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第14章 二人分
翌日、目を覚ましたときには十一時を過ぎていた。
カーテンの隙間から差し込む光に目を細め、悠麻はしばらくベッドの上でぼんやりしていた。身体を起こしたところで、昨夜のことを思い出す。
「……マジで半年やんのか、これ」
昨日は契約初日だった。そして今日は、ちょうど店の定休日だ。
顔を洗ってリビングへ向かうと、和真はすでに仕事をしていた。テーブルの上にはノートパソコンと書類。昨夜あれだけのことをした相手とは思えないほど、いつも通りの顔をしている。
「おはよう」
「……おはよ」
和真が時計を見る。
「よく寝たね」
悠麻は冷蔵庫から水を取り出し、わざと見せつけるように腰をさすった。
「誰かさんがしつこかったからね」
「ああ。俺か」
「他に誰がいんの」
呆れたように笑ってみせる。昨夜あれほど好き勝手にされたことなど、大したことではないという顔で。
和真は何も言わず、またパソコンへ視線を戻した。悠麻もそれ以上は何も言わなかった。
こうしていればいい。
久世和真の前では、昔と同じように。
悠麻は水だけ飲んで、自分の部屋へ戻った。
昨日は荷物を置いただけで、それどころではなかった。といっても、持ってきたもの自体が少ない。服をクローゼットへ移し、洗面道具や細々したものを所定の場所へ収めていく。
三十分もすれば終わった。
「……こんなもんか」
空になった鞄を畳んで端へ寄せる。半年だけなのだから、これで十分だ。
ひと仕事終えた途端、腹が鳴った。そういえば、起きてから何も食べていない。
キッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。
水。炭酸水。酒。
それくらいしか入っていなかった。
「……何これ」
仕事中の和真が顔を上げる。
「何が?」
「食いもんないじゃん」
「ないね」
「普段何食ってんの?」
「外か、適当に頼む」
「ああ……」
悠麻はもう一度、がらんとした冷蔵庫を見る。この家に生活感がない理由が、少し分かった気がした。
「腹減った。スーパー行ってくる」
「ユウ」
「ん?」
「俺の分も作って」
振り返る。
「飯?」
「うん」
「別にいいけど」
頼まれなくても、一人分作るなら二人分くらい大して変わらない。
そう思っていると、和真が財布からカードを一枚抜いて差し出した。
「これ使って」
「いらないよ」
「使って」
「いや、飯くらい作るって」
「俺の分も買うんだから、俺が出すよ」
「そのくらいいいって」
「駄目」
差し出されたカードが引っ込む気配はない。悠麻はしばらくそれを見つめたあと、渋々受け取った。
「……めちゃくちゃ食材買ってくるからな」
カードを指に挟んで、にやりと笑う。
「どうぞ」
「冷蔵庫パンパンにしてやる」
「好きにして」
まったく脅しになっていない。
「覚えてろよ」
そう言って家を出た。
*
家から少し歩いたところにスーパーがあった。いつも使っている店とは違うが、中に入れば大して変わらない。
野菜売り場を歩いていた悠麻は、特売の札の前で足を止めた。
「……安」
長ねぎを一本取る。少し先では大根が安い。それも籠へ入れる。
「鶏ももも安いじゃん」
予定になかった鶏肉も追加した。しめじも安い。豆腐も今日は特売。
気づけば、和真のカードを使って好き放題買ってやるという当初の目的は完全に消えていた。
「こっちのほうが三十円安いな……」
二種類の味噌を見比べ、安いほうを籠へ入れる。そのあとで我に返った。
「……俺、何してんだ」
人の金なのだから、高いほうを買えばいい。
そう思うのに、わざわざ高いものを選ぶのも落ち着かない。結局、肉も魚も野菜も、いつもの感覚で値段と量を見比べた。
ただし、空っぽだった冷蔵庫を思い出して食材は多めに買った。
これくらいは脅しを実行したことにしておこう。
*
「ただいま」
両手に袋を提げて玄関を開ける。仕事中なのか返事はなかった。
そのままキッチンへ向かっていると、少し遅れて和真がやってくる。
「おかえり」
「遅い」
「会議してた」
「ああ」
買い物袋をキッチン台へ置く。和真がその袋を見て、首を傾げた。
「……こんなスーパーあったっけ?」
「は?」
「この辺に」
「あるよ。歩いて十分くらい」
「知らなかった」
悠麻は和真を見る。
「じゃあ普段どこで買ってんの?」
和真が口にした店名に、聞き覚えがあった。
「あそこ高いとこじゃん」
「そうなの?」
「そうなの? じゃねえよ」
思わず笑った。
「野菜一個買うのに、いくら払ってんだよ」
「見てないから分からない」
「うわ」
「何」
「金持ち怖え」
悠麻は袋から大根を取り出した。
「見ろ。これ今日めちゃくちゃ安かったんだぞ」
「……大根?」
「そう。あと鶏肉も安かったし、豆腐も特売。しめじも二パックでこの値段」
「ユウ」
「何?」
「楽しそうだね」
「……別に」
言われて気づいた。
和真のカードで好き放題買ってやるつもりだったのに、結局いつも通り特売品ばかり選んでいる。
「人の金だからって無駄遣いすんの、なんか違うだろ」
「めちゃくちゃ買ってくるって言ってなかった?」
「量は買った」
冷蔵庫を開ける。
「ほら。今からパンパンにしてやる」
和真が小さく笑った。
カードを返そうとすると、和真は受け取らなかった。
「持ってて」
「なんで?」
「買い物するとき使えばいいから」
「いや、返すって」
「いいよ」
「よくねえよ。怖いんだよ、人のカード持つの」
半ば無理やり和真の手に押しつけた。
「必要ならその都度借りる」
「分かった」
ようやく受け取ったのを確認して、悠麻は買ってきたものを冷蔵庫へ詰めていった。
「何食いたい?」
「ユウが作れるものなら何でも」
「一番困る答えだな、それ」
冷蔵庫へ入れずに残した食材を見る。
「じゃあ和食でいい?」
「うん」
エプロンを探したが、当然のようになかった。仕方なく袖をまくる。
米を研ぎ、炊飯器をセットする。
大根と豆腐の味噌汁。
鶏もも肉は照り焼きにして、付け合わせにほうれん草の胡麻和え。冷奴も出せば十分だろう。
包丁を握れば、身体が勝手に動いた。
バーで料理を出すようになってから、簡単なものなら随分作れるようになった。客が腹を空かせていれば何か作る。酒に合うものが欲しいと言われれば、冷蔵庫にあるもので考える。
高級な料理は作れない。
けれど、家で食べるようなものなら得意だった。
味噌汁の味を確認していると、背後から声がした。
「手際がいいな」
「うわっ」
振り返る。いつの間にか和真がいた。
「急に後ろ立つなよ」
「ごめん」
「仕事は?」
「一区切りついた」
和真の視線が鍋へ向く。
「バーでも作るの?」
「軽いもんだけな。常連に腹減ったって言われること多いから」
「へえ」
「何、その意外そうな顔」
「昔は料理なんてしなさそうだったから」
「七年経ってんだぞ」
「そうだね」
和真が少しだけ笑った。
悠麻は照り焼きを皿へ盛りつける。
「できた。運んで」
「俺が?」
「食うんだろ」
「はいはい」
二人で食卓へ運んだ。
炊きたての白米。
鶏の照り焼き。
大根と豆腐の味噌汁。
ほうれん草の胡麻和え。
冷奴。
並べてみれば、驚くほど普通の夕食だった。
「豪華じゃなくて悪いけど」
「十分だよ」
和真が箸を取る。まず味噌汁を一口。そのあと、照り焼きを食べた。
何も言わない。
悠麻は向かいからじっと見る。
「……どう?」
「美味しいよ」
「ほんとに?」
「うん」
それだけ。
けれど、また箸が伸びた。
照り焼き。
ご飯。
味噌汁。
胡麻和え。
順番に、綺麗に食べていく。箸の使い方まで妙に整っていた。
「久世さん、食い方綺麗だな」
「そう?」
「うん。なんか育ちよさそう」
「普通だよ」
悠麻は笑いながら自分も箸を取った。
話しながら食べているのに、和真の皿はいつの間にか綺麗になっていく。
残さない。急いでもいない。
一口ずつちゃんと食べて、最後には米粒一つ残っていなかった。
「ごちそうさま」
「……全部食った」
「食べるよ」
「いや、なんか」
思っていたより嬉しい。
自分が作ったものを綺麗に食べてもらうのは、バーでも慣れているはずなのに。
「美味しかった」
食後にもう一度言われた。
悠麻は空になった皿を重ねる。
「ならよかった」
それだけ返した。
*
片づけを終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
先に和真が風呂へ入り、その間、悠麻はリビングのソファでテレビを眺めていた。
しばらくして和真が戻ってくる。
「空いたよ」
「ん」
入れ替わりで風呂へ向かう。
湯船に浸かると、ようやく身体の力が抜けた。昨日の疲れは、まだ少し残っている。
けれど、昼間は買い物へ行って、飯を作って、
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