11 / 27
# 第11章 戻ってたんだ
店の場所を聞いたのは、あれから三日後だった。
HARUから送られてきた住所を見て、和真は少し意外に思った。
もっと華やかな店を想像していた。繁華街の中心にある大きな店か、高級ホテルのバーのような場所。
けれど実際に訪れてみれば、繁華街から少し外れた場所にある小さなバーだった。目立つ看板もなく、外から中の様子もほとんど見えない。
「……ここか」
ドアを開けると、小さくベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
反射的にそちらを見る。
カウンターの中にHARUがいた。
「あ」
一瞬驚いた顔をしたあと、すぐに笑う。
「いらっしゃいませ、久世さん」
先日会ったときとは違う。
派手なシャツではなく、シンプルなシャツにベスト。髪も作り込んでおらず、袖を軽く捲っている。
「今日だったんだ」
「連絡したほうがよかった?」
「いや。いつでもいいって言ったの俺だし。どうぞ」
カウンターの端を示され、腰を下ろす。
「何飲む?」
「おすすめで」
「雑だなあ」
「店を見るんだから、任せたほうがいいでしょ」
「それもそうか」
HARUは少し考えてから棚へ手を伸ばした。
ボトルを取り、酒を量る。
慣れた手つきだった。
何年もここで働いているのだから当然なのだろう。それでも、カウンターの向こうで酒を作るHARUを見るのは妙な気分だった。
七年前は、いつも自分の隣にいた。
「はい。どうぞ」
グラスが置かれる。
「甘いの、そんな好きじゃなかったよね?」
伸ばしかけた手が止まった。
「……覚えてるの?」
「そりゃ。久世さん、甘いの飲んでるイメージないもん」
「七年前だよ」
「だから何?」
HARUは不思議そうな顔をした。
そのとき、別の客から声が飛ぶ。
「悠麻くん、もう一杯いい?」
「もちろん。次も同じので?」
「いや、今日は違うのにしようかな」
「珍しいですね。先月もそれ言って、十分くらい悩んで結局いつものにしたじゃないですか」
「あれ、そうだっけ?」
「しましたよ」
客が笑った。
「よく覚えてるなあ」
「そりゃ覚えてますよ」
「じゃあ今日は本当に違うのにする。任せる」
「一番困るやつですね、それ」
「プロだろ?」
「急に圧かけないでくださいよ」
HARUが吹き出した。
和真の指が止まる。
――あの顔だ。
目元を崩して、本当に可笑しそうに笑っている。
客に見せるために整えた笑顔ではない。
ただ、楽しいから笑った。
七年前、初めて会った頃のHARUと同じだった。
「そういや、うちの猫の話したっけ?」
「ああ、病院行くって言ってた子? どうでした?」
「大したことなかった」
「ほんとですか? よかった。食欲ないって言ってたから、ちょっと心配してたんですよ」
「今は食いすぎて困ってる」
「元気ならいいじゃないですか」
「俺の財布は元気じゃないけどな」
「そこは頑張ってください。猫ちゃん優先なんで」
「冷たいなあ」
また笑う。
和真は黙って、その横顔を見ていた。
次の注文を受け、酒を作る。その途中で別の客の空いたグラスに気づき、水を置いた。
「今日ペース早いですよ。ちょっと水飲んでください」
「まだいけるって」
「明日朝から会議って言ってたじゃないですか」
「なんで覚えてんだよ」
「昨日聞いたからですよ」
まただ。
客の話を覚えている。
その続きを訊く。
客が喜んで話し、HARUが聞く。
可笑しければ笑う。
七年前と同じだった。
いや。
七年前の途中から見えなくなったものが、ここにはあった。
和真はいつの間にか、店ではなくHARUばかり見ていた。
*
「久世さん」
客足が少し落ち着いた頃、HARUがカウンター越しに覗き込んできた。
「どう?」
「何が?」
「店。店見に来たんでしょ?」
「ああ。そうだったね」
「忘れんなよ」
HARUが呆れたように笑う。
「どうですか?」
「いい店だね」
「でしょ?」
返事が早かった。
しかも、嬉しそうだった。
「俺もそう思う」
「自分で言うんだ」
「いいじゃん。ほんとのことだし」
HARUは店内を見回した。
「狭いけど、俺これくらいのほうが好きなんだよね。客の顔見えるし」
それから、この棚は残したい、カウンターもできれば変えたくないと話し始めた。
古くなったところだけ直して、雰囲気はそのまま残したいらしい。
「常連さん、変わるの嫌がる人多いんだよ」
「HARUもでしょ」
「俺?」
「変えたくないんでしょ?」
「……まあ」
HARUの表情が柔らかくなる。
「好きだからね、ここ。せっかくマスターからもらえるんだし、ちゃんと残したい」
和真は店内を見渡した。
古いカウンター。酒の並んだ棚。常連客の座る椅子。
特別豪華でもない、小さな店。
そして、その中で笑っているHARU。
七年前、HARUは売れて変わったのだと思っていた。
自然に笑わなくなった。
高い酒をねだるようになった。
客との距離も、話し方も、笑い方も変わった。
そういう人間になったのだと。
最後には何も言わず、自分の前から消えた。
だからずっと、自分が好きだったHARUはもういないのだと思っていた。
けれど。
客に呼ばれれば振り向き、前に聞いた話を覚えている。
どうでもいい話の続きを楽しそうに聞く。
可笑しければ、目元を崩して笑う。
金を使わせるためでも、誰かに見せるためでもなく。
ただ自然に。
「……戻ってたんだ」
「え?」
HARUが振り返った。
「今なんか言った?」
「独り言」
「気になるんだけど」
「気にしなくていいよ。ほら、呼ばれてる」
「あ」
客が手を上げている。
「すみません、今行きます」
HARUが離れていく。
和真はその背中を見送った。
戻っていた。
自分の知らない七年間のどこかで。
だったら、もう一度――。
そこまで考えて、思い直す。
HARUは店を守るために自分へ連絡しただけだ。
七年ぶりに会いたかったわけではない。
分かっている。
それなのに、先日の言葉が蘇った。
『……何でもするから』
和真はグラスへ目を落とした。
何でも。
HARUは確かにそう言った。
七年前、どれだけ金を使っても手に入らなかった男。
店を出れば終わる。
自分は客で、HARUはホスト。
最後まで、それ以上にはなれなかった。
そして何も言わずに消えた。
忘れられないまま、七年が経った。
その男が今、昔と同じ顔で笑っている。
――半年。
それくらいなら。
半年だけ、欲しかった男を自分のものにする。
終われば手放す。
HARUには店が残る。
自分も、七年前から引きずってきたものを終わらせる。
「久世さん?」
顔を上げると、HARUが戻ってきていた。
「もう一杯飲む?」
「いや。今日は帰るよ」
「あ、そう」
HARUの顔に、わずかに緊張が戻った。
店を見終えた。
次は金の話だと思ったのだろう。
「それと、店のこと」
「……うん」
「ちゃんと考える」
HARUが目を瞬く。
「それって……」
「まだ返事はしない。また連絡する」
「……分かった」
和真は席を立った。
「ありがとうございました」
HARUが笑う。
「またお待ちしてます」
「うん」
店を出る。
扉が閉まり、中の声が遠ざかった。
店は守ろう。
もう、そのつもりだった。
金を貸すだけなら簡単だ。
けれど――。
『何でもするから』
七年間忘れられなかった男が、自分から差し出した言葉。
半年だけ。
その間だけ、自分のものにする。
終われば、今度こそ手放す。
それでHARUには店が残り、自分も終われる。
和真は、そう思った。
ともだちにシェアしよう!

