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第7話
扉の音が、部屋にいつまでも残っていた。
濡れた土の匂いと、雨の音だけが、開け放たれた玄関から流れ込んでくる。
ソリスはテーブルの上に置かれたままの、老人の日記を見つめた。
(追わなきゃ)
そう思った瞬間、身体が勝手に動いていた。
傘立てから傘を引き抜くことも忘れて、外に飛び出す。
雨は思ったよりも強かった。
数歩で髪が張り付き、シャツが肌に貼りついていく。
街灯の光が、無数の雨粒に切り刻まれて滲んでいた。
「セラード!」
呼んでも、雨音に飲まれて返事はない。
家の前の道を見渡す。左は街へ続く道。右は、セラードが封印されていた立ち入り禁止の森に続く道だ。
(頭を冷やしたいなら、人の多い方には行かない)
薬師の勘なのか、それとも別の何かなのか。ソリスは迷わず右へ走り出した。
立ち入り禁止の森の付近に、人はいなかった。
前は聞こえた小鳥の囀りも聞こえない。
視界が、雨に煙って何も見えない中、ソリスは森の奥に向かって進む。
「セラード……!」
呼びながら、ソリスは森を歩いた。足元の土は水を吸って柔らかく、革靴が何度も滑る。
腹部の痣が、じんわりと熱を持ち始めた。
(近い)
確信があった。理由は分からない。ただ、この熱が教えてくれている。
もっと先だ。もっと──。
「セラード!いるんでしょう!」
叫んだ声が、雨に飲まれて消える。
返事はない。それでも、痣の熱は嘘をつかない。
(この先だ)
整備された道は、とっくに途切れていた。
前に、ここを歩いた時は、国の騎士が整備した道が続いていたはずだ。
けれど痣が示す方向は、そこから外れた木々の密集した斜面の奥。
濡れた下草を掻き分けて、一歩踏み出す。
(近い──!)
顔を上げた先、雨のカーテンの向こうに、白いものが見えた気がした。
銀色の、髪。
「セラ──」
踏み出した足の下で、地面が消えた。
「……えっ」
土が崩れる音を、遅れて聞いた。
視界が斜めに傾いていく。掴もうと伸ばした手が枝をかすめ、湿った樹皮が指の腹を滑っていった。
爪が剥がれるような痛みだけを残して、何も掴めない。
身体が、宙に投げ出される。
雨と、木々と、灰色の空が、順番に頭上を流れていく。
肩が幹に叩きつけられた。
息が、止まる。
跳ねた身体がもう一度落ちて、今度は背中から地面を打つ。肺の中の空気が、全部押し出された。声も出せない。
(あ……)
痛みよりも先に、頭に浮かんだのは別のことだった。
——あの日、セラードとこの森で出会った。
棺桶に導かれるように、痣が熱を帯びて、蓋を開けて彼を封印から解いた。
彼を治療して、彼が触れる場所から、何か温かいものが流れ込んでくるような感覚がして、不思議そうに見つめてくるセラードの手を放したくなくて。
それが始まりだった。
同じ場所で、同じ痣が、今も熱い。
セラードは、まだあんな顔をしたままだ。
自分が泣いたせいで、あの人はあんな顔をして出ていった。
謝っていない。
まだ、何も言えていない。
必ず、封印を解くと約束した——。
セラードを残しては、死ねない。
腹部の痣が、焼けるような熱を放った。
斜面をいくつも転がり落ちた身体が、太い木の根に引っかかって止まる。
雨が、顔に降り続けている。
指先を動かそうとしたが、動かない。
寒い。指の先から、順番に感覚がなくなっていく。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
その最後の瞬間に、遠くで、誰かが自分の名前を呼んだ気がした。
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