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第4話
図書館に入ると、二人は手分けして資料を探すことにした。
「俺はあっちを見てくる。何か見つけたら声をかけてくれ」
セラードが歴史書のコーナーへ向かうのを見送り、ソリスは魔法関連の棚を
目指した。
奥へ進むにつれて、人の気配が薄くなり、古い本特有の埃と紙の匂いが濃く
なっていく。
封印や呪いに関する書物は、フロアの最奥──。照明もまばらな、薄暗い一
角にあった。
(このあたりに、何かあればいいんだけど)
背表紙を指でなぞりながら、ソリスは目を凝らす。
色褪せた装丁、掠れた文字。
どれも古く、簡単には読めそうにない。
ふと、背後に気配を感じた。
振り返ると、すぐ目の前に人影が立っていた。
「……っ」
人影は、破れた黒いマントで全身を覆い隠した、老人だった。
フードの奥から覗く顔は、深い皺が刻まれ、落ち窪んだ眼窩(がんか)の奥で、瞳だけ
が妙にぎらついている。
(いつの間に、こんな近くに。足音すら、聞こえなかった)
「あの……何か?」
ソリスが警戒しつつ尋ねると、老人は何も言わず、痩せた手を差し出した。
その手には、一冊の古びた本が握られている。
「これは……?」
老人は答えない。ただ、その本を渡そうとするように、ソリスの方へ突き出
してくる。
差し出された本の表紙には、セラードの首筋の紋章とよく似た紋様が刻まれ
ていた。
「っ、これ……!」
思わず受け取ると、老人は満足したように、わずかに口角を上げた。
「あなたは、一体……」
問いかけようとした、その時。
「ソリス!」
セラードの声が、棚の向こうから聞こえた。
はっとして振り返ってから再び前を向くと、まるで、最初からそこに誰もい
なかったかのように、老人の姿は消えていた。
ソリスの手の中の古びた本だけが、そこに残っている。
夢でも見たのだろうか。
でも、この本の重みは、確かに現実だった。
「ソリス! そこから、強い魔力を感じたけど大丈夫か?」
棚の陰から、セラードが血相を変えて駆け寄ってくる。
「大丈夫。心配してくれたのは嬉しいけど、図書館では静かに」
ソリスが唇に人差し指を当てると、セラードはばつが悪そうに口をつぐむ。
「悪い。……ってその本、どうしたんだ? そこからも魔力を感じる」
セラードの視線が、ソリスの手元の本に落ちた。
「さっき、そこにいた黒いマントを被ったお爺さんから受け取ったんですけど
……。いつの間にか、いなくなってて」
老人が立っていた場所を振り返る。だが、そこにはもう誰の姿もない。
「黒いマントのお爺さん……。いかにも怪しいな」
ソリスが振り向いた場所を観察しながら、セラードは眉間に皺を寄せた。
「それに、その本の表紙が、俺の紋章の模様と一致してるのがさらに怪しい」
前に向き直ったソリスに、セラードは首筋の紋章を見せる。
本の表紙に描かれている紋章は色褪せて掠れていたが、確かに首のものと一
致していた。
「でも、悪い人ではなさそうでしたよ。こうやって本もくれましたし」
嬉しそうに本を抱えるソリスに、セラードは眉間の皺をさらに深くしてため
息を吐いた。
「あのな。もう少し警戒しろよ。なにか目的があって渡したに決まってるだ
ろ」
その口ぶりは、どこか自分を心配してくれているようで、嬉しくなる。
「……はい。気をつけます」
「まったく。お前は、他人を信用しすぎだ」
そう言うセラードが、なぜか少し不機嫌そうに見えて、ソリスは首を傾げ
た。
その反応を見て、セラードは呆れたように本に手を伸ばす。
「その本から魔力を感じるのは本当だ。何かあった時のために、俺が持ってい
ていいか?」
「はい。ところで、この本ってこの図書館にあった本なのか、お爺さんの持ち
物なのか、どっちなんでしょうね」
後ろのページを捲り、図書館の蔵書印がないか確かめる。
印はなかった。
「お爺さんの持ち物みたいだな。でも、そのまま持ち出したら図書館の本を盗
んだみたく思われそうだし、シャツの中に隠しておくか」
セラードがシャツの裾を捲ると、鍛え上げられて割れている、無駄な肉のな
い腹筋がチラリと見えた。
二重の意味で、いけないことをしている感じがしたソリスは、顔を赤らめな
がら目を逸らした。
ズボンのウエスト部分に本を差してシャツを戻したセラードが、赤面してい
るソリスに気づくと、からかうように、また服を捲って見せる。
「これで、安心だろ?」
「安心だけど……。セラードの意地悪」
ソリスは先に歩いて、その場から離れる。
「おい、待て」
セラードが慌てて追いかけてくるのを無視して、図書館から出ると、近くに
ある公園に向かって歩き出す。
間接キスといい、腹筋といい、なぜ自分はここまでセラードを意識してしま
うのだろう。
腹部の痣がじんわりと熱を持つのを感じながら、ソリスは気を逸らすために
歩き続ける。
その時、遠くからけたたましいバイクのエンジン音が聞こえた。
驚いて振り向くと、バイクはこちらに向かって全速力で走ってくる。
避けなきゃ。頭では分かっているのに、身体が硬直して動かない。
見る間に、ヘッドライトが眼前に迫る。
「ソリス!」
呼ばれると同時に、強い力で突き飛ばされた。
視界が回転し、二人同時に横の草むらへと転がり込む。
「チッ! しくじったか」
舌打ちの音に、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
声がした方を振り向くと、そこには黒のヘルメットを被りスーツを着た体格
のいい男が、バイクに跨ってこちらを見下ろしていた。
「貴様! よくも!」
「セラード、ちょっと待って」
ソリスは、スーツの男の腕に巻かれた腕章をまじまじと見た。
その腕章は、紛れもなく国王直属の護衛がつけているものだった。
「確か、名はソリスと言ったな」
男はバイクから降りると、ヘルメットを取った。
ブロンドヘアに青い瞳。画面越しに見たことがある人物が目の前にいた。
「ジグナードさん」
「って誰だよ」
セラードはソリスを守るように、二人の間に入りながら聞く。
「俺はこの国の国王の護衛を務めてるジグナードだ。貴様は百年の封印から目
覚めたばかりのセラードだな」
「そうだ。お前は、俺が封印された秘密を知る側の人間なのか?」
「お前の質問に答える義理はないが……まあいい。そうだ」
「ソリス。こいつぶっ飛ばしていいか?」
前のめりになり、今にも殴りかかりそうなセラードの腕を、ソリスはそっと
掴んだ。
「情報が聞けるかもしれないから、ダメだよ」
二人の会話を遮るようにジグナードが咳払いをした。
「なぜ、俺が目の前にいるのか分かるか」
「立ち入り禁止の森に入って、薬草を採った上に、セラードの封印を解いたか
らですか?」
「察しがいいな」
ジグナードは鼻で笑った。
「あの薬草は、絶滅したことになっている。実在すると知れれば、それを生む
ほどの魔力源があの森にあると気づく者が出る。……セラードの存在を、知ら
れるわけにはいかなかった」
その言葉を聞いたソリスは、無意識に手を握りしめていた。
あの薬草があれば、救えたはずの命がどれだけあっただろう。
薬師として何度も見送ってきた患者の顔が、次々と浮かんでは消えていく。
「……それじゃあ、あの薬草は、ずっと」
「国が管理して研究する分にはいい。だが、貴様のような部外者に外へ持ち出
されるのは困るんだ」
「なぜ、セラードを封印したんですか?」
「……知る必要はない」
ジグナードの目が、鋭さを増した。
「ところで……」
ジグナードの声が、わずかに硬くなった。
「お前の腹部に、痣はあるか」
その問いだけ、妙に切実な響きがあった。
この男は、自分が知らない痣の秘密を知っている。ソリスは直感的にそう感
じた。
なら、これは交渉の材料になる。
「教えられません。セラードをなぜ封印したのか話してくれたら、痣のことも
話します。交換条件です」
「おい、俺を封印した理由だ。俺にも聞く権利がある」
セラードが低く唸った。
「仕方ない」
ジグナードは小さく息を吐くと、静かに語り始めた。
「お前は、百年前の見せしめ処刑の仮説は知っているな。各国が、強い魔力を
持つ魔道士を処刑して、混乱を収めたという」
ソリスは唇を引き結び、ゆっくりと頷いた。
「あれは、仮説ではなく真実だ。各国は、強力な魔道士を処刑した。だが……
この国だけは違った」
ジグナードの声が、重く沈んだ。
「当時の国王は、民の恐怖を鎮めるためにセラードを処刑したと偽った。だが
実際は──封印して、隠した」
「……なんだと?」
セラードの声が震えた。
隣で、ソリスは息を呑む。
いつも余裕のあるセラードが、こんなに動揺するなんて。
「お前は、処刑されたことになっている。だが実際は生かされていた。この百
年、ずっと」
「そんなはずはない」
セラードが、かつて傷を負った足に目をやる。
「俺はこの身に、はっきりと殺意を受けた。生かすためだと? 笑わせるな」
セラードの怒りを、ジグナードは静かに受け止めた。
「……そう思うなら、それで構わない」
反論するでもなく、ただそう言った。
その声には、若い外見に似合わない、深い疲れが滲んでいるように聞こえ
た。
ソリスは、拳を握りしめたままのセラードをちらりと見た。
今すぐ寄り添いたい。でも、約束は約束だ。
「……話してくれて、ありがとうございます。痣なら、生まれつき腹部にあり
ます」
ソリスは服の裾を少し持ち上げ、腹部の痣を見せた。
ジグナードの目が、大きく見開かれ、揺れる。
「……っ」
まるで、ずっと探していたものを、ようやく見つけたような。
あるいは、見つけてしまったことを、恐れているような。
さっきまでの威圧的な態度が、嘘のように消えていた。
「あの、ジグナードさん……?」
「……いや」
ジグナードは目を伏せ、短く息を吐いた。
「確認できた。それだけだ」
ジグナードは踵を返すと、バイクへと歩き出した。
「最後に、一つだけ教えてやろう」
バイクに跨りながら、振り返らずに言う。
「封印が解けると、そいつに刻まれている紋章が発動するように仕掛けてあ
る」
「一ヶ月だ。一ヶ月以内に呪いを解かなければ、そいつは死ぬ」
「なっ……!」
ソリスの血の気が引いた。
「呪いの解き方? さあな。自分たちで調べるんだな」
エンジン音が響く。
「どのみち、俺が手を汚す必要はなくなった。せいぜい、あがくといい」
ジグナードのバイクが走り去ると、その場にはソリスとセラードだけが残さ
れた。
「クソッ!!」
セラードの雄叫びと共に、地面を叩いたような鈍い音がした。
同時に腹部に熱を感じ、驚いたソリスは隣を見る。
ひび割れた地面にセラードの拳が埋まっていた。拳からは血が滲み出ていて
痛々しい。
セラードの瞳孔は開き、首筋の紋章が赤い光を放っていた。
「セラード……」
セラードを呼ぶが、石像のように固まったまま返事がない。
赤い光と共鳴するように腹部の痣の熱が増していき、痛みを感じる。
けれど、今はその痛みよりもセラードを救う方が先だ。
「セラード! 意識を取り戻して!」
叫んでも、届かない。
どうすれば──考えるより先に、腹部の痣が疼いた。
あの紋章に触れろと、痣が告げている。そう本能が囁いた。
気がつけば、ソリスはセラードを後ろから抱きしめ、首筋の紋章に顔を寄せ
ていた。
祈るように、優しく口付ける。
すると、赤い光の勢いが次第に収まり、腹部の痣の熱も引いていった。
「……ソリス?」
掠れた声が聞こえた。
「セラード! よかった」
意識が戻ったことに安心し、ソリスは首筋から唇を離すと、後ろから強くセ
ラードを抱きしめた。
はしゃぐソリスをよそに、セラードの耳がみるみる赤くなっていく。
「ソリス……何をしたんだ?」
セラードが首筋を押さえて、こちらを見た。
目が合った瞬間、先ほどの自分の行動が脳裏に蘇る。
セラードを抱きしめて、首筋に唇を──。
ソリスの顔が、一気に熱くなる。
「すっ、すみません! 夢中で。その、痣が疼いて、気づいたら……!」
「気づいたら、キスしてたって言うのか?」
「わ、忘れてください! そんなことより、傷の手当てをしに家に帰りまし
ょ! ねっ!」
ソリスは真っ赤な顔のまま、地面にめり込んだセラードの拳をそっと掴んで
引き上げた。
擦り切れた拳から滲む血に、胸がちくりと痛む。
「……立てますか?」
「あぁ」
まだ、どこか呆けた様子のセラードの腕を取り、ソリスは肩を貸すようにし
て歩き出す。
夕暮れの道を、二人は並んで歩いた。
さっきの口付けのことも、ジグナードの言葉も、考えなければいけないこと
は山ほどある。
でも今は、隣を歩くセラードの体温が、やけに近く感じられる。
ソリスは、それ以上何も言えないまま、家路を辿った。
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