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第5話

 二人が家に帰ると、玄関の前に小さな動物の姿が見えた。  二人に気がつくと、小走りで駆け寄ってくる。 「ニャーニャー」 「猫だ!」  セラードが屈んで手を伸ばすと、猫は甘えるようにゴロゴロと喉を鳴らしな がら、その脚に身を寄せた。 「これ、よく、ネットの短い動画で飼う流れになるやつ見たぞ!」 「うちには、既にでっかい犬がいるので飼えませんよ」 「犬なんかいたか?」 「ニャー」  猫は足元から、じっとセラードを見上げている。  賢い猫だ。 「猫も俺から離れたくないってさ」  犬が自分のことだと気づいていないのか、足元の猫を見ながらセラードは嬉 しそうに微笑んでいる。  その無邪気な横顔に、ソリスは思わず頬を緩めた。 「仕方ないですね。セラードの封印が解けたら、飼っていいですよ」 「えっ⁉」  セラードの目が、大きく見開かれる。 「どうかしました?」 「……いや。嬉しい」  泣きそうになるのを堪えるように、セラードはその場に座り込むと、怪我を していない方の手で、猫の背をそっと撫でた。  大きな手のひらが、慈しむように何度も小さな体を往復する。 「封印が解けたら、必ず飼ってやるからな。また、家の前に来いよ」 「ニャーっ」  猫は応えるように一声鳴くと、名残惜しげにセラードの脚に頬を擦り付けて から、夕闇の中へと去っていった。  その後ろ姿を見送りながら、ソリスは目を細める。 「賢い猫ですね。もしかしたら、人間の言葉が分かるのかも」 「そうかもしれないな」  まだ、猫の消えた方を見ているセラードの背中が、少しだけ寂しそうに見え て、ソリスは家の扉を開けながらそっと付け加えた。 「餌くらいなら、あげてもいいですよ」 「いいのか! やった!」  たちまち破顔したセラードに、ソリスはくすりと笑う。  二人は寄り添うようにして、家の中へと入っていった。  家に入ると、ソリスはセラードをソファに座らせ、薬箱を持ってきた。 「手を、出してください」  差し出された拳は、皮が裂けて土と血が混じっている。骨は無事そうだ。  ソリスは水で汚れを流してから、薬箱の小瓶を取り出した。  中身は、昨日のうちに調合しておいた軟膏だ。前にセラードに使ったものよ り効き目は緩やかだが、魔力を持たない身体でも痛まない。 「今度は、痛くないですから」 「……あぁ」  返事は短かった。  セラードは自分の手元を見ているようで、どこも見ていない。  塗り込んでも、指を曲げても、反応がない。  沈黙が、部屋に降り積もっていく。  手当てを続けながら、ソリスはふと考える。  さっき、ジグナードはこの紋章の呪いでセラードが死ぬと言っていた。  でも、変だ。  処刑したと偽ってまで生かしたのに、死の呪いをかけるだろうか。  生かした手と、殺そうとする手。  同じ人がやったにしては、ちぐはぐすぎる。  ──もしかしたら、封印と呪いは、別の人間の仕業なんじゃないだろうか。  少なくとも、この呪いをかけた誰かは、セラードの力を心底恐れていた。 「……俺は、また殺されるのか」  絞り出すような声だった。  包帯を巻く手が、止まった。 「わけも分からず封印されて、目が覚めたら、今度は一ヶ月で死ぬときた。… …俺の命は、いつも他人に握られてる」  セラードの握りしめた拳が、小さく震えていた。  ソリスは、その手をそっと包み込む。  固く閉じられた指を一本ずつほどくように開かせると、自分の指をその隙間 に滑り込ませた。  大きな手だった。骨ばっていて、傷だらけで、まだ冷たい。  その指の間に、自分の指が収まっていく。  まるで、最初から二人で一人だったみたいに。 「……ソリス?」  顔を上げたセラードと、目が合う。  紫の瞳が、頼りなく揺れていた。最強の魔道士と呼ばれた男の、こんな目を 見るのは初めてだ。  胸の奥が、静かに焼ける。 「セラードの封印は、俺が必ず解きます」  握る手に、力を込めた。 「大丈夫。あなたは、一人じゃない」  言葉にした瞬間、腹部の痣がふわりと熱を帯びた。  痛みではない。あの焼けるような熱とは違う、心の芯まで届くような、心地 よい温もり。  セラードの首筋の紋章も、呼応するように淡く光っている。  まるで、二つの印が共鳴し合っているようだった。  繋いだ手のひらから、静かに何かが流れ込んでくる。  ──あぁ、そうか。  この人を死なせたくないんだ。  薬師として救いたいんじゃない。責任を感じているからでもない。  ただ、セラードに生きていてほしい。 「……ソリスは」  セラードが、握り返してきた。 「ソリスは、不思議なやつだな」  出会った日と同じ言葉。  けれど、あの時より、ずっと近い。  しばらく、二人はそのまま動かなかった。  やがて、ソリスは名残惜しさを振り切るように、そっと手をほどく。 「それに、まだ、調べていないものがありますし」  言いながら、視線を落とした先は、セラードの腹部だった。  シャツの下に、あの本が隠されている。  図書館で、あの老人から渡された本が。 「この本、明らかに怪しいけどな」  セラードが、片手で服を捲って本を取り出す。  その拍子に、またもやセラードの白い肌がちらりと見えてしまい、途端に、 ソリスの頬が赤く染まる。 「どうかしたのか?」 「なっ、なんでもないです! 本! 本を見ましょう!」  ソリスは真っ赤になって立ち上がると、台所へ逃げ込んだ。  二人分の茶を淹れて、居間に戻る。  高ぶった気持ちを鎮めるように、湯気の立つカップをセラードの前に置く。 「まずは、少し落ち着きましょう」 「俺は、落ち着いてるけど」  セラードは両手でカップを包み込むと、その温もりを確かめるように、ゆっ くりと口をつけた。  冷え切っていた指先に、少しずつ血の色が戻っていく。  それを見届けてから、ソリスはセラードの隣に腰を下ろし、テーブルの上に 置かれた本を見つめた。  表紙には、セラードの紋章とよく似た模様が、色褪せて刻まれている。 「……開きますよ」  ソリスがそっと表紙を捲ると、古い紙の匂いが立ちのぼった。

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