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第12話
目を開けると、見慣れぬ小屋の中に人影があった。
ブロンドヘアの見知った顔が、椅子に座って脚を組み、こちらの様子を窺っ
ている。
「ジグナード⁉」
「セラードの魔力が戻ってきている予兆があったので、少し手荒な方法を取ら
せてもらった」
腹部の痣はまだ、ほんのりと温かい。
(よかった。セラードは無事だ)
身じろぎをするが、手足は縄で固く縛られ、身動きが取れない。
小屋は埃っぽく、人が長く住んでいない匂いがした。
「……どうやって居場所を」
ジグナードは眉間に皺を寄せた険しい表情で、こちらを睨んできた。
「俺が刻ませた呪いだ。辿れば分かる。それに、あれだけの魔力で光れば、俺
の魔力など紛れる」
眠らされる前、セラードの首の紋章が強く光っていた。
あの光が魔力なら、呪いは解けかけている。
ルクスの記憶で見たブロンドヘアの男は、やはり、ジグナードだった。
あの記憶では、血を流すセラードに、すまん、と言った。
なのになぜ、後になって、図書館で出会ったあの老人に、セラードへ呪いを
かけるよう持ちかけたのか。
「お前には、セラードが呪いで死ぬまでの残り二十六日間を、ここで過ごして
もらう」
ソリスは言葉を失った。
目の前の男は自分を監禁した上に、セラードを見殺しにする気だ。
怒りで拳に力が入るが、縄は固く縛ってあり、びくともしない。
「誰も来ない場所だ。叫んでも、誰にも届かない」
「セラードになぜ、呪いをかけさせた」
老人の日記には『あの男を恐れているのではない。恐ろしいのは、力そのも
のだ』と書いてあった。果たしてそれだけの理由なのだろうか。
「ソリス、お前は本当にセラードの魔力を戻して、このまま生かしておいてい
いと思っているのか? やつの魔力なら、街ひとつ滅ぼすことなど簡単だ」
百年前もそうだった。強い魔道士を処刑して力で押さえつけて、その後に今
の監視社会になった。
本当にそれしか、平和になる方法がなかったのだろうか。
「だからといって、力で押さえつけるのは間違っている」
ソリスが睨み返すと、ジグナードの目がわずかに揺れた。
まるで、その眼差しを以前にも見たことがあるかのように。
「やはり、お前はルクスの生まれ変わりなんだな。……あいつも、セラードを
封印する前に同じことを言った」
ソリスは目を見開いた。
「あの男の封印を手伝ったのは俺だ」
ソリスの息が一瞬止まった。
「知っているだろう。お前は、ルクスの記憶を見ている」
「……なぜ、知っているんですか」
「ルクスと同じ魔力が溢れるのを感じ取った。それと、お前の痣と同じものが
ルクスにもあった」
ジグナードは椅子の背に体重を預けた。
「……あなたたちはセラードを封印して、助けたんですよね」
「そうだ」
「なら、なぜ」
「怖くなったからだ」
ジグナードは視線を外した。
「ルクスは、俺より先に亡くなった。俺は王として死んだが、こうして、記憶
を持ったまま、生まれ変わった」
「……なぜそんなことに」
「セラードを封印した時、俺たちは呪われた。あの老人も、同じ呪いを受けて
生まれ変わっている。お前が記憶を失っていたのは、あの時より魔力が減退し
ているからだ。それは、好都合だった」
ジグナードと老人は魔法の統制の影響を受けにくい環境にいたのだろう。
統制を受けて魔力が衰えたソリスだけが、ルクスの記憶を取り戻すのに時間
がかかったのだ。
「俺は、生まれ変わって、また同じ国で、同じ森の番をしていた。棺の前に立
つたび、考えるんだ。この男が目を覚ました時、何が待っているのか」
ジグナードの声が、低くなった。
「誰も知らない時代だ。名を呼ぶ者もいない。ルクスもいない。……百年ぶん
の孤独と恨みを抱えた、最強の魔道士が、世界に放り出される」
「……」
「俺は、見ているんだ。大陸をひとつ焼いた男の顔を」
「あの老人は、悪ではなかった。ただ、愛する者を喪って、一人になった。そ
れで国がひとつ消えた」
「……だから、セラードの魔力を封印し、死に至る呪いを」
「そうだ。最強の魔道士であるセラードが再び魔力を取り戻せば、百年前より
大きな被害が出るだろう。魔力が戻ってきているということは、お前たちが呪
いを解く方法を知っているということだ。あの老人も、なぜその方法をお前た
ちに教えたのか……」
「俺は薬師だから、目の前の一人しか治せない。でも、セラードのことなら分
かる。今のセラードは国を滅ぼしたりしない」
「根拠はあるのか?」
「……あの老人が、答えを残してます」
「何?」
「あの老人がなぜ、呪いを解く方法を作り、俺たちに教えたのか、分かります
か?」
「……」
「一人にされた人間がどうなるかを、あの人は誰よりも知っていたからです」
「大陸を焼いたのは、魔法じゃない。大事な人を失って、一人になった悲しみ
だ」
「だから、一人にしなければいい。セラードはもう、一人じゃない。あなた
は、やり方を間違えた」
ジグナードが顔を上げる。
「セラードが街を滅ぼせるのは、本当です。否定しません」
ソリスは、縛られた手を握りしめた。
「俺の薬を作る知識も、使い方を間違えれば、人を殺せる。でも、それをしな
いのは、俺が人を助けることで喜んでくれる人がいるからだ」
「……屁理屈だ」
「あの人は、目が覚めてから、ずっと怯えてた。自分が知らない時代に目覚め
させられて、誰も自分を知らないことに」
声が、震え始める。
「初めてポトフを食べた時、美味いって、手が震えてた。クレープに目を輝か
せて、饅頭ひとつで言葉が出なくなって、温泉に入って、こうして生きられて
幸せだって、俺に言ったんだ」
「……」
「あの人は、世界を焼いたりしない」
「あんたが百年かけて恐れてたものは、どこにもなかった」
ジグナードは、何も言わなかった。
長い沈黙のあと、低く呟く。
「……それでも、あいつが魔力を暴走させたら」
その時、腹部の痣が焼けるように熱くなった。
──セラードの気配がする。
その瞬間、激しい轟音と共に扉が吹き飛び、座っていたはずのジグナードが
一瞬にして壁にめり込んでいた。
「ソリス。怪我はないか?」
セラードは気絶したジグナードに背を向けてソリスに近づくと、しゃがみ込
んで縄を解き始めた。
「怪我はないけど、これはやりすぎだよ」
「やりすぎって、こいつはソリスのこと轢き殺そうとした上に、魔法で俺たち
のこと眠らせて、誘拐までしたんだぞ。俺の魔力が戻りかけてたから早く目が
覚めたけど、そうじゃなかったら、こいつとこの小屋で、長いこと二人きりだ
ったんだ」
「セラード、もしかして、一緒の時間を邪魔されて怒ってる?」
「うっ……。そうだ。俺は旅館でソリスと一緒に朝ごはん食べて、もう一度温
泉に入りたかったのに、こいつが」
「また、一緒に旅館に行こう。でも、その前に、ジグナードを治すから、ソル
ヴァンを呼んできてくれる?」
「こいつのこと、治すのか?」
「治す。俺は薬師だから、できる限りのことはする。それに、百年前みたい
に、セラードに人を殺させたくない」
「ソリス」
縄を解き終えたセラードは、目に涙を浮かべながら、ソリスの額に優しくキ
スを落とす。
「ソルヴァンは病院だな。十五分で戻る」
セラードはそう言うと、一瞬にして消えてしまった。
「これで、魔力が完全には戻ってないのか。セラード、すごいな」
ソリスはセラードを見送ると、ジグナードのそばに膝をつき、頚動脈に指を
当てた。
脈は、あった。けれど弱く、速い。
顔から血の気が引いて、指先が冷たくなり始めている。
(まずい)
身体の中で、出血しているのかもしれない。
ソリスは、両手をジグナードの胸に当てた。
自分の魔力では、治すことはできない。それでも、弟が来るまで繋ぐことな
らできる。
手のひらに、なけなしの魔力を集めて、ジグナードの心臓に注ぐ。
脈が、わずかに持ち直した。
けれど、手を離せばまた弱くなる。
額に汗が滲む。腕が震え始める。
限界かと思った時、外から物音がして、ソルヴァンの声がした。
「早く降ろせ! こんな姿、兄さんに見られたくない!」
振り向くと、そこにはセラードに俵担ぎにされたソルヴァンがいた。
あんなに慌てるソルヴァンを見るのは、初めてかもしれない。
セラードに降ろされると、ソルヴァンは何事もなかったように、ソリスの元
へとやってきた。
「兄さん。セラードから事情は聞いた。瀕死の奴はこいつか」
「うん、今のところ、魔力で持たせているけど、手を離すと脈が弱くなる」
「おい、セラード。魔力戻ってきてるんだろ! 手を貸せ」
「仕方ねぇな」
ソルヴァンはジグナードの腹に手を当てて、目を細めた。
「腹の中で出血してる。俺が塞ぐ。……俺の魔力だけじゃ足りない。あんた
は、流し続けろ」
「どこにだ」
「こいつの心臓だ。兄さんがやってたのと同じ場所に」
セラードが、ソリスの隣に膝をついた。
「こいつに、ソリスの魔力は贅沢だ」
横から伸びてきた大きな手が、ソリスの手に重なる。自分とは比べものにな
らないほどの魔力が、その手から放たれていく。
ソリスはセラードに任せて、そっと手を引いた。
途端に、身体から力が抜けた。床に手をつく。自分がどれだけ無理をしてい
たのか、手を離して初めて分かった。
「兄さん、よく持たせたな」
ソルヴァンは顔も上げずに言った。
セラードの首筋で、紋章が淡く光った。
出会った当初は魔法を使おうとすると、赤く光って、セラードは痛みに呻い
ていた。
今は、セラードに手懐けられたかのように、紋章が魔力と共鳴している。
ジグナードの顔に、少しずつ血の気が戻っていく。
ソルヴァンが、わずかに眉を上げた。
「……これで、まだ、全回復してないのか?」
「半分もしてねぇよ」
「兄さんが選んだ人なだけはあるな」
「うるせぇ。力、弱めんなよ」
セラードは顔を真っ赤にして動揺しながらも、手から放つ魔力を強めた。
どれくらい経ったのか。
ジグナードの瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
最初に見たのは、覗き込んでいるソルヴァンの顔だった。
青い瞳が、大きく見開かれる。
「……アウレス」
掠れた声だった。
ソリスの知らない名前だった。
ソルヴァンは眉ひとつ動かさなかった。
「誰だそれ。喋るな、傷が開く」
ジグナードは、何か言おうとして口を開いた。けれど、ソルヴァンはもう彼
を見ていなかった。
脈を取り、傷の具合を確かめ、淡々と手を動かしている。
ジグナードだけが、ソルヴァンから目を離せずにいた。
やがて、ジグナードの視線が、自分の胸に置かれた手に落ちた。
その手を辿って、顔を上げる。
セラードと、目が合った。
「……この魔力は」
「動くな。魔力が無駄になる」
ジグナードの顔が、歪んだ。
「なぜ、助ける」
セラードは、ジグナードの顔を見ながら黙っている。
「……王、か」
「今は、ただの護衛だ」
「足を斬られたのは、まだ許してねぇ」
セラードは、魔力を注ぎ続けながら、俯いた。
「でも、あんたが俺を生かしたことも、知っている。……あいつの手紙に書い
てあった。それに……」
セラードが、ちらりとソリスを見る。
「治せって、言われたからな」
ジグナードは、長いこと何も言わなかった。
やがて、目を閉じる。
「……俺は、百年も、何を」
その先は、言葉にならなかった。
「応急処置は終わりだ。あとは病院で診る」
ソルヴァンが立ち上がり、気だるそうに頭を掻きながら、あくびをする。
「容態は落ち着いたからバスで帰るとして、ここら辺は、バスが来るのが二時
間おきだったな」
夜勤明けで疲れているのだろう、早く帰りたいというオーラが出ていた。
「帰りは運ばなくていいのか」
セラードがからかうように言うと、ソルヴァンは心底嫌そうな目で睨み返
す。
「二度と担がれてたまるか。お前は早く兄さんを担いでどっか行け」
「なぁ。弟、怖すぎないか?」
「寝不足で不機嫌な時のソルヴァンを怒らせたら、根に持たれるよ」
「兄さん! 余計なこと言うな!」
「ごめん。セラードと家に帰ります」
「そうだな、帰るか」
セラードは座り込んでいるソリスの背中と膝に手をやると、そのままお姫様
抱っこをして軽々持ち上げる。
「セッ、セラード」
「力入らないんだろ? じっとしてろ」
セラードはそのまま、戸口に向かって歩いていく。吹き飛んだ扉の向こうか
らは、朝の光が差し込んでいた。
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