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2冬眠鼠の子守唄②
そのストレスを発散するにはセックスしかない! と思っても裏方スタッフにそんなチャンスは無いのである。
やんなっちゃうよね。お陰でず~っと禁欲だよ。
なんか俺の事を珍獣か何かと勘違いしている節があるね。
面白半分に指名してゴツいΩ出てきてビビるってなに? そしてセクハラして帰るっていうね。冷やかしかな? 嫌がらせかな? 前世で徳を積んでないからかな?
「ご馳走さまでした」
再び手を合わせてから食器を台所へ持って行きちゃちゃっと洗うと急いで出掛ける準備を整える。
スマホ、キャスト証、学生証、財布、鍵。玄関に置いたままだったチョーカーを手に取る。
時計を確認して、ぱたぱたと玄関へ向かい、外に出ると風がびゅう、と桜の花びらと共に吹き抜けた。毛玉も外に出たかったようで、そのままどこかへ行ってしまった。
4月の卯月。もう春の芽吹きを感じられる時期だ。
鍵を閉めたのを確認してから、錆び付いた階段をカンカンと音を鳴らして降りていく。その音を聞き付けて、下の階の住人の一人がドアを開けて顔を出した。
俺はこの爺ちゃんを心の中で100円爺と呼んでいる。
「なー坊、100円くりゃ……100円」
「また~~?」
俺が露骨に呆れた顔をしても、そんなもん知ってか知らずか、ずい, と皺くちゃの手を差し出して来る。
やれやれとばかりにバッグから財布を取り出して100円渡す。
そうすると爺ちゃんは殆ど歯の無い口を開けてにんまりと笑うと部屋に帰って行く。
何度か彼の部屋に上がらせて貰った事があるが、本当に質素な生活で、豚の貯金箱に俺から貰った100円を入れて満足そうにニコニコしている、俺から 100円集る以外は人畜無害な人だ。
俺はこの爺ちゃんの笑顔が堪らなく好きなので、顔を合わせれば必ず課金していると云う訳だ。
今日もエエ笑顔でした。
……と云ってる場合では無い、遅刻する!
俺はハッとして慌てて駆け足で目的地まで向かった。いつものように夕暮れ時にごった返す繁華街を人目を縫う様に抜けて──。
◆
六本木ヒルズの地下特区、会員制クラブ『イシュタル』の通用口へと滑り込み、魔法時計で転移空間をくぐり抜けた時には、既に胃の奥が酸っぱくなるような労働の予感が満ちていた。
更衣室で急いで黒いベストとスラックスに着替える。全身の傷跡が隠れるこの魔力制御礼服は嫌いじゃないが、如何せんサイズがパツパツだ。
鏡に映る自分の、やたらと自己主張の激しい胸板とシックスパックを恨めしく見つめる。可憐さの欠片もない。
これじゃあ上位アルファとの番契約が成立するまでずっと裏方の奴隷扱いだ。でもそんなこと、天地がひっくり返っても無さそうだが。
「おい、直忠。手が空いてるなら早く2番通路のゲロをモップで引け。それと、3階のVIPルームからアイスの追加だ。大至急な」
インカムから流れてくる宗像のおっちゃんの声は、いつも通り死んだ魚のような温度だった。グレーのスーツをだらしなく着崩したこのおっちゃんは、俺の不遇な境遇を「カツ丼一杯と服の新調代」で買い叩いてくるこの職場の絶対的な上司だ。
「はいはい、ただいま。今行きますよ」
アイスペールを抱え、高級感溢れる絨毯の上を大急ぎで移動する。
煌びやかなシャンデリアの下では、今日も頭のネジの吹き飛んだアルファの客たちが、大真面目に大金をドブに捨てながらおピンクな酒池肉林を謳歌していた。その様子を、俺は羨望と哀愁の混じったドライな目で見つめる。
俺のぽこちんと前立腺がうんともすんとも云わずにおねんねしている間に、世界は今日も他人の快楽で回っている。
何処かで乱暴に開け放たれる扉の音と共にスタッフルームにドタドタと忙しない足音が段々と俺に近付いて来て──ドロップキックを喰らわされた。
「キャ──!」
衝撃でソファから吹っ飛ばされ、床に落ちると強かに身体を打った。
取り敢えず頬に手をあて悲鳴をあげておく。
そう……アタイは女優。
「うるせぇ! お~ま~えぇ~!! 学生放棄野郎! なんでモルガナの授業に来ないんだよ!」
DV男の素質を孕んだ青年が肩を怒らせながら怒鳴る。
いつもの見慣れた光景。
その振り上げた震える拳を下ろせ、話はそれからだ。
「何云ってんの三毛猫。俺はちゃ~んと授業に出てますぅ~。リモートで参加してますぅ~。それに不登校でもリモートの授業参加なら出席扱いになるんですぅ~」
「そもそも俺は別にモルガナとかどうでも良いの。セックス出来ればそれで良いの~」
よっこらしょういち、と身を起こした俺は寄り目で首を傾げつつ、右手で輪っかを作り、左手の人差し指を輪っかの中にズボズボと高速で抜き差しして見せた。
思い切り頭を叩かれた。ごめんちゃい。
「ふざけんなこのクソビッチ! そもそも面白半分の指名しか貰えて無い癖になにとち狂ってんだ! それにクラブは社交の場で──」
「俺は社交より射精がしたい」
「もっとオブラートに包め!! お前の発言は全裸で道を歩いてるのと変わらないんだよ! もっと慎ましやかであれよ!」
そこで「身体の相性ぉ……」なんて云おうものならはっ倒されたに違いない。
苦虫を噛み潰したような表情で、まるで汚いものでも見るかの様な睨めつける視線を俺に向ける美青年──三毛猫慶太。
色素の薄い栗色のベリーショートに白い肌、長い睫毛に縁取られたぱっちり二重。
しかし性格は良くない。
何故か知らんがこいつは俺が学校──モルガナの授業等をサボるとキレる。
根が真面目だからなのか。
正味面倒臭いなぁ、と頭を掻きながらはぁ、と溜め息を吐けばまた叩かれた。
暴力反対!
「も~。三毛猫は三毛猫で処女守って純情に生きれば良いじゃん。何が気に食わねぇの?」
はた、と大きな瞳を真ん丸にして、三毛猫はわなわなと肩を震わせ、顔を真っ赤にして「処女って云うなぁ!!」と思い切り打ってきた。
暴力反対!!
ハ──ッ、とクソデカ溜め息を吐き出してから三毛猫はこちらに背を向けるとそのまま歩きだした、かと思えば不意に此方に振り返り「お腹空いた! 来々軒のラーメンと炒飯と餃子!」とだけ云ってスタッフルームから姿を消した。
はた、と壁に掛けられた時計を見れば深夜を回った所だった。
ぐう、と腹の音が鳴る。
「ヨッチーなにその頭のたん瘤」
同僚の黒鶏武臣が俺の頭に出来た現代アートを眺めて呟く。
「三毛猫が打った」
「アハハ、また~?」
もう一人の同僚、白犬斗真がふにゃりとした笑みで俺と三毛猫を交互に見やるとやれやれと首を振った。
「お前いつも三毛猫にやられてんな~」
鶏、猫、犬、ロバ(俺)見事にブレーメンの音楽隊だ。
黒鶏がラーメンに舌鼓を打ちながらくぅ~! と唸る。
確かに肉体労働の後のラーメンは身に沁みる。鶏白湯ラーメンうめぇ~~!!
消費した塩分を補うかのようにずるずると旨そうに啜る様は見ていて気持ちの良いものだ。
「今度はなんで怒られたの~?」
黒鶏とは対照的にはふはふと少しずつ口に運ぶ青年は白犬。
こちらも眼を細めてラーメンを味わっている。
「ちょっと待て」
「どうした三毛猫?」
「なに~?」
「また面倒臭い事だろ……痛い! 殴んなよぉ~」
「俺達がまだ処女である件について」
「……そんな話を食事の場でするか? 普通」
「あ~~。まあ切っ掛けがあればねぇ……」
う~ん、と眉根を寄せ何かを決めかねる様に唸る白犬。
「確かに俺らまだセックスした事ないしなぁ~」
ずるずると啜った麺をごくんと飲み込んで、黒鶏が溜め息を吐く。
「良いんじゃないの? そのままでさぁ」
と俺があっけらかんと云えば、三毛猫がギヌロ、と親の仇の如く睨んで来た。え、なんで?
「おい。そもそもお前未経験じゃないってマスターから聞いたが、それは尻の話じゃないのか? 子宮口の方はどうんだよ」
「それは未経験だけどぉ……」
「え! ヨー君って片方経験済みなんだ!」
「確かにヒート来ないとアソコ開かないもんなぁ~」
「「あははははは!!」」
なんて笑えば何故か俺だけ「半処女の癖にお前が笑うなッ」と三毛猫に殴られた。理不尽!!
不意にスタッフルームの扉がノックされ、宗像のおっさんが顔を覗かせると人好きのする笑顔でそれぞれにお菓子を渡された。
「はいはい。皆ぁ~、お疲れ様~。もう今日はそれ食べたら帰っていいよ。あ、それからこれ、お客様に頂いたお菓子。美味しいって有名なんだって! 持って帰って食べな~」
そのまま帰宅を促され、議論? は終了となった。
「「わ~い! あざま~す!」」
「ヨー君、その大量の餃子どうすんの?」
「お土産」
「え、恋人?」
「いや」
「じゃあなに?」
「ヒモ」
「不潔!!」
切れる三毛猫を無視してさっさと帰り支度を整えると大量の餃子を持って我が城に帰宅した。
「相変わらず不気味な限界突破アパートだよなぁ~」
片眉を上げ見上げた先にある集合住宅の限界突破をつぶさに眺める。
2階への階段を登ってから自分の部屋へ向かう途中でいつも問題を起こす部屋の扉が唐突に開かないか注意しつつ通り過ぎた所で扉の開く音がした。
うし、今日はぶつからなかった~。
なんて思っていると不意に肩を捕まれた。
「あれ~? アンタオメガ? あは、めっちゃ背ぇ高いねぇ。ああ~でもその褐色の肌は凄くそそられる……」
「はあ? なに?」
どうやら相手は酔っぱらっているようだった。振り返った先に赤らんだ顔と酒の匂い。蛍光灯の灯りが明滅し、なんとも不気味な雰囲気を醸し出す。
まさかこのアパート幽霊までなんて出ないよな? なんて考えているとそのまま口を塞がれた。
「……ッ」
「ん~~♡ ぁ、痛ァ!?」
腹が立ったので空いている方の手で男の頭を叩いた。
「この野郎! いきなりキスするとか常識持ってねぇのか! いつも人に迷惑を掛けておいて他人事みてぇな面しやがって! 日頃の鬱憤も添えて殴ってやる! この! 制裁パンチ! 粛清パンチ! 鉄拳パンチ! 正義キック! ついでにキック! オマケのキック!!」
「んひいいぃ~~」
拳と足で交互にゲシゲシと殴り蹴って、ふにゃふにゃの相手が廊下にくず折れるように踞っている間に、急いで部屋の鍵を取り出し室内に入ると鍵を閉めてほっと一息。
あれ? よく考えたらあのままなし崩しにヤッても良かったのでは? と足りない脳味噌で考えたが、まあいいか~と毛玉を呼んだ。
「毛玉~。ほらぁ~。餃子だぜ~? 美味しそうだろぉ? あれ? 犬猫は玉葱とか駄目だけど毛玉はどうなんだ?」と考えている間に毛玉が物凄い勢いで大量の餃子を平らげてしまった。
いつもながらよく食べる。なんだい育ち盛りかい? 外からいびきが聴こえてくる。きっとあの酔っ払いだ。このまま放っておけば風邪をひくかも知れない。
が、部屋に入れてやる優しさを持ち合わせていないので取り敢えずブランケットを掛けてやってそのまま無視した。俺も寝るか……と欠伸をひと噛みし、ベッドへと潜り込んだのだった。
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