2 / 8

第2話 二センチ

 准教授がどうやってらなれるのか、詳しくなんて知らないけれど、でも、若い人では珍しいんじゃん? それこそさ、数学者とか? 科学者とかなら、画期的発見とか発明で、ジャンプアップもあり得るんだろうけど、文学ってそういう発明とか発見ってないでしょ。  いくつなんだろう。  三十は超えてる?  あの見た目で?  友達ですって言っても通用しそうなんだけど。  っていうか、着るものを変えたら、もしかしたら高校生、って言っちゃっても大丈夫そうなくらい。  姫宮(ひめみや)准教授。  現代文学の教授はサボってばっか。逆に准教授はとても勤勉。  たまに学生からはその外見もあって、お姫様、なんて言われてる。  俺が同じ苗字だとしてもお姫様とは誰も呼ばないだろうけど、あの人はそれがしっくりくる。  だから、すごく違和感があったんだ。  そんなお姫様の顎の辺りから唇に向けて二センチほど入っている薄っすらとした傷跡が。  そんなものがつきそうな雰囲気を少しも持っていない人だったから。 「と、時間ですね。お疲れ様でした。次の講義では……」  あと、この人の講義は案外面白いんだ。声小さいから、ちゃんと聞いてないと聞き逃すけど、ちゃんと聞いてるとけっこう面白い。 「はぁ、終わったぁ、よく寝たぁ」  講義が終わって、立ち上がる人たちの雑多な音に、本当に一時間眠りについていた彼女が起き上がり、ぐーんと腕を大教室の天井へ向けて伸ばした。 「あ、ね、ね、佐久くん!」 「……」 「今日の飲み会」  あー、忘れてた。っていうか、一時間隣にいたけど、結局この子の名前を思い出す暇がなかったな。 「あー、ごめんっ、今日このあと、用事があって」 「そっかぁ。ザンネーン」 「ごめん」  いや、全然行きたくなかった。なんかダルかったし。そもそもあなたのこと、俺知らないし。 「また今度」 「うんうん、是非是非っ」  手を振って。その場で別れると、今日の予定を確認しようとスマホを開いた。  いや、別に予定は特にないけど。課題はとりあえず、早めに終わらせておきたいし。  バイト先も探さないと。夏に短期間でやってたんだけど、それも終わったし。どこかの会計事務所、募集してないかなぁ。コンサルでもいいんだけど。できたら、就職に繋がる感じか、もしくはとっても楽なのが――。 「おーい、大和ー(やまと)」 「!」  見上げると友人の宗太(そうた)だった。 「もう帰んの?」 「あー、そう、もう帰る」 「サークル寄ってく?」 「大丈夫、ありがとう」 「おー、じゃあ、またな」  またもやにこやかに挨拶をして、そのまま大学を出た。 「あっつ……」  外に出ると日は落ちて薄暗いのに、なんとなく湿気混じりの空気に汗ばんだ。今日はこのまま帰って、とりあえずさっき思い出した課題を片付けてしまおうと思った。  大学の近くにある学生向けのアパートを借りてる。 「ふぅ」  大学と自宅の行き来だけするにはちょうどいい。けど、なんか、あまりにも行動範囲が狭いからかな。少しつまらなく感じて、ちょくちょく宗太たちと飲み会に行ってる。サークルは就職に活用できそうな統計サークル。市場調査とかをして統計取ってレポートまとめて。別に趣味でもなんでもないけど、就職する時には有効だから。サークル飲みも多くて、他のサークルと合同になることもけっこうある。  出会いには困らない。  頭のできは悪い方じゃない。むしろ良い方だと思う。自意識過剰みたいになるけど。  そつなく、適度に、良い感じに。尖ったって疲れるし、頭の悪いことをすれば、周囲も頭の悪い奴しか集まらなくて、それじゃ、進んでいく道は……ね。ちょうどよく、にこやかに、そうしてればおのずと楽な方に道ができていく。もちろん舗装されたキレイな道が歩きやすいでしょ。 「……げ」  雲行きは怪しかったけど、大学から歩いて十分の自宅までならなんとかなると思った。  けど、ならなかった。  ポツポツと降ってきた、と思った瞬間、ザーッといきなり降り出してきた。  本日は運悪く傘を持ってない。  けど、PCも持ってきてないから。 「マジか」  帰るだけだし、って、駆け出した。 「うっわ、最悪」  そう呟いたのと、服やら鞄やら、髪から雨雫がボタボタと滴り落知て、玄関先がびしょ濡れになった。 「はぁ」  もう仕方ない、濡れた服のままバスルームに直行した。シャワーを済ませて、びしょ濡れになった衣類は洗濯機に放り込んだ。夕飯、コンビニで済まそうと思ったけど、どうしようか。まだ全然土砂降りだし。じゃあ、何か冷蔵庫に……って、米炊かないとじゃん。他になんもないし。  また一つ溜息をついて、レンジで温める白米と、カレーのレトルトで済ませることにした。  これなら、飲み会に行った方がよかったかな。あー、いや、めんどくさ。この雨の中帰ってくるとか絶対にダルいでしょ。 「……」  そんなことを思いながら、なんとなくスマホを眺めてた。  本当に、何気なく、眺めてただけ。  ダラダラと、へぇ、ふーん、なんて思いながら、次から次に流れ来る、動画を眺めてた。 「……」  そこで、ふと、顔無しで男が写真を上げてた。  白いシャツ一枚、なんだと思う。足元だけが写ってた。  なんとなく、その写真の上にあるアイコンをタップした。  これ、男?  多分。  けど、細い足、白い足首。その人の写真をスクロールしていくと。  あ。  これって。  そういう系。  裏垢的な。  これ、あっちのじゃん。 「……」  男の、やつ。  こういう裏垢ってさ。  これって見るのは女? 男?  けど、細い腰が折れそうで、それを踊るように振りたくって乱れた姿は、別に、男女とか関係なく、なんかさ。 『あっ……ぁっ』  喘ぐ声は全然女の子よりも低くて、違うけど、なんか。 『あ、すごっ』  その澄んだ、艶やかな声は綺麗だと思えて。  そして――。 『イクっ』  そう囁いた口元に、見覚えがあった。  二センチくらい。  けっこうな大きさだ。  その傷痕は今日、大教室で見かけたそれと同じように見えた。

ともだちにシェアしよう!