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第43章 七年前の真実

 案内された店は、七年前に通っていた店より小さかった。  まだ早い時間だからか、客も少ない。 「適当に座って」  促され、和真は奥の席へ座った。男も向かいへ腰を下ろす。 「何飲む?」 「何でもいい」 「マジ? やりー。じゃあ高いの開けちゃおう」  嬉しそうにメニューを開く。 「久世さん相手なら、一回くらい俺もいい思いしていいでしょ」 「好きにして」 「さすが」  注文を済ませ、男は上機嫌でソファへ深く座った。 「で、HARUの話だっけ」 「うん」 「最初、HARUって全然売れてなかったじゃん。指名もそんなになかったし。悪いやつじゃなかったけど、ホストとしては要領悪かったんだよな。営業も下手だったし」  知っている。  だから、あの頃の悠麻を好きになった。  売ろうとしなかった。高い酒を頼ませようともしない。ただ隣で話を聞いて、よく笑っていた。 「そこに久世さんが来た」 「……うん」 「最初はみんな、よかったじゃんって感じだったよ。太い客ついたなって」  男の前に酒が運ばれてくる。 「うわ、ほんとに開けてくれた」  嬉しそうにグラスを持ち上げた。 「それで?」 「ああ、ごめんごめん」  一口飲んで、男は続ける。 「でも久世さんが使う額、どんどん増えたじゃん。気づいたらHARU、No.1」  そこまでは知っている。  自分がそうした。 「最初は陰口くらいだったと思うよ。運がいいだけとか、自分で客つかんだわけじゃないとか。一人の客に食わせてもらってるだけとか」 「それだけ?」 「そのうちもっと露骨になった。HARUの客の席でわざと話の邪魔したり、指名客の前で困るようなこと言ったり。ヘルプ入ってもまともにフォローしなかったり」 「店は何もしなかったの?」 「売上は出てたからね」  それだけで分かった。  悠麻がどんな状態だろうと、売上さえ上がっていればよかった。  そして、その売上を作っていたのは自分だ。 「俺も偉そうなこと言えないけどね。見てたけど止めなかったし。当時はそこまで深刻だと思ってなかった」 「誰がやってたの?」 「何人かいたけど、一番は当時かなり成績よかったやつかな」  男は少し言いづらそうにグラスを傾けた。 「まあ、客のこと平気で金蔓って呼ぶようなやつだったから。性格は最悪だったよ」  和真の指が止まった。 「そいつに目つけられてから、HARU、結構きてたみたいでさ」 「……きてた?」 「精神的に」  男が和真の顔を見る。 「久世さん?」 「続けて」 「ああ……うん」  男は少しだけ姿勢を直した。 「最初の頃はHARUも言い返してたんだよ。客の席で変なことされたら怒ってたし。久世さんのこと悪く言われるのも嫌がってた」 「俺のこと?」 「うん。金だけの客みたいに言われると、結構マジで怒ってたよ」  和真は何も言えなかった。  七年前。  自分の知らない悠麻がいる。 「でも毎日顔合わせるだろ。相手は店でも上のほうだし、周りもそっちに合わせるし」 「……それで?」 「そいつが久世さんのこと金蔓って呼んでたんだよ。HARUにも言わせてた」  つい先日、バーで聞いた言葉が蘇る。  ――金蔓。 「最初は嫌がってたよ。『久世さんはそんなんじゃない』とか言ってた気がする」 「……」 「でも、ずっと逆らってるのもしんどかったんじゃない? 最後のほうは自分から言うようになってた」  悠麻は実際に言った。  横柄な態度を取り、高い酒を要求し、和真が金を使うことを当然のように受け入れるようにもなった。  けれど、最初からそんな男ではなかった。  高い酒を入れようとすれば止めた。金を使わなくても楽しそうに話していた。自分の売上より、和真が何を飲みたいかを気にするような男だった。  そんな悠麻を、自分は勝手に「変わった」と思った。  けれど、本当に勝手に変わったのか。  周囲から妬まれ、嫌がらせを受け、毎日同じ場所で追い詰められた。  そのきっかけを作ったのは――。 「HARU、最後のほう結構荒れてたよ。俺も売れて調子乗ったんだと思ってたけど」  男はグラスを回した。 「今思えば、あいつ、ある時期からずっと余裕なかったもん」  七年前の記憶が形を変えていく。  ――今日これ入れて。  笑って、高いボトルを指した悠麻。  以前なら値段を気にしていた男が、いつからか当然のように高い酒を選ぶようになった。  金を使えば使うほど要求は増え、No.1になればなるほど、自分が好きだったHARUではなくなっていった。  ある夜、和真が見れば、悠麻はいつものように笑った。  ――久世さん。  けれど、視線を外したあと。  グラスに映った悠麻の顔から、その笑顔が消えた。  自分に笑うことさえ仕事になったのだと思った。  違ったのかもしれない。 「だから辞めたのかな」 「それだけかは知らないよ。本人から聞いたわけじゃないし。でも、辞めて正解だったんじゃない?」  悠麻は何も言わずに消えた。  店へ行って初めて、辞めたと知らされた。  どうして一言も言わなかったのか。  どうして自分に何も話さなかったのか。  七年間、それが傷として残っていた。  けれど、もしあの店から逃げたかったのなら。  すべてを捨てなければ離れられないほど追い詰められていたのなら。  連絡しなかった理由までは分からない。  ただ、「売れて変わった悠麻に捨てられた」と信じてきた七年間は、もう同じ形ではいられなかった。 「……俺か」 「え?」  和真は答えなかった。  自分が来る前、悠麻は売れていなかった。  そこへ自分が来た。  頼まれてもいないのに金を使った。  もっと売れれば喜ぶと思った。  No.1にしてやりたかった。  その結果、悠麻は店で一番目立つ存在になり、標的になった。  良かれと思ってやった。  喜ばせたかった。  けれど、自分の金が悠麻の居場所を変えた。  あの店と――自分が、悠麻を変えてしまったのかもしれない。  そして七年後。  また自分は、金で悠麻の人生へ入り込んだ。  店がなくなると聞いて、建物を買った。  半年という条件をつけ、自分の家へ住まわせた。  半年が終われば、悠麻へ残すものも決めている。  店の入った建物。  今、一緒に暮らしているマンション。  これから先、自分を頼らなくても生きていけるだけのもの。  半年間、自分のわがままに付き合わせた報酬のつもりだった。  すべて渡して、自由にする。  それでいいと思っていた。  けれど今、その考えさえ揺らぐ。  七年前だって、悠麻を苦しめたかったわけではない。  喜ばせたかった。  幸せにしたかった。  その結果、悠麻は居場所を失い、笑わなくなった。  七年後に見つけた悠麻は、また笑っていた。  小さなバーのカウンターの向こうで、客と話しながら。  金も、自分も関係のない場所で。  悠麻が自分で見つけた居場所で、昔と同じように笑えるようになっていた。  そこへ、また自分が入ってきた。  金を出して。  生活を変えて。  そばに置いて。  ――もしかして。  俺はまた、あの笑顔の邪魔をしているのか。 「……ありがとう」  和真は立ち上がった。 「もういいの?」 「うん。十分聞けた」 「そっか」  男は半分以上残ったボトルへ目をやった。 「これ、もらっていい?」 「好きにして」 「やった。久世さん、やっぱ太っ腹だわ」  あからさまに財布扱いされているのに、不思議と何も感じなかった。  むしろ、その商魂たくましさに少しだけ口元が緩む。  金目当てだと分かっている相手からそう扱われても、腹は立たない。  なのに七年前は違った。  ――金蔓。  あの二文字を悠麻の口から聞いたときの気持ちは、今でもうまく言葉にできない。  金を使うから笑ってくれた。  金を使うから隣にいてくれた。  好きだったあの笑顔まで、金で買っていただけなのだと思った。  自分が傷ついたのは、金蔓と呼ばれたからではない。  悠麻に、そう思われていたと思ったからだ。  けれど悠麻は、最初からそう思っていたわけではなかった。  むしろ、自分の知らないところで庇っていた。  それなのに和真は、最後に見えた悠麻だけを見て、全部分かったつもりになっていた。  店を出る。  三月の夜は、まだ冷たかった。  嫌がらせ。  仲間外れ。  金蔓。  最初は嫌がっていた。  それでも最後には、自分でも言うようになった。  入ってきた情報に、頭が追いつかない。  横柄になった態度も、何も言わず店を辞めたことも。  七年間、自分が信じていたものとは違う意味があったのかもしれない。  そして、それを考え始めると、今の悠麻のことまで分からなくなった。  悠麻は今、自分からキスをする。  食事を作る。  身体を重ねる。  次や今度の話をする。  そのたびに、和真は嬉しかった。  もしかしたら悠麻も、この半年を嫌ではなかったのかもしれない。  自分といることを、少しくらいは望んでくれているのかもしれない。  そう思い始めていた。  けれど。  始まりは契約だ。  キスも身体も、その条件から始まった。  食事だって、一緒に暮らしているから作っているだけかもしれない。  契約が終わってもマンションへ帰りたいと言ったのも、店から近く、生活に便利だからだ。  そこに、それ以上の意味があると誰が言った。  悠麻は一度も言っていない。  勝手に期待したのは自分だ。  七年前もそうだった。  自分が金を使えば、悠麻は喜ぶと思った。  何も聞かず、何も確かめず、自分に都合のいいように悠麻の気持ちを決めた。  そして、間違えた。  和真は足を止めた。  今日も帰れば、悠麻がいる。  きっといつものように迎えてくれる。  けれど今、その顔を見るのが怖かった。  七年前、自分の金が原因で何が起きていたのか。  何も知らずに隣で笑っていた自分を、悠麻はどう思っていたのか。  そして七年後。  困り果てて自分を頼った悠麻に、半年という条件を出したことを、悠麻はどんな気持ちで受け入れたのだろう。  分からない。  七年前もそうだった。  自分はいつも、悠麻の気持ちを勝手に決めてきた。  帰りたくないわけではない。  むしろ、会いたかった。  それなのに。  今夜、どんな顔をして悠麻に会えばいいのか。  和真には分からなかった。

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