24 / 27
第24章 水族館
水族館へ行くことになったのは、朝食を食べているときだった。
その日は店が休みだった。
トーストを齧りながらスマートフォンを眺めていると、向かいに座る和真が声をかけてきた。
「今日、何するの?」
「何も。久世さんは?」
「午前中に少し仕事するくらい」
「じゃあ昼から暇? どっか行く?」
「いいよ。ユウ、行きたいところある?」
「急に言われてもなあ」
近場のイベント情報を適当に眺めていると、青い写真が目に留まった。
「あ、水族館」
期間限定でクラゲの展示をやっているらしい。
「ここ行かない?」
「いいよ」
「じゃ、決まり」
*
平日とはいえ、館内にはそれなりに人がいた。
最初の大水槽で、悠麻は早速足を止めた。
「でか。久世さん、あれ見て」
大きなエイが頭上を通り過ぎる。ガラス越しに白い腹が見えた。
「うわ。顔みたい」
「顔じゃないの?」
「それ口だと思う。じゃあ目どこ?」
「上じゃない?」
「マジ?」
そこから妙な議論が始まった。
目はどれなのか。裏側のあれを顔と呼んでいいのか。エイが来るたび二人して見上げているうちに、随分時間が経っていた。
「……俺ら、ここ二十分以上いる」
「そんなに?」
「エイの顔だけで二十分使ったんだけど」
「ユウが気にするから」
「久世さんもめっちゃ探してただろ」
「気になったからね」
結局、正解は調べなかった。
*
その後も悠麻は、気になる水槽を見つけるたびに足を止めた。
岩陰から顔だけ出している魚を「絶対性格悪い」と決めつけ、チンアナゴには近づくたび逃げられた。
「こいつ俺のこと嫌いなんじゃない?」
「警戒されてるね」
「何もしてないのに」
「近づいてるからじゃない?」
和真は笑いながら、そのあとをついてきた。
悠麻が立ち止まれば止まり、進めば一緒に進む。
*
クラゲの展示へ入ると、空気が変わった。
暗い館内で、青や紫の光に照らされたクラゲがゆっくりと漂っている。
「綺麗だな」
「うん」
大きな水槽の前で、二人してしばらく黙った。
「ずっと見てられる」
「好き?」
「うん。なんかいい。こいつら何考えてんだろ」
「何も考えてないんじゃない?」
「いいなあ。仕事行かなくていいし」
和真が笑った。
悠麻も笑い、スマートフォンを取り出す。
何枚か撮ってみたが、どれも暗い。
「全然綺麗に撮れねえ。久世さんやって」
「はいはい」
渡したスマートフォンで和真が撮る。
「お、綺麗。あとで他のも頼むわ」
そう言って、悠麻は満足して先へ進んだ。
*
「ペンギン!」
悠麻が足を速める。
ちょうど餌やりの時間で、飼育員の周囲にペンギンが集まっていた。
一羽だけ、なかなか魚を取れない。
「あいつ食えてない」
「そのうちもらえるよ」
「あ、また取られた」
いつの間にか悠麻は、その一羽ばかり追っていた。
次の魚が投げられる。
今度は取れた。
「食った!」
思わず和真の腕を掴む。
「見た?」
「見たよ」
「よかったー」
満足して手を離した悠麻を見て、和真が笑った。
*
外へ出た頃には、空が夕方の色に変わっていた。
「疲れた」
悠麻は大きく伸びをしながら、今日撮った写真を眺める。
「クラゲ、やっぱ綺麗だな」
「うん」
「でも次はもっとでかいとこ行きたい。ジンベエザメとか、イルカいるとこ」
「大きいところ?」
「今日いなかったじゃん」
画面をスクロールしながら、何気なく言った。
「また来ような、久世さん」
返事がない。
悠麻は振り返った。
「久世さん?」
「……うん」
「何?」
「何でもないよ」
「次はイルカいるとこな。久世さんも行きたいとこ考えといてよ」
「俺も?」
「俺ばっか決めんのずるいじゃん」
和真は少し黙ってから、
「分かった。考えとく」
と答えた。
今日が楽しかった。
だから、また行きたい。
次はイルカでもいい。別の場所でもいい。
久世さんとなら――
「腹減ってない?」
「さっき食べなかった?」
「歩いたら減った。帰ったら何か作ろっかな」
「食べたい」
「じゃあ親子丼にする? 鶏肉まだあったよな」
「あると思う」
「帰りスーパー寄ろ」
話はあっさり夕食へ移った。
悠麻にとって、「また」はそれだけの言葉だった。
楽しかったから、もう一度。
今日一緒にいた相手と、次も一緒に行く。
それを疑う理由がなかった。
*
和真だけが、その言葉を引きずっていた。
――また来ような。
半年。
始める前から、終わる日は決まっている。
悠麻が望む店を渡して、自分は半年間の思い出をもらう。
それで終わりにする。
その先の約束をするつもりはなかった。
なのに、水族館へ来ることも、帰りにスーパーへ寄ることも、一緒に夕食を食べることも、予想してなかった。
今では、そういう時間が増えている。
「次、イルカな」
悠麻が念を押した。
和真は一瞬だけ目を伏せた。
「……うん」
約束するつもりはなかった。
それなのに、その一言は拒めなかった。
ともだちにシェアしよう!

