11 / 13
第11話
どこかで見たことがある、森の草原だった。
周りには二人の人影があり、灯りは持っているランタンだけ。
近くには鉄の棺桶が置かれていた。
その手前で、男が暴れている。
銀色の髪。紫の瞳。
セラードだ。
「離せ! 俺だけ助かるなんて、できるかよ!」
二人のうちの片方のものと思しき強い魔力で、取り押さえられている。
それでも振り払おうとする力は、常人のものではなかった。
「他の強い力を持った魔道士は、全員殺されたんだぞ! 俺だけ助かってなん
になる!」
「セラード」
今の自分の声に似た、別の誰かの声が聞こえた。
泣いた後なのか、声は枯れていて低い。
「頼む。生きてくれ」
「ふざけるな!」
セラードが、渾身の力で魔力の拘束を振りほどき、森の奥に向かって、走り
出す。
その瞬間、光が閃き、肉を裂く音と同時に悲鳴が響いた。
「──っ、あ」
セラードの身体が、前のめりに崩れる。
足だ。膝の裏から脛にかけて、深く斬られている。
血が、草原に広がっていく。
男が、静かに言った。
「すまん。だが、こうするしかない」
ブロンドヘアに、青い瞳。
その男はジグナードに似ていた。
「セラード!」
駆け寄って膝をつき、震える手で、傷口を押さえた。
熱い血が、指の間から溢れてくる。
(傷を塞がないと)
手のひらに、光を集めようとした。
その時、後ろから声がかかった。
「その魔力を使えば、封印は完成しない」
黒いマントの、別の男。
「決めろ。傷を治すか、この男を生かすか」
手が、止まった。
目の前で、セラードが呻いている。血が、止まらない。
医者だ。自分は、医者だ。
人を治すこと。それだけが、自分の役目だった。
なのに。
「……ルクス」
セラードが、掠れた声で名を呼んだ。
濁り始めた紫の瞳が、こちらを見ている。
「なんで、だ」
その目に宿っているのは、痛みでも、恐怖でもなかった。
裏切られた者の目だ。
(違う。違うんだ)
言いたいのに、声が出ない。
(あなたに、生きていてほしいだけなんだ)
血に濡れた手を、ゆっくりと離した。
治さない、と決めた。
それが、自分が下した、生涯でいちばん自分らしくない判断だった。
「……ごめん、セラード」
震える手で、セラードの頬に触れる。
「必ず、治すから」
詠唱が始まり、三人の声が重なっていく。
セラードの瞼が、それに合わせるように落ちていった。
冷たくなっていく身体。
「セラードだけは、幸せになってほしい」
棺の蓋が、閉じられていく。
「これは、俺の願いだ」
暗闇が、彼を飲み込んだ。
「セラード、愛してる」
「──リス! ソリス!」
肩を揺さぶられて、我に返った。
暗い部屋。畳の匂い。隣で、セラードが身を起こしてこちらを見ている。
頬が、濡れていた。
拭っても拭っても、涙が止まらない。
「お前、いきなり泣き出して……どうした」
「……見えたんだ」
声が、震えた。
「セラードが、封印される時のこと」
セラードの動きが、止まる。
「俺、そこにいたみたいなんだ」
ソリスは、自分の両手を見た。
血の感触が、まだ残っている気がした。
「あなたの足を治せなくて、それで、俺は──」
言いかけて、息が詰まった。
「必ず治すって、誓ったんだ」
闇の中で、セラードの目が見開かれるのが分かった。
それと同時に、彼の首筋の紋章が白く光り始めた。
「……ソリス。さっきから、変なんだ」
セラードは、自分の首筋に触れた。
「頭の奥に、何かが引っかかってる。思い出せそうで、思い出せない」
ソリスは、荷物のほうを見た。
何か手掛かりが掴めるのではないかと、老人の日記を持ってきていた。
「セラード。あの日記帳、出してみようか」
「老人からもらった日記か? あれが記憶となんの関係が」
「なんとなく、そんな気がして」
自分でも、なぜそう思ったのか分からなかった。ただ、腹部の痣がまだ温か
い。
ソリスは手探りで枕元の明かりをつけると、鞄から日記を取り出し、セラー
ドにも見えるように開いた。
すると、セラードの首の紋章と自分の腹部の痣に共鳴するように、本が光り
出した。
「っ」
ソリスが息を呑む。
光が止むと、一番最初のページに一枚の紙が挟まっていた。
古い紙だ。折り目が黄ばんでいる。
「……なんだ、これ」
セラードがそれをつまみ上げ、広げる。
そこには、ソリスと同じ筆跡で文字が書かれていた。
『セラード。これを読んでいるなら、あなたは目を覚ましたのだろう。
今、あなたは俺の目の前で眠っている。
蓋を閉じたのは、俺だ。
まず、謝らせてほしい。
治さなかったんじゃない。治せなかった。あの魔力を使えば封印は完成しな
かった。あなたを生かすには、あなたの傷を見捨てるしかなかった。
最後にあなたが俺を見た、あの目を、俺は忘れない。
裏切ったと思っただろう。
そう思わせたまま、あなたを眠らせる。それが俺の罰だと思っている。
なぜ封印したのか、それも書いておく。
処刑を、止められなかった。強い魔力を持つ者は順に殺された。俺は医師
だ。回復の魔法しか使えない。誰ひとり、庇えなかった。
唯一できたのが、あなたを死んだことにすることだった。
王は承知の上だった。あの人も、本当はあなたを死なせたくなかった。
魔力を貸してくれた男がいる。名は聞かなかった。大陸をひとつ焼いた男だ
と言われている。だが俺には、ただ人を失った男に見えた。
セラード。あなたはいつも、最強だと呼ばれることを嫌がっていた。
甘いものが好きなことを、誰にも言わなかった。
甘いものを持っていくと、いらないと言いながらも、結局全部食べた。
そういうことばかり思い出す。
目が覚めた時、俺はもういない。それでいい。
どうか、お腹いっぱい食べて、よく眠って、誰かと笑ってほしい。
あなたが百年ぶんの静けさの中で失ったものを、誰かが埋めてくれることを
願っている。
俺は、それを見ることができない。それだけが、悔しい』
(俺が、書いたんだ)
百年前の自分が、セラードに宛てて書いた願い。
「──ッ」
セラードの身体が、大きく跳ねた。
「セラード⁉」
首筋の紋章が、強い光を放っている。目を見開いたまま、彼は動かない。呼
吸が浅く、速くなっていく。
ソリスは慌てて肩を掴んだ。
「……ルクス」
「え?」
「ルクス、だ」
掠れた声だった。
「思い、出した。全部」
セラードの手から、紙が滑り落ちる。
そして彼は、両手で顔を覆った。
「……なんで」
肩が、震えている。
「なんで、忘れてたんだ、俺は」
言葉は、途切れ途切れだった。
ソリスは黙って、隣に座っていた。
セラードが語ったのは、百年前の話だった。
王室の医師。名をルクスといった。強い魔力は持っていなかった。使えるの
は回復魔法だけ。それでも戦場に出て、倒れた者を片っ端から治して回ってい
た。
「馬鹿な奴だったんだ。自分が死にかけてても、他人を先に治す」
その言葉に、ソリスの息が止まった。
──自分がボロボロでも、他人を先に治すのか。
病室で、セラードはそう言った。
「あいつは、いつも俺の後をついてきた。最強の魔道士だなんだと持ち上げら
れ、一方では恐れられ、誰も近づかなくなった俺に、あいつだけが……」
セラードの声が、詰まる。
「俺が甘いものが好きなのを知ってたのは、あいつだけだ。戦時中で滅多に手
に入らないのに、どこからか甘いお菓子を持ってきて。……俺が、恥ずかしが
るのを笑って」
セラードは寂しそうに笑った。
「処刑が決まった時、俺はそれを受け入れた」
セラードが膝を抱えた。
「あいつが止めた。国王と話をつけてある、封印すれば生きられる、と。……
俺は断った。他の魔道士は全員殺されてるのに、俺だけ助かるなんて、できな
かった」
「……それで」
安心させるように優しくセラードの手を握ると、俯いたまま握り返される。
「暴れて、逃げようとした」
セラードが、自分の足に目をやる。
「そうしたら、動けないように、魔法で足を斬られたんだ」
ソリスは森で治した、赤黒く口を開けた切り傷を思い出した。
「血が止まらなかった。ルクスは医者だから、治そうとした。……でも、でき
なかった」
「なぜ?」
「治療に魔力を使ったら、封印が完成しないからだ」
セラードは、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。
「あいつは、人を治すことしか知らない男だ。目の前で血を流してる俺を、治
さないと決めたんだ。どんな気持ちだったんだろうな、あいつは」
セラードの声が、少しずつ弱く、小さくなっていく。
「最後に見たのは、あいつの顔だ。泣いてた。何か言ってたけど、聞こえなか
った」
瞳は昔の出来事を思い出すように、遠くを見ていた。
「あの時、俺は処刑されてもいいと思っていた。でも今は、こんなにも死ぬこ
とが怖い」
握っている手に力がこもった。同じ強さで握り返すと、セラードが顔を上げ
る。
「俺に、ルクスだった時の記憶はほとんどないけれど、これだけは分かる。ル
クスはセラードのことを治療できなかったことも、幸せにできなかったこと
も、深く後悔していた。だから俺がこうして、セラードと出会ったんだ」
セラードを優しく抱き寄せると、これまでの想いが溢れて、自然と涙がこぼ
れていた。
「ソリス……」
セラードの腕が背中に回り、強く抱きしめ返される。
「処刑された魔道士たちには、悪いと思ってる」
その腕に、さらに力がこもる。
「それでも俺は、今こうして生きられて、幸せだ」
少しの沈黙のあと、セラードは続けた。
「手紙に、書いてあっただろ。誰かが埋めてくれることを願ってる、って」
「……」
「……もう、埋まってる」
セラードの首の紋章とソリスの痣が、共鳴して温かく強い光を放つ。
光に包まれた、その時だった。身体の力が強制的に抜けていく。
瞼が重い。
(セラード、逃げ……)
そう思った時にはもう、意識が沈んでいた。
ともだちにシェアしよう!

