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# 第7章 今日これ入れて
HARUがNo.1になってから、店へ行くたびに和真まで礼を言われるようになった。
「久世さん、ありがとうございます。HARU、今月も一位ですよ」
「そうなんだ」
「ぶっちぎりです」
「それはよかった」
自分が一位になったわけでもないのに、嬉しかった。
ランキングの下のほうにいた男を、十二位、七位、三位と追いかけて、最後には自分で一位まで押し上げた。
本人より楽しんでいた自覚はある。
「久世さん」
声に振り向く。
「いらっしゃい」
HARUが歩いてきた。
少し前より、ずっと華やかになった。
髪は綺麗に整えられ、服もアクセサリーも目を引くものに変わっている。最初に会った頃なら店の中に紛れてしまいそうだった男が、今は遠くからでもすぐに分かった。
「雰囲気変わったね」
「ほんと?」
「うん。似合ってる」
「よかった」
HARUが笑って、隣へ座る。
「今日もいつものでいい?」
「うん」
「飯は?」
「食べたよ」
「何?」
「定食」
「じゃあ合格」
「まだ確認するんだ」
「するよ。久世さん、放っといたら食わないし」
そこは変わらなかった。
和真が空腹のまま酒を飲むことも、甘すぎるものが好きではないことも、前に話した仕事のことも覚えている。
ただ、以前より忙しくなった。
「HARU、お願い」
「はーい」
呼ばれれば、すぐに別の席へ向かう。
そこでもよく笑っていた。
客の話に耳を傾けながら、ときどき腕へ触れる。何かを囁かれれば顔を寄せ、相手が笑えば一緒になって笑う。
最初の頃にはほとんどしなかったことだった。
和真は酒を飲みながら、その姿を眺めた。
ようやく仕事を覚えたのだろう。
以前は高い酒を勧めることすらまともにできなかった。
今はNo.1だ。
いつまでも、売れなかった頃と同じでいるはずがない。
*
変わったのは、格好だけではなかった。
『今日来ない?』
『今週いつ来れる?』
『水曜来て』
連絡が増えた。
来店すれば、
「次いつ来る?」
と訊かれるようになった。
「まだ分からないかな」
「来週は?」
「たぶん」
「じゃあ水曜」
「なんで水曜?」
「俺が来てほしいから」
そう言って笑う。
以前なら、来たくなったら来てください、と言っていた。
営業ができるようになったのだと思った。
酒もそうだった。
「久世さん、これ飲もうよ」
HARUがメニューを開く。
「これ?」
「うん」
「HARUが飲みたいの?」
「飲みたい」
以前なら自分から選ばなかったような金額だった。
「いいよ」
「ほんと? ありがと」
HARUがすぐにスタッフを呼ぶ。
和真は少し笑った。
「言えるようになったね」
「何が?」
「高い酒」
「ああ」
HARUも笑う。
「いつまでもあのままじゃ売れないでしょ」
「そうだね」
「俺、No.1だし」
少し得意げに言う。
悪い変化だとは思わなかった。
客に酒を勧めるのも、来店を促すのも、距離を縮めるのも仕事だ。
和真が一位まで押し上げたのだから、その場所でうまくやっているなら、それでよかった。
そう思っていた。
*
けれど、少しずつ。
ほんの少しずつ、HARUは変わっていった。
「久世さん、今日これ入れて」
ある夜、席についたHARUがメニューを開いた。
指先が一本の酒を示す。
和真は値段を見た。
「ずいぶん高いの選ぶね」
「久世さんなら平気でしょ」
「まあね」
「じゃあお願い」
軽い言い方だった。
和真はHARUを見る。
笑っている。
最初の頃なら、この金額を見ただけで「そんなに使わなくていい」と止めただろう。
それが今では、当然のように自分から選ぶ。
「久世さん?」
「うん?」
「駄目?」
「いや」
金額が惜しいわけではなかった。
もっと高い酒を、自分から入れたことだってある。
「いいよ」
そう答えると、HARUの笑みが深くなった。
「さすが久世さん。ありがと」
「どういたしまして」
スタッフが呼ばれ、注文が通る。
何もおかしくない。
和真が金を持っていることをHARUは知っている。
払えないものを無理にねだられているわけでもない。
なのに。
なぜか、少しだけ引っかかった。
別の日には、HARUのほうから距離を詰めてきた。
「久世さん、これ見て」
スマートフォンを見せるため、肩が触れる。
画面を覗き込めば、HARUの顔がすぐ近くにあった。
「この前話してた店」
「ああ」
「美味そうじゃない?」
「ほんとだね」
「今度行ってみようかな」
HARUが画面を動かす。
肩は離れない。
以前なら、こんな距離で話す男ではなかった。
けれど、今はほかの客にもそうしている。
笑って腕へ触れ、顔を寄せる。
ときには甘えるような声まで出す。
そして客は喜ぶ。
だから、正しいのだろう。
売れなかったHARUより、今のHARUのほうがホストとしては正しい。
「何?」
視線に気づいたHARUが笑った。
「いや」
「俺の顔になんかついてる?」
「ついてないよ」
「じゃあ何」
「綺麗になったなと思って」
一瞬、HARUが目を丸くした。
すぐに口元を上げる。
「今さら?」
「自分で言う?」
「No.1なんで」
冗談めかして笑う。
和真も笑った。
けれど、なぜかその顔をもう一度見てしまった。
*
それからもHARUは一位を守り続けた。
自分の客も増えた。
和真が来ない夜にも大きな売上を作るようになった。
売れない新人だった頃とは、もう違う。
和真が押し上げた場所に、自分の力で立てるようになり始めていた。
それなのに。
「久世さん」
隣に座ったHARUが、またメニューを開いた。
「今日これ入れて」
前にも見た酒だった。
「また?」
「うん」
「好きだね」
「だって高いし」
さらりと言われた。
和真はHARUを見る。
「味じゃないんだ?」
「味も好きだよ」
HARUが笑った。
「それに久世さん、これくらい余裕でしょ?」
以前なら聞かなかった言葉だった。
和真は少し黙った。
「……何?」
「いや」
「入れてくれないの?」
HARUが顔を覗き込む。
その仕草まで上手くなった。
「いいよ」
「ほんと?」
「うん」
「さすが久世さん。ありがと」
ぱっと笑う。
綺麗な笑顔だった。
和真はそれを見ながら、ようやく違和感の形を掴みかけていた。
HARUは、笑うのが上手くなった。
最初に会った頃とは比べものにならない。
目の細め方も。
口元の上げ方も。
声の柔らかさも。
どんな顔をすれば客が喜ぶのか、もう分かっている。
「HARU」
「ん?」
「楽しい?」
HARUが一瞬、目を瞬いた。
「何が?」
「今」
「仕事?」
「うん」
少しの間があった。
「楽しいよ」
HARUは笑った。
「めちゃくちゃ楽しい」
「そっか」
「何、急に」
「なんとなく」
「変なの」
また笑う。
綺麗だった。
何もおかしなところなどない。
なのに和真は、初めて会った夜のHARUを思い出した。
『初ホストクラブ、結局どうでした?』
『思ってたより楽しかったよ』
『ほんと?』
たったそれだけで、顔を明るくした男。
十二万の酒を勧めておきながら、もっと高いものではなく和真の好みに合うものを選んだ男。
大きな酒を入れると言えば、本当にいいのかと何度も確認してきた男。
あの頃より、今のほうが綺麗に笑っている。
なのに。
あの頃のほうが、楽しそうだった。
*
「久世さん、さすが。ありがと」
その夜も、HARUは笑っていた。
頼まれた酒を了承すると、満足そうに目を細める。
「どういたしまして」
「一緒に飲もうね」
「HARUが頼んだんだからね」
「分かってるって」
笑いながら、HARUが和真の腕へ軽く触れた。
「久世様」
スタッフに呼ばれ、和真が顔を向ける。
「少々よろしいでしょうか」
「はい」
ほんの数秒だった。
和真の視線が外れる。
その瞬間。
HARUの口元から、笑みが消えた。
さっきまで柔らかく細められていた目が、すっと冷える。
和真の腕に置かれていた手も離れた。
無表情になった横顔には、喜びも楽しさもなかった。
ただ、疲れたようにテーブルを見つめている。
「――HARU」
和真が振り返った。
「ん?」
もう、笑っていた。
「どうしたの?」
「いや」
「何?」
「なんでもないよ」
「そっか」
HARUは和真のグラスを取った。
「もう一杯作るね」
「うん」
「いつもの濃さでいい?」
「お願い」
「了解」
氷がグラスの中へ落ちる。
カラン、と音がした。
HARUは笑っている。
和真も、その笑顔を見ていた。
服装も変わった。
喋り方も変わった。
営業も上手くなった。
高い酒をねだれるようになった。
客との距離も縮められるようになった。
売れなかったHARUは、もういない。
目の前にいるのは、店で一番売れているホストだった。
それなのに和真は、どうしても思ってしまう。
最初に会った頃のほうが、この男の笑顔を好きだった。
理由は、まだ分からなかった。
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