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13.オレはおまえが嫌いだ
図書館をあとにして、もと来た商店街をまた2人で歩き出したところだった。飽きもせず手を繋いで。そこへ突然思いもよらなかった要望がグイッと無遠慮に押し入ってきて、思考領域内でドコドコと太鼓を打ち鳴らし暴れ回り始めた、そんな心象風景だろうか。
ヒマキノイエ? それって1DKの? ジメジメした? あの薄汚れた団地に?
「…………へ?」
「いつもオレん家ばっかだし、たまには日牧が普段暮らしてる場所も見てみたい。日牧のこと、オレはもっと知りたい」
木崎の目は熱を帯びて真っ直ぐにこちらを見つめていた。だが日牧のほうは全力で眼球がバシャバシャとバタフライをしている。無理いぃ、嫌過ぎるうぅ、見せられないぃ。
「ゴッ……、ゴメン! それは駄目!」
「…………何で」
ム、と木崎が唇を尖らせる。やめろおまえのほうがカワイくなるな。……いや待て、カワイくはないな。オレもおまえもカワイくない。落ち着けカワイイとかは無い。
「……狭いって前に言ったでしょ」
「別にいい。なるべく邪魔にならないように気をつける」
「あ……う、あ、ボロいし……」
「うちも築年数古い。お互い様」
「……全然違う……」
「どうして駄目なんだ? つきあってるのに」
うう、だって見せたくないんだ。おまえの家とは何もかもが違う。カッコ悪い。みっともない。もし幻滅されたら? 嫌われてしまったら?
「……き、木崎くんの好きなところっていう約束でしょ? いつものお気に入りの場所じゃなきゃ駄目だよ。だって僕の家なんて来たことないじゃない、そんなのズルー」
なんとかギリギリの笑顔を保って日牧は、かろうじてちょうどいい抗議を振り絞った。しかし木崎はまだ納得していないようだ。繋いだ手にギュッと力を込める。痛い。
「オレは日牧が好きだ。本当に好きだ。好きな人がいる場所が、オレの好きなところ」
必死に日牧は目を逸らした。やめろ、やめてくれ。胸が痛い。手も痛いが。
「……ひま」
「ううぅ……」
木崎の声はあくまでもやさしい。さっきからまともに見られないけれど目もやさしい。
「……どうしても、駄目なら、今は。一応第2候補地も、無くは無いけど……」
拗ねたように木崎は、けれども次の提案を用意してくれていたようだ。なんてやさしい。オレの1億倍やさしい。おまえはやさしい。
木崎、オレはおまえが……
「あ! 日牧だ!!」
唇を噛み締めて日牧が、何か1つの驚くべき結論へと感情及び思考を導き始めていたときだった。路地裏の雑居ビルから、ガヤガヤと中学生の集団が現れたのだ。入口には学習塾の看板がかけられている。
「……朝陽?」
できれば会いたくなかった顔だ。なんでうちの校区の塾になんか通ってやがるんだ。
咄嗟に木崎は手をほどき、1歩前へ踏み出して日牧を庇うように無言で腕を伸ばした。優秀過ぎて笑いが込み上げてくるな、この番犬は。でもまあ手はな、繋いだままでも別にな、良かったような気もしないでもないようなそうでもないような。
「……うわっ……」
「ヤクザ……」
「怖……ヤバ……」
朝陽の周りの中学生たちは青い顔で木崎を見上げていた。そういえばヤクザなんだよな、見た目。特に今なんて朝陽への敵意により当社比3倍は目つきが悪くなっている。
朝陽もまた怯えているのが分かる。今日は間に安全なフェンスが無いせいもあるだろう。
「……おっ、おおおおおおおい、あの話っ、は、かかっ考えたかっ」
噛み過ぎるほど噛みまくって朝陽は、木崎の後ろの日牧を睨んだ。しかし「やめとけよ!」「逃げよう!」と友人たちから次々に腕や服を引っ張られ、ズルズルと駅の方向へと遠ざかってゆく。
「まっ、また高校行くからな日牧ーーっ!!」
得意の遠吠えが今日も轟いた。今回は退散までが怒涛の早さであった。ホッと一息つく日牧に、木崎は手を添えて気遣ってくれている。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとー。まさかこんなとこで会っちゃうなんてビックリしたけどね。でもアイツ自体はただの中学生だもん。もう平気だよ」
「……でも」
「でも、あんまり会いたくはないよね。嫌な話されるし。この道通るの当分やめとこっかなあ」
アハハハ、と明るく笑って日牧は無意識に手を前へ伸ばしていた。暑いけど、恥ずかしいけど、だけど何だか繋いでいるのが自然な気がしてしまっている。デートなんだし。
しかし予想に反して、木崎はその手をなかなか取ってはくれなかった。
「?」
日牧が首を傾げると、木崎は考え込むように少しだけ眉を寄せ、そして日牧に向き直った。まだ手は繋ぎ直されない。
「……日牧、1度お父さんに会ってみたら?」
「は?」
青天の霹靂。
完全に虚を突かれて、日牧は息を止めた。
「…………は?」
もう1度聞き返すも、聞こえていなかったわけではない。何を言っているんだろう、何を言われたんだろう。木崎は控え目にだが、けれども丁寧に続けた。
「だって、日牧にとっては実の父親なんだろ? アイツが言うように今はおとなしくなってるんだとしたら、1度会ってみたら意外と和解できるかもしれないし」
「…………何、言っ……」
「そうしたら日牧の過去のトラウマも、少しは消えるかも」
「…………きざ……」
「もちろん怖いとは思うから、オレもついて行く。絶対にオレが日牧を守るから、安心していいから」
「…………」
もう、何も言えなくなってしまった。何も言いたくない。聞きたくもない。
「日牧のお父さんならオレも会ってみたい。言っただろ? 日牧のことをオレはもっとたくさん知りたい」
「…………」
何だそれは。口説いてでもいるつもりか。
ほんのさっきまで熱くてたまらなかった手が、胸が、そして脳の奥が、一瞬で冷えて氷のように固まってゆくのを感じた。木崎のことを、やさしいと思っていた。
だがコイツは、オレのことを何も分かっていないだけだった。
「……ひま」
「…………せー」
「ひま?」
「……るせー」
「ひ、」
「うるせーんだよクソが!!!」
通行人たちが振り向くほどの音量の怒号をあげてしまった。人様に迷惑はかけたくない。嫌だ、こんなのは嫌だ。こんな自分は嫌だ。
「テメーはなんも分かってねえ!! 和解とかねーんだよ!! 消えねーからトラウマっつーんだ!! 目の前で母親が刺されて、ガサガサの畳に染み込む血溜まりの上に吐いたことあんのかよ!! 2度と会うな近づくなって国の法律に命令されるほどのことなんだよ!!」
感情を抑えきれず、怒りに任せてこんな場所で、こんな話を。これじゃあ怒鳴って暴れていたあの男と同じじゃないか。今もまた吐きそうになって日牧は口を押さえた。
「日牧、日牧落ち着け、ゴメン、落ち着いて」
「オレに触んなクソ野郎!! オレは、オレは……、木崎、オレはおまえが……!」
手を伸ばしてくる木崎を全身で跳ね除け、数分前に脳裏を毒しかけていたあの結論を、日牧はあらためて言葉にした。
「オレはおまえが嫌いだ。好きだったことなんて無い。1秒も無い」
「…………え……」
木崎の形の良い目が不恰好に見開かれた。
ざまーみろ。やっと本音を言ってやったぞ。
だが、本当にそうだっただろうか。
もう分からない、何も。
「…………ひ、まき」
木崎の声が震える。日牧は木崎の足もとに目を落とした。高そうなスニーカーを眺めながら、恨みがましく動く口をまだ止めることができない。
「……怖かっただけだ。断れば、逆らえば、おまえもあの男みたいにオレを殴ると思った。だからつきあってただけ」
「…………、日牧、…………」
「おまえが校内で暴れるのが怖かった。だから嫌いだけど世話を焼いてただけ」
「…………そんな、こと……」
「おまえなんていなけりゃ良かった。そしたらオレはこんな思いをすることも無かった」
何故だろう。これまでの本心を喋れば喋るほど、自分でも理解できない違和感が募ってゆく気がする。だがずっとオレはそう思ってきた。そのはずだ。
「……ひま、……日牧。……信じない。違う、日牧は違う。……違う」
声だけでなく、指先も肩も震わせて、木崎は必死に歯を食い縛っているようだった。どこか泣きそうにも感じる。そんな気がするだけかもしれないけれど。
日牧が大声をやめてから、周囲の視線はすぐにどこかへ流れて行った。喧嘩でもしているのかと、時折チラリと横目で見ながら通り過ぎる人はいるけれど。
冗談じゃない。オレは喧嘩が嫌いなんだ。これは喧嘩ではない。決別だ。
「……木崎くん。僕はね、血が怖い」
「……っ、日牧っ」
「あとね、人が怒るのも怖い。人が争うのも怖い。それから、怖い人が怖い」
「日牧、日牧!」
「……君は怖いよ、木崎くん」
「待って、日牧……、違う待って!!」
「君は何も分かってなかった。怖いっていうのがどういうことなのかも、僕がずっと何を考えていたのかも」
「日牧っ!!」
結局木崎の顔は見られなかった。俯いたまま日牧が背を向けて1人で歩き出しても、木崎は追いかけては来なかった。酷いことをたくさん言った。全部本当のことだけれど。
おかしいなあ。今日はデートだったのになあ。
手を繋いで、2人の好きなところに行く日だったんだけどなあ。
あの男が暴れて日牧が泣いて、そのせいで母が刺されて、母が死ぬんじゃないかとさらに泣いて、そうしたら日牧も腹を蹴られて吐いた。あれからずっと、日牧は笑顔を作り続けてきた。
思い返せばあの日以来だ。日牧がこうやって、涙を流すのは。
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