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第6話

一ページ目は白紙で、二ページ目にはあの老人の筆跡と思しき、手書きの文字がびっしりと書かれていた。 「もしかして、この本ってあの老人の日記帳なんじゃないでしょうか?」 「そんな大事な物をなんで俺達に?でも、この日記帳から感じる魔力があの老人の物だとすると、合点がいく」 二人は老人の日記を読み進めていく。 『八月二十三日。愛する人を失った。 私の国の王であり、私が守ると誓った、あの人を。 国の策略によって裏切られ、暗殺された彼を前に、私は、何も覚えていない』 『八月二十四日。愛する人を失った私は、隣の国に身を隠した。だが、もう生きる意味を持てない。 毎朝、動かなくなってしまった彼を見るたびに、後を追いたいという考えが過る。 しかし、彼はそれを望まないだろう。 別の方法を探さなくては』 『八月二十五日。死者を蘇生させる禁呪があると知った。 噂には聞いていた。 まさか、私自身がそれに手を出す日が来るとは』 『八月二十六日。自国は消えてなくなってしまったらしい。 私の悲しみが、力となって溢れ出したのだという。 守れなかった悲しみが、こんなにも多くの命を奪うとは』 『八月二十七日。国は、私がしたことの始末を、強い魔力を持つ魔道士を処刑することで収めるらしい。 処刑などせずとも、あの人がいれば、民は鎮められたはずだ。 私の国の王であった、私の愛した彼ならば。 だが、私の愛した人は……。 彼を守ると誓ったのに、守りきることができなかった』 『八月二十八日。見つかってしまった。交友のあった国の、医師で、回復魔法が得意だという。殺すべきかと考えた。だが彼は、そんな私に食べ物を差し出した。干したリンゴだった。こんな高価なものを殺意を向けている相手に渡す男がいるとは。私は受け取った。受け取ってしまった。彼は言った。私にも、そうするに至るまでの事情があったのだろう、と。大陸をひとつ焼いた男に向かって、事情があったのだろう、と。この話を愛する彼にしたら、なんと言っただろうか。あなたは、こういう者を好んでいた。私は覚えている。私は優しい彼を気に入ってしまった』 『八月三十一日。あの医師がまた来た。今度は名を名乗った。彼の親友が、次の処刑の対象になったという。この国で最も強い魔力を持つ魔道士だと。親友、と彼は言った。何度も言った。言葉は親友と言うのに、その目は、そうではなかった。私はその目を知っている。彼は禁呪で親友を封じるつもりでいた。処刑を偽り、封印して生きたまま隠すのだと。だが、彼の魔力では足りない。使えるのは回復の魔法が中心だという。人を守ることしか知らない手で、人を封じようとしている。それほどまでに、彼は追い詰められているのだろう。私と同じだ』 『九月四日。三日、考えた。考えるふりをしていただけかもしれない。私は彼に、取引を持ちかけた。私の魔力を分け与える。その代わりに、愛する人の身体を修復してほしい、と。彼は長いこと黙っていた。それから、頷いた。これで、死者を蘇生させる呪が成功すれば、あの人は還ってくる。彼の親友も助かる。誰も死なない。そう書いてみて、手が止まった。私は、干したりんごの礼を、まだ言っていない』 「この親友は、処刑から逃すために俺を封印したのか」 セラードの硬く握っている手が震える。 「こいつは俺を生かした。なら、俺に呪いをかけたのと、足に傷を負わせたやつは別人だっていうのか」 「そうだと思います」 ソリスはセラードの手を包み込むようにそっと自分の手を重ねた。 彼は、きっと百年ぶんの怒りをどこへ向ければいいのか分からないでいるのだろう。 セラードは重ねられた手を見てから、ソリスから目を逸らして、慌てたように話題を変えた。 「それにしても、回復魔法しか使えないってソリスみたいだな」 「言われてみれば。でも、魔法全盛期の時代のヒーラーなら、たくさんの人を救ったすごい人だったんでしょうね」 「記憶にはないけれど、そのすごい人は俺の親友だったんだな」 『二度目の生の、名も知らぬ月の日。 見つかってしまった。 またこの書き出しを使うのかと、自分で書いて手が止まった。前にも一度、同じ言葉で書き出した日がある。あの日は、食べ物を差し出された。 今日訪ねてきた男は、何も持っていなかった。 魔力を辿ってきたのだという。この身体は前とは違う顔をしているのに、力の質だけは変えられないらしい。逃げていたつもりはない。ただ、誰にも見つからないものと思っていた』 『男は、この国の護衛だと名乗った。前世では私が護衛を勤めていた交友国の国の王だったという。私と同じ呪いを負っているのだと聞いて、初めてこの男の顔を正面から見た。 私と同じ目をしていた。 用件は、封じられた魔道士のことだった。あの医師が命がけで隠した男を、今なお守り続けているのは、この護衛なのだという。 そして彼は言った。あの男が目を覚ました時、もし世界にとって害となるならば、止める術がいる、と』 『私は断ろうとした。 理由は、うまく言えなかった。 なぜか気が進まない。それだけは、はっきりと分かる。だが、なぜ気が進まないのかが分からない。胸の奥に、断るべきだと告げるものがある。その声は確かにあるのに、根拠がどこにも見当たらない。 あの医師の顔を、思い出そうとした。 思い出せなかった。 名を書き留めておかなかったことを、今になって悔いている。あの日、私は覚えていると書いた。覚えていると、確かに書いたのだ』 『護衛は、こうも言った。 あの男を恐れているのではない。恐ろしいのは、力そのものだと。 一人の悲しみが大陸をひとつ消したことを、今の王も忘れてはいない。同じことが二度と起きぬように、備えを置くのが自分の役目なのだと。 私は、返す言葉を持たなかった。 その大陸を消したのは、私だ』 『三日、考えた。 いや、考えるふりをしていただけかもしれない。この書き方も、前に一度した気がする。 私は引き受けることにした。 私にこの男を止める資格はない。備えを置くというのなら、それは正しい。今の時代は国が滅ぶことも、見せしめの処刑もないほどに平和だ』 『前にかけた呪いの上に、さらに呪いを刻んだ。 封印が解けた時に発動し、一月のうちに解かれなければ、その者は死ぬ。 だが、私は解く道を残した。護衛には告げていない。 ──封印されし者の呪いを解くには、愛するものと心から愛し合い、真の絆で結ばれること。 なぜこの条件にしたのか、自分でも分からない。 ただ、あの医師が命を賭けて隠したのは、恐ろしい力ではなく、一人の男だったのだと思う。そういう目をしていた気がする。 思い出せない顔に向かって、私はこれを書いている。 干したりんごの礼を、まだ言っていない』 読み進めるうちに、ソリスのページを捲る指が止まる。 「これは……」 隣から覗き込んだセラードも、その一文を目で追う。 『──封印されし者の呪いを解くには、愛するものと心から愛し合い、真の絆で結ばれること』 部屋が、しんと静まり返った。 真の絆で、結ばれる。 その意味を理解した瞬間、ソリスの頬に熱が集まっていく。 つい先ほど、手を握り合ったばかりだ。指を絡めて、この人に生きていてほしいと願ったばかりだ。 なのに、この本は――それを、もっと先まで求めている。 「……なぁ」 セラードの声に、はっと顔を上げる。 紫の瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。 「お前が助けてくれるって言うなら」 大きな手が、ソリスの頬に伸びる。 温かい指が、そっと頬に触れた。 「……試して、みるか」 顔が、近づいてくる。 吐息が触れそうな距離で、ソリスは目を閉じかけて――けれど。 (……違う) 胸の奥が、きゅっと痛んだ。 さっき手を握った時の、あの温かさとは違う。 これは、呪いを解くための「手段」だ。命を助けるための、義務のキスだ。 そう思った瞬間、目の奥が熱くなって、視界がぼやけた。 「……ソリス?」 こぼれ落ちそうになった涙に気づいて、セラードの手が、ぴたりと止まる。 「な、なんで、泣いて……」 「ちが……っ、違うんです。これは……」 ソリスは慌てて目元を拭ったが、一度あふれた涙は止まらない。 自分でも、なぜ泣いているのか分からなかった。 ただ――まだ、セラードと付き合ってもいないのに「試してみるか」なんて言葉で触れられたことが、どうしようもなく悲しかった。 「……悪い」 セラードは弾かれたように手を引くと、勢いよく立ち上がった。 「頭を、冷やしてくる」 「セラード!?」 引き止める間もなく、セラードは玄関へと向かう。 扉が乱暴に開かれ、外の湿った空気が流れ込んできた。 いつの間にか、外は雨が降り始めていた。

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