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第48章 久世さんのカクテル

 最後の一滴を落として、悠麻はグラスを持ち上げた。  香りを確かめ、少しだけ口に含む。 「……うん」  これならいい。  何度作り直したか、もう覚えていない。  甘すぎず、辛口にも寄せすぎない。最初はすっきりしているのに、飲み込んだあとに少しだけ甘さが残る。  半年間、和真が飲んできた酒を思い出しながら作った。  好きな銘柄。よく選ぶ味。逆に、勧めてもあまり手をつけなかったもの。  七年前には知らなかったことばかりだ。  あの頃の和真は客だった。  けれど今は、休日に何をしているのかも、朝は何を食べるのかも知っている。  眠いと返事が少し遅くなる。  意外とくだらないテレビ番組を見る。  料理を出せば、何でもきれいに食べる。  スーパーの値段には疎いくせに、悠麻が安く買えたと喜べば一緒になって喜ぶ。  この半年で知った、久世和真という男。  そのための一杯だった。 「よし」  残った試作品を流す。  今日、これを和真に出す。      *  契約最終日。  半年前は、早く終わればいいと思っていた。  店を守るためとはいえ、昔の客と暮らして、同じ寝室を使い、身体まで好きにされる。  とんでもない契約だった。  まさか貞操帯までつけられるとは思わなかったし、久世さんってこんな変態だったんだ、と何度思ったか分からない。  それなのに今は、終わることが少し嬉しい。  和真と離れられるからではない。  ようやく契約がなくなるからだ。  明日からは、金を出した男と半年を差し出した男ではなくなる。  キスをしたければする。  一緒に寝たければ寝る。  飯を作りたければ作る。  店に来てほしければ、そう言えばいい。  昨夜の和真がどうしてあんなに変だったのか。  あの男と何を話していたのか。  聞きたいことは残っている。  でも、今日でなくてもいい。  明日でも、明後日でも。  これからいくらでも話せる。  そう思っていた。      *  開店して二時間ほど経った頃、扉が開いた。 「いらっしゃいませ」  反射的に声をかけてから、悠麻は笑った。 「遅い」 「まだ二十時だよ」 「今日はもっと早く来ると思ってた」 「ごめん」  和真がいつもの席へ座る。  カウンターの隅。いつの間にか、常連客まで何となく避けるようになった席だ。 「何飲む?」 「何でもいいよ」 「じゃあ今日は俺が決める」 「珍しいね」 「今日は特別」  和真が眉を上げる。 「何?」 「ちょっと待って」  悠麻は準備していた酒を並べた。  何度も試した配合だ。もう迷わない。  酒を量り、氷を入れ、冷やしたグラスを用意する。 「何作ってるの?」 「いいから黙ってみてて」  和真が小さく笑った。  昨日の夜より、ずっといい。  やっぱり、こうして和真が笑っているほうがいい。  仕上げを終え、完成した一杯を目の前へ置いた。 「はい」 「これ、昨日言ってた?」 「そう」 「俺のために?」 「そうだよ」  少し照れくさくなって、悠麻は視線を逸らす。 「前から作ってた。久世さん用」 「……俺用」 「飲んでみて」  和真が一口飲む。  悠麻はその顔をじっと見た。 「どう?」  すぐに答えない。 「何だよ。まずい?」 「違う」  もう一口飲んでから、和真が言った。 「おいしい」 「ほんと?」 「うん」 「よかった」  思わず笑った。  高い酒ではない。  和真なら、もっといいものをいくらでも飲める。  そんな男に、自分が金で返せるものなんてない。  だから、これでよかった。  半年間そばにいて知った和真の好みを、一杯にした。  金では買えない。  自分にしか作れないものだった。 「名前は?」 「あ」 「決めてないの?」 「……忘れてた」  和真が笑った。 「そこ一番大事じゃない?」 「味のほうが大事だろ」 「そうだけど」 「名前なんてあとでいいよ」  悠麻はグラスを指した。 「どうせ、これからも作るし」  和真の笑みが、ほんの少し止まった。  悠麻は気づかない。 「もっとこうしてほしいとかあったら言って。まだ変えられるし」 「……これでいいよ」 「完成?」 「うん。すごく好き」 「じゃあ決まり」  嬉しくなって、悠麻は笑った。 「次から何も言わなくてもこれ出してやる」  和真はグラスを見つめていた。  少し変な顔をしている。  けれど、そのうち聞けばいい。  今日で全部が終わるわけではない。  むしろ、今日からだ。  半年間、ありがとう。  そして、これからもよろしく。  そんなつもりで作った一杯だった。  わざわざ言葉にする必要もないと思っていた。  明日も、その次の日もある。  悠麻にとって今日は、終わりの日ではない。  二人の間から、契約だけがなくなる日だった。

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