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# 第10章 何でもするから
「……違うの?」
訊いたのに、和真は答えなかった。
しばらく悠麻を見ていたが、やがてグラスへ視線を落とす。
「……久世さん?」
「それで、話って?」
話を切られ、悠麻は口を閉じた。
そうだった。
今日は七年前の答え合わせをするために来たわけではない。
「俺さ、今バーで働いてるんだ」
「うん」
「ホスト辞めて少ししてからだから、もう結構長い。そこのマスターが引退することになって、俺が店を継ぐ予定だったんだけど……ちょっと面倒なことになってさ」
建物の持ち主が変わり、店を続けるにはまとまった金が必要になった。
銀行へも行った。融資も申し込んだ。貯金も使うつもりだ。
それでも足りない。
「いくら?」
悠麻は金額を告げた。
和真の表情は変わらなかった。
「……驚かないんだ」
「金額に?」
「俺、この金で何週間も頭抱えてんだけど」
「そう」
「相変わらずだなあ」
思わず苦笑する。
七年前もそうだった。
悠麻なら目を疑うような金額を、一晩で平然と使っていた。
だからこそ、最後に思い浮かんだのが和真だった。
「それで……久世さんに、貸してほしい」
ようやく言った。
「ちゃんと返す。時間はかかるかもしれないけど、今の客もいるし、マスターからそのまま引き継げるから」
和真は少し黙ってから訊いた。
「その店、そんなに残したいの?」
「え?」
「ほかの場所じゃ駄目?」
「それも考えたよ。もっと安い物件も見た。でも……なんか違うんだよなあ」
悠麻はグラスの中の氷を揺らした。
「たぶん俺、あの店が好きなんだと思う」
「たぶん?」
「なくなるって言われてから気づいた」
自分でも少しおかしくなって笑った。
「銀行なんて行きたくないのに何件も回って、知らない制度調べて、友達にまで頭下げてさ。マスターにはもう諦めろって言われてんのに、全然諦められない」
そこまでしている自分を見て、ようやく分かった。
「思ってたより、ずっと好きだったみたい。あの店」
和真は黙って聞いている。
「客も変なの多いんだよ。毎回同じ酒頼むくせに、違うの飲もうかなって十分くらい悩んで、結局いつもの頼む人とか」
「結局同じなんだ」
「絶対同じ」
悠麻は笑った。
「娘の受験で、本人より緊張してた人もいたな。この前受かったって報告しに来てくれてさ。俺まで嬉しくなっちゃって」
そういう話を聞くのが好きだった。
一度聞けば、次に会ったときに気になる。
面接は受かったのか。
恋人とは仲直りしたのか。
旅行は楽しかったのか。
「前に聞いた話の続き聞くの、結構好きなんだよ。覚えてると、あれどうなったんだろうって気になるじゃん」
訊けば、客は嬉しそうに話してくれる。
酒を作るのも好きだ。
いつもの客がいつもの席に座って、「いつもの」と言う。
何年も繰り返してきた、なんでもない毎日。
「俺、昔は仕事なんて金もらえれば何でもいいと思ってたんだけど」
悠麻は笑った。
「今は、あそこで働いてるの結構好き」
和真は何も言わなかった。
「……何?」
「いや」
「なんか変なこと言った?」
「言ってないよ」
和真は目の前の悠麻を見た。
派手な服を着て、髪を整え、七年前のHARUを作ってきた男。
けれど今は、その面影が薄れていた。
好きな店のことを話して。
客との会話を覚えていて。
その続きを聞くのが好きだと笑っている。
七年前。
和真が最初に惹かれたHARUも、そういう男だった。
「店、見せて」
「え?」
「実際に見てから決めたい」
「……貸すかどうか?」
「うん」
悠麻の表情が固くなった。
「見て、駄目ってなることもある?」
「まだ何も知らないからね」
「売上とか必要なら見せるよ。帳簿も――」
「それも見る。でも、まず店を見たい」
「……分かった。俺ほとんどいるから、いつでもいいよ」
「連絡する」
完全に断られたわけではない。
けれど、貸すとも言われていない。
悠麻はグラスを握った。
ここで駄目なら、もう本当に手がない。
「久世さん」
「何?」
「俺、本当に返すから。店だって絶対潰さない」
「見てから決めるよ」
「……うん」
分かっている。
それでも怖かった。
銀行は駄目だった。
自分で用意できる金にも限界がある。
和真に断られれば、あの店を諦めなければならない。
「……俺にできること、ほかにない?」
「何が?」
「金貸してもらうために。利子でもいいし、ほかに条件あるなら、それでもいい」
「条件?」
「うん」
何でもいい。
店を残せるなら。
「俺、あの店残せるなら……何でもするから」
和真の手が止まった。
「……何でも?」
一瞬だけ怯んだ。
言いすぎたと思った。
けれど、撤回はしなかった。
「俺にできることなら」
和真はしばらく悠麻を見ていた。
「……とりあえず、店を見てから」
「分かった」
「それから決める」
「うん」
まだ、何も決まっていない。
それでも完全に断られなかったことに、悠麻は小さく息をついた。
その向かいで、和真は黙ってグラスを傾ける。
七年前には、ほとんど見ることのできなくなっていた笑顔。
それを七年ぶりに見た男が何を考えているのか。
悠麻は、まだ知らなかった。
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