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第9話 変化
「……すご」
思わず、そう呟いた。
一歩、踏み込んだ、姫宮准教授の準備室は本で溢れ返っていたから。
大きな本棚が部屋の両サイドにあって、そこには本がびっしり詰め込まれてる。出入りの扉の正面には大きな窓があるけれど、窓があることが申し訳なくなるくらい、窓に部屋の一面を占領されていることがもったいないみたいに本がびっしり。でも、そこだけじゃ足りなくなってしまったらしく、収まりきらない本たちがいくつも積み上げられていた。その積み上げられた本の塔は大体俺の腰辺りまでの高さがある。
「本しかない」
「す、すみません」
本に埋まってしまいそう。しかも、その本の塔はひとつじゃない。隙間があればすぐにそこが本置き場になってしまうんだろう。バラバラに不規則に、本の塔がいくつも立ち並んでいる。
「あ、あのっ、岩下さんはっ」
「あー、手伝いに来たかったんだけど、なんかシフトめっちゃ入ってて、こっちには来れないって。もしよかったら、俺が手伝ってあげてくださいって言ってた。すみません、できなくて、だって」
「え、あの」
「ここの本の整理」
「!」
そんな、困る、って顔に書いてある。
傷痕のある口元をギュッと結んで。
「……岩下さん、ここでなに手伝ってたの?」
「あ、その、本が溜まりすぎてしまって、さすがに。なので本の整理を」
「本の、整理」
「はい。それで読書会サークルを立ち上げたんです。ここにある本を少しでも外にって。岩下さんも本好きなので、僕の好みが似ていたこともあって、読書話をしながら片付けをやってもらってました」
「古本屋に行けばいいのに」
「そ、それは、読者として」
作者の利益にならないから、失礼なので、と、真面目に答えてる。
「あ、あの」
「で、シフトがいっぱい入ってる間は俺が岩下さんの代わりに本の整理をする」
「! ちょ、っ、そんな、急に」
ダメ? そう尋ねると、また唇をぎゅっと結んだ。
「でも」
「別に、あのことは言わないし」
「!」
「ね? 秋、恭(あきやす)准教授」
「!」
あえて、秋と恭の間をあけて、強調するように下の名前で呼んだ。それだけで飛び上がりそうに緊張して、胸のところでぎゅっと手を握り締めてる。
「あ、あのっ」
「……」
「あれは、そのっ」
「……っぷ」
思わず笑うと、姫宮准教授がまた飛び上がりそうにびっくりして、それから俺をじっと見つめた。
「誤魔化せばいいのに」
「!」
だって、顔出ししてるわけじゃない。ただ同じところに傷痕があっただけのこと。本当に偶然そうなのかもしれないじゃん。他にあれが貴方だって証明できそうなものなんて一つもないのに。
「なにそれ? そんな動画なんて知らないし、裏垢? なんですか? それはって」
「っ」
なのにそんなに焦って、どうしようって困った顔をして。
「アキ……」
そう名前で呼んだだけで、飛び上がりそうなほど緊張して。
「ピンクの」
ただそう呟いただけで、顔を真っ赤にして。
しらばっくれればいいのに。
「あ、あのっ、何、ですか? その、なんで、あの、そのことを、僕にっ。一体っ」
少し反撃をしてきた。
ぎゅっと握り拳を自分の胸において、わずかに抵抗してきた。なんなんだ、何がしたいんだって。
その表情をじっと見つめてた。
だって、あの大教室で見かける姫宮准教授は、学生が話を聞いてるとか、そんなのどうでも良くて、ただ、与えられた仕事を淡々とこなすだけだった。ただただ淡々と。居眠りしてる人のことも気にしないし、自分の講義を聴いてない人のことも気にしない。
ただ、音声を流すみたいに。
サークルの時は、終始にこやかで、朗らか。
疲れた様子もなく、少しだけ傷痕のある口元を緩ませ、本のことを語るだけ。
その姫宮准教授が焦って、困って、顔を真っ赤にしてる。
なんなんだ、と強い、といっても、別に怒鳴るわけじゃない、この人にしては強い口調で反撃してる。
この部屋に一歩足を踏み込んでから、どのくらい? でも、きっと数分。その間に、この人の表情がくるくると目まぐるしく変化する。
そして、まるで、あの壇上で淡々と淀みなく作者の意図を説明する姫宮准教授とは思えない、しどろもどろな話し方。歳相応って感じがする。
なんか、面白かった。
「なんで裏アカなんてやってんのかなって」
なんか、興味が湧いてくる。
「別に大学に報告しようとか思ってないよ。この事で脅そうとかも思ってない」
「えっ?」
じゃ、なんで、って顔をした。
壇上で講義をする時は何考えてんのか、ちっともわからないくらいに綺麗な顔を崩さないのに。今一瞬一瞬で表情がコロコロ変わる。
「ただ気になっただけ」
「……」
「なんでかなぁって」
本当に?
そう疑ってる。
今は困惑と戸惑いと、きっと本人最大の秘密を知られた羞恥心でいっぱいなんだろう。
なんで、と、呟いた。小さく聞き返すのではなく、自分の中からその理由を辿るように。
「興味が、あって」
「え?」
「その……」
傷痕のある口元をきゅっと結んでから、ピンク色の柔らかい唇を開いた。
「セックスに」
そして、その単語をその唇で、その声で、言われた瞬間。
「セックスに興味があって、やったんです」
なんか、ひどく身体が熱くなった。
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