり前になっている。それが、なんだかくすぐったい。
「弟が泊まる時用に、洋服を置いていってるんです。それなら、セラードにも合うと思います」
「弟いるのか!?」
セラードが意外そうに目を見開いた。
「えぇ。医者なんですけど、俺より魔力が強いんですよ」
「医者か。苦労してそうだな」
「いつも、眠たそうにしてます」
ソリスは小さく笑って、寝室へ向かった。
クローゼットから弟の服を取り出して戻ると、セラードに手渡す。
「これに着替えてください」
しばらくして、現代の服に身を包んだセラードが現れた。
シンプルなシャツとパンツ。それだけなのに、上背のあるセラードが着ると、まるでモデルのように様になっている。
銀色の髪も相まって、思わず見惚れてしまいそうになり、ソリスは慌てて目を逸らした。
「……やっぱり、新しい服を買った方が良さそうですね」
弟の服は丈が少し足りず、手首と足首が覗いている。
「そこまでしてもらうのなんか、悪いな」
セラードが申し訳なさそうに眉をひそめた。
「封印を解いてしまった以上、責任がありますから」
ソリスがそう言うと、セラードは少し驚いたような顔をした。
「……ありがとな。後で必ず返す」
「いいえ。その代わりに、セラードに手伝って欲しいことがあるんですけど」
「嫌な予感がするが、なんだ?」
警戒するように、セラードが眉を寄せる。
「新しい薬を作るのに、治験に協力して欲しいんです!昨日採ってきた薬草で、もっと多くの患者を救える薬が作れるかもしれなくて!」
「昨日のあの薬を、また俺に使う気か!?」
昨日、傷口に塗った時の激痛を思い出したのだろう。セラードが椅子から腰を浮かせた。
「今度はちゃんと調合して、使いますから」
「うぅ……。仕方ない」
渋々頷くセラードに、ソリスは思わず顔をほころばせた。
「ありがとうございます!」
街へ出ると、セラードは物珍しそうに辺りを見回した。
行き交う人々、立ち並ぶ店、規則正しく動く乗り物。
その全てが、彼にとっては新しい世界なのだろう。
ソリスは街の途中で立ち止まり、道の先にある大きな建物を指さす。
「あの建物、弟の病院なんです。俺もそこで薬師として働いています」
「みんな勤勉に働いてて、すごいな」
感心したように、セラードが呟く。
「セラードの時代は、どうだったんですか?」
「みんな魔法と科学で楽して金稼ぎして、ほとんど遊んで暮らしてたな。その結果、紙幣が紙屑同然になった」
「セラードって、すごい時代に生きてたんですね」
ソリスは素直に驚いた。
教科書で習った「混沌の時代」を、実際に生きていた人がここにいる。
それは、不思議な感覚だった。
「そりゃ、戦前と戦時中の間だからな」
セラードは肩をすくめた。
そのとき、前方から手を繋いだ二人の男性が歩いてきた。
仲睦まじく寄り添う恋人同士のようだ。
すれ違いざま、セラードが彼らを目で追う。
「同性での恋愛には、寛容なんだな」
「セラードの時代は、違ったんですか?」
「許されなかったな」
セラードの声が、少し沈んだ。
その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
ソリスは、ふと気になって尋ねた。
「セラードは、好きな人がいたんですか?」
何気ない質問のつもりだった。
けれど、セラードは少し黙ってから、静かに答えた。
「思い出せないな。でも、いたとしても、もう生きてないだろ」
その言葉に滲む寂しさに、ソリスは胸が痛んだ。
百年。
セラードが眠っている間に、彼の知っていた人は皆、いなくなってしまった。
「……すいません」
「気にするな」
セラードは小さく手を振ると、ふいに表情を変えた。
「じゃあ、お詫びに、あのスムージーってやつを奢ってくれ。飲んでみたい」
通りの一角にあるジューススタンドを指差している。
しんみりした空気を変えようとしてくれたのだと、ソリスは気づいた。
「いいですよ。何味にします?」
「イチゴのがいいな」
「じゃあ、俺はバナナのにします」
二人で店に向かい、注文する。
カウンターの向こうで、店員が手際よくフルーツをミキサーにかけていく。
その様子を、セラードは子供のように興味深く見つめていた。
「作るの、面白そうだな」
「薬草から飲み薬を作るのも、あんな感じですよ。今度、やってみます?」
「飲み薬は美味くないだろ」
セラードが心底嫌そうに顔をしかめる。
その表情がおかしくて、ソリスは思わず笑ってしまった。
出来上がったスムージーを受け取ると、二人で服屋までの道を散歩する。
「このスムージーってやつ、美味いな!気に入った!」
「治験に協力してくれたら、また奢りますよ」
「仕方ないな」
がっくりと肩を落とすセラードを笑いながら、ソリスは自分のバナナスムージーを差し出す。
「少し交換しませんか?」
「いいのか!?」
セラードは少し屈み、ソリスの持っている容器に顔を近づけると、ストローに口をつけて吸っていく。
「バナナも美味いな。俺のも飲んでいいぞ」
容器を差し出してくるセラードに、ソリスは一瞬固まった。
(これって……間接キス、だよな……)
さっきセラードが口をつけたストロー。
意識した途端、顔が熱くなる。
でも、ここで断るのも変だ。
「……いただきます」
平静を装って、ストローに口をつける。
ほんのり、イチゴの甘さが舌に広がった。
なぜか、心臓がうるさい。
「……なぁ」
ふいに、セラードが口を開いた。
「お前、こういうこと、他の奴にもするのか」
「え?」
「昨日も、水筒の水を飲ませてくれただろう。あれも、考えてみれば……」
そこまで言って、セラードは言葉を濁した。
ソリスは数秒考えて、ようやく気づく。
(あ……昨日のあれも、間接キスになるのか)
今さらのように、顔が熱くなった。
「あ、あれは治療の一環で……!別に、誰にでもするわけじゃ……」
慌てて弁解すると、セラードはなぜか満足げに口角を上げた。
「そうか」
「な、なんなんですか!?その反応!」
「別に」
セラードは差し出していた容器をひっこめて自分の口元に持っていき、イチゴスムージーを一口飲むと、機嫌良さそうに前を向いた。
(なんで嬉しそうなんだろう……?)
ソリスには、その理由が分からなかった。
「に、しても、昨日のポトフとチョコレートといい、現代には美味いものが溢れているな。あの、薄い皮の中にクリームとかを巻いてあるやつはなんだ?」
セラードが指差したのは、通りの向かいにあるクレープ店だった。色とりどりのサンプルが並び、行列ができている。
「クレープですね。ひょっとして、セラードって甘いものが好きなんですか?」
意外だった。セラードと、甘いものという組み合わせが、どうにも結びつかない。
「まぁな。昔はあまり食べれなかったけれど」
その言葉に、ソリスは少しだけ胸が痛んだ。
戦時中の配給制。新鮮な食材も、甘いお菓子も、満足に口にできなかった時代。セラードにとって甘いものは、きっと特別なものなのだろう。
「どのクレープが食べたいですか?」
「いいのか!? あの、フルーツがいっぱい乗ってあるやつが食べたい」
身を乗り出すセラードの目が、きらきらと輝いている。百年眠っていた最強の魔道士とは思えない、無邪気な表情だ。
「お財布渡しますから、自分で買いに行けます?」
「あぁ!」
「これで買ってきてください」
ソリスが財布を渡すと、セラードはスムージーを預けて、クレープ屋へと向かう。
大きな背中が、人混みの中を進んでいく。その足取りは、どこか弾んでいた。
初めてのおつかいに行く子供を見守る気分だと思いながら、セラードを目で追っていると、ふと後ろから視線を感じて振り返る。
しかし、そこには誰もいなかった。
念のため、見渡してみるが、行き交う人々、立ち並ぶ店。雑踏の中に、不審な人影は見当たらない。
気のせいだろうかと前を向くと、スプーンが刺さったクレープを片手に持ったセラードが上機嫌でこちらに向かってくるのが見えた。
きっと、遠目でも分かるくらい、見本よりもフルーツが大盛りに盛られたクレープに喜んでいるのだろう。
それを見て、ソリスは先ほどの視線のことなど、すっかり忘れてしまった。
「待たせたな」
「初めてのおつかい成功ですね! に、しても、すごい量」
クレープからこぼれ落ちそうなほどのフルーツに、ソリスは思わず笑ってしまう。店員が、はしゃぐセラードにサービスしてくれたのかもしれない。
ソリスは預かっていたイチゴスムージーをセラードに返すと、財布を受け取ってズボンのポケットに入れる。
そして、もう一度、セラードの持っているイチゴスムージーを受け取った。
「悪いな。スプーンを使わないと食べづらい。お礼に、一口どうだ?」
「えっ!?」
セラードは意識してやってるのだろうか?
ちらりと窺うが、その顔に他意は感じられない。お礼だと言っているし、そんなことはないのだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
どうしてこんなにも自然に距離が縮まっていくのだろう。
まるで長年付き合っているカップルのようなやりとりに、ソリスはむず痒くなる。
「何が食べたい?」
クレープを差し出しながら、セラードが尋ねる。
「えっと、じゃあ……そのキウイを」
遠慮がちに言うと、セラードはキウイをスプーンですくった。
そして、当然のようにソリスの口元へ運んでくる。
「ほら」
(え、あーん……!?)
差し出されたスプーンに、ソリスは固まった。
自分で食べるつもりだったのに、まさか食べさせてくれるなんて。
「どうした?両手塞がってるからこの方がいいだろ?」
セラードはなんてことないように言う。やはり、本人に深い意図はないらしい。
断るのも不自然だと思い、ソリスは観念して口を開けた。
甘酸っぱいキウイの味が、口いっぱいに広がる。
美味しいはずなのに、心臓がうるさくて、味どころじゃない。
スプーンが唇に触れた感触ばかりが、やけに鮮明に残っていた。
「美味いか?」
「……はい」
なんとかそう答えると、セラードは満足げに頷いて、さっきソリスが食べたすぐ隣にあるキウイを一口頬張った。
(絶対わざとじゃないよな……?)
確かめる勇気は、ソリスにはなかった。
セラードを見つめていると、急に静かになり顔を赤らめ始めた。
ソリスもつられて顔を赤くしながら黙り込む。
セラードがなぜ、顔を赤くしたのか考える余裕は残っていなかった。
食べ終えると、二人はゴミを捨てるために近くに備え付けてあるゴミ箱に近づく。
すると、リサイクルマークが書いてあるゴミ箱の蓋が勝手に開いた。
「えっ!? なんで、分かったんだ?」
「上を見ればわかりますよ」
上を見上げるソリスにつられて、セラードも顔を上げる。そこには、木に隠れて監視カメラが仕込まれていた。
「あのカメラで、ゴミを自動で判別して開けているんですよ」
「すごいな。俺の時代は分別なんて考えずに全部魔法で燃やしていた」
「それはそれで、すごいですね」
セラードは恐る恐るゴミ箱に近づくと、ゴミ箱の中にゴミを入れる。
自動で閉まっていく蓋を見つめながら、セラードが首を傾げた。
「燃やすごみと、資源ごみを一緒に持っているときはどうなるんだ?」
「その時は両方の蓋が開きますけど、間違って入れた場合は戻ってきます」
「面倒くさいな」
「だからといって、全部燃やすのも極端だと思いますけど」
「ソリスの言うことは時々刺さるな」
クレープを食べ終えた二人は、目当ての服屋へと足を踏み入れた。
天井の高い店内には、整然と服が並んでいる。セラードは物珍しそうに辺りを見回した。
「この中から、自分で選ぶのか?」
「そうですけど、セラードの時代はどうしてたんですか?」
「俺の時代は、選んでもらったものを着ていた。でも、ソリスが洗濯してくれた服は自分で選んだやつだ」
「セラードは重厚なデザインの服が好きなんですね。でも、現代では目立ちすぎるので、もう少し装飾が控えめなものにしましょう」
ソリスは手近なラックから、何着か手に取り、セラードの体格に合いそうなものを選んでいく。
セラードは、ソリスが差し出す一着一着を、興味深そうに眺めていた。
「これとか、どうでしょう」
黒のワイシャツを合わせてみると、銀色の髪によく映えた。
「試着してみてください。あそこの個室で着替えられますから」
ソリスが試着室を示すと、セラードは頷いて中へ入っていった。
しばらくして、カーテンが開く。
「どうだ」
ソリスは、思わず言葉を失った。
体のラインに合ったシャツが、鍛えられた長身を引き立てている。
開いた襟元から見える鎖骨や綺麗なカーブを描いたくびれに、息をするのを忘れて見入ってしまう。
(……綺麗だ)
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
さっきまでの、弟の服を借りたちぐはぐな姿とは、まるで別人だ。
「……すごく、似合ってます」
なんとかそれだけ絞り出して言葉にすると、声が少し上ずってしまった。
「そうか?」
セラードは自分の格好を見下ろして、首を傾げている。本人は自分の魅力に無自覚らしい。
(なんで、こんなにドキドキするんだ……)
ソリスは平静を装って、次の服を選ぶふりをした。熱くなった頬を、見られたくなかった。
その後も何着か試着し、セラードに似合う服を選んでいく。
普段は愚痴をこぼすのに、ファッションのことになると素直にソリスの意見を聞くセラードが、なんだか可愛らしい。
「これだけあれば、しばらくは困らないですね」
会計を済ませ、ソリスは買った服の入った袋を手にした。
「悪いな、何から何まで」
セラードが、ふと申し訳なさそうな顔をする。
「気にしないでください。それより──」
ソリスは笑って、隣を見上げた。
「似合う服が見つかって、よかったですね」
その言葉に、セラードは少しだけ照れたように視線を逸らした。
その仕草に、ソリスの胸がまた小さく跳ねる。
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