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3あっちの裏側へようこそ①
上階の、内臓を擂り潰すような嫌な重低音の騒音で目が醒める。
スマホのバックライトで網膜を炙りながら待ち受け画面を見れば、まだ深夜一時だった。何時に寝たっけ? と、足りない脳味噌で考える。
うるせぇな、と思いながらもう一度寝ようと布団に潜り込む。と、ドン!! と下階の床がひび割れんばかりに鳴った。
凄まじい天ドンだ。ええ~? 俺じゃないのに~? と困惑。
暫くして、インターホンではなく薄汚れた鉄扉が苛立たしげにドンドンと叩撃された。
(うわぁ……面倒くせぇ~)と苦虫を噛み潰したような顔で玄関口までのろのろと歩みを進め、「どなたですかぁ~?」と白々しく云いながらドアを開けた。
「お前さー、うルッせぇーンだよ!!」
「毎晩毎晩部屋中走り回って何が楽しい訳!?」
「お陰でこっちはまともに寝れやしない!!」
「は?」
「あ?」
「……あの」
「人の趣味にどうこう云いたかねーけど止めろよな!」
脂ぎった顔の男は吐瀉物のような罵声を吐き捨てて、逃げるように去ってしまった。怖い怖い怖い。何の話だよ。
本当にこのアパート異常。
いっつもなんか不気味な起きるもん。
変なのしか住んでないもん。
さっきの奴も、俺の事を夜中に四足歩行で走り回る変人か何かって思ってんだよな……その結論にたどり着く思考回路が普通にスゲェよな~。
「……はぁ」
何か悶々と考えてたら脳がジクジクと冴えて寝れなくなってきた。
先ほどの騒動で毛玉も起きてしまったようで、毛並みを揺らし、餌をねだるように足に纏わりついてくる。
ぽふっ、と微かな音がした。お前の胃袋はブラックホールか何かですか?
「……コンビニ行くか」
俺は壁に掛けていた薄いパーカーとジーンズに着替えて、外廊下へと出た。
虫の死骸が集った蛍光灯がジ、ジ……と脳をバグらせるような不快な電子音を明滅させながら廊下を照らしている。
時間も時間だ。先ほど部屋に居た時の、あの脳を削るような騒音とは打って変わって、世界はねっとりとした静寂の空間と化していた。
「はあ~~……。だるぅ~~」
首をコキリと鳴らしながら外階段を降りる。
俺の住んでるこの限界突破アパートは、新宿の繁華街で賑わうドブ川のようなエリアから、電車で幾らか離れた高円寺にある。
3階建ての薄暗い雑居ビルと、昭和で時間が止まったような純喫茶にぴったりと左右から圧殺されるような状態で建っているのだ。
ただ、都合が良いのが、すぐ眼の前がコンビニだと云うこと。深夜のドス黒いアスファルトの向こう側で、白々とした人工の光がそこだけ世界の安全圏のように浮かび上がっていた。
コンビニに行くと、入り口付近で俺と不良たちが、ヤンキー座りで煙草をこれみよがしに吹かしながら缶酒を飲んでいた。実に楽しそうなたむろの仕方だ。
高円寺は治安が良いとは聞くが、とにかく変な人が多い街なので、「まあ、夜中だしこういう生き物もいるか」とひとりごちる。
コンビニに入店し、お菓子などを幾らか買って外に出た、その時だった。
「おい」
群れると途端に全能感を獲得する、テンプレ仕様のイキり声である。面倒臭いので完全無視。
ぼくちん早くお家帰るんだもん!
「聞こえねーの? お前の事なんだけど」
「……何か用?」
思ったよりもしつこかった。風俗街の悪質なキャッチ並みの粘着質だ。
渋々振り返ると、眼の前には頭の悪そうな茶髪の男が、にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべて立っていた。
俺の貴重な時間が、こいつの所為で無駄に消費されていく事に悲しみを覚える。
「は? コイツ何ため口聞いてくれちゃってんの? あり得ねー」
「おめーだってため口じゃねーか」
「はあぁ゛!?」
「うわ、息臭ッ! 近づかないでくんねぇ? ちゃんと歯磨きしないとこれから大変だぞ~?」
心の中で大合唱する。うんこの臭い! うんこの臭いだ!
「んだとテメェ!?」
激昂した糞野郎の拳が俺の頬に当たる、その寸前──俺はそいつの拳を片手でガチリと止めた。
不意を突かれたように情けない面下げた男が、呆然と立ち竦む。そのまま手首を引っ張り、力を逃がすように軽く捻って足首を蹴っ飛ばすと、相手は綺麗に一回転してアスファルトへ尻餅をついた。
「か……ッ!?」
「ほ~~ん。……で?」
「あれ? あれ? ……た、たっくん! コイツやべえ、ヤッちゃって下さい!」
「あ~~? なに?」
完全に勢いを折られた糞野郎の一匹が情けない声で新たな助っ人を呼ぶと、これまた随分と体格の良い「たっくん」とやらが、地面に煙草を吐き捨ててズボンに手を突っ込みながらのっそりと立ち上がった。
「おにーさん、金持ってる? 貸してくんねぇ?」
「持ってるけど貸さない。あと歳大体同じだよね。俺、お前のお兄ちゃんじゃないもん」
「あ?」
「だってこういうのって戻って来ないもん。貸し借りじゃなくて完全なるカツアゲじゃん。違う? 借用書用意して?」
「お前……ん? あれ? ……おい、 こいつオメガじゃん!」
たっくんが俺の首のチョーカーに気づき、途端に男たちの目の色が変わる。
「あは。そうで~す。だからなんだって話だけど。もう帰っていい?」
「あ~、じゃあ身体で払って貰うかぁ~」
「深夜の三流AV動画とかでしか聞かねぇセリフ、本当に云う奴居るんだ」
「おま、たっくんナメんなよ!」
「スマホのバッテリー足りるか? コンビニで予備買っておいた方が良いんじゃねぇ?」
「おい、なんの話してんだよ。俺は帰るからな──うおッ!?」
「あ、こいつ重い! ちょっと手伝ってくれ!」
一番体格の良いたっくんとその他数人に身体を担がれて、思わず声が漏れた。182cmの無駄に筋肉の詰まった俺の重量に、糞野郎共の腰がみしりと悲鳴を上げる。
俺は高円寺の深夜の闇の中へ、わっしょいと不名誉に担がれたまま拉致されていくのだった。
その拍子にレジ袋を落としてしまい、ベシャ、と嫌な音を立てて中身が地面に散らばった。
ふと見れば、いつの間にか着いてきていた毛玉が、散らばったチョコ菓子を呑気に貪り食っている。
飼い主が今まさに謎の集団に連れ去られようとしているというのに、当の毛玉はどこ吹く風で飯を食っていた。おい!! ヒモぉ!!
「──は~い。オメガの生ハメ動画で~す!」
(おかしい……おかしいぞ……)
展開が面白かったので体よく連れ去られてみれば、連れ込まれた先はコンビニの真ん前にある雑居ビルの薄暗い空き部屋だった。
どうやらこいつらが普段から溜まり場にしている場所のようだ。だが、そんなことよりも。
「さっさと脱がした方が良いんじゃねえの?」
(……俺のチョーカー、なんで警報アラームが鳴らないんだ?)
そもそも、何で俺は抵抗しなかったんだ? と考えて、はた、と一つの可能性に気付く。
(──抵抗、出来なかった……?)
「ああ!?」
「うわ! いきなり大声出すんじゃねぇよ!」
俺の突然の絶叫に驚いた不良Aが、手に持っていたスマホを落としそうになり、必死の形相でお手玉をしていた。
(もしかして、俺自身が危機を感じてないからアラームが鳴らないのか? ってことは何だ、俺もしかしてこの最悪なカツアゲ拉致展開を内心喜んでるのか? 面白がってるのか? そこまで変態だった……!?)
己の性癖の計り知れない歪み具合に愕然としていると、髪の毛をぐい、と乱暴に掴み上げられた。
「ごちゃごちゃ云ってねぇで、まずは皆の分ちゃんと舐めろよ? それだけで勘弁してやる訳じゃねぇけどな」
にたり、と下品な糞野郎達が嗤う。
──嗚呼、なんて嫌な笑みだ。
俺はこんな馬鹿共に易々とヤられる程安い男ではない。ちょこっとだけ味見をしてみたい気持ちもゼロではなかったが、そもそも口臭かったし、男としてのギリギリのプライドでそれを乗り越える。
なんてこった。そこまで己を律しないと性への誘惑を躱せないなんて、なんと情けないことか。
ひとまず立ち上がろうとした、その時だった。急に足元が激しくふらつき、床にドサリと尻餅をついた。
(──あれ?)
「おやおやぁ? 怖くて震えてるんでしゅかぁ~?」
突然、身体の奥がカッと恐ろしい熱を帯びる。全身の骨という骨から一気に力が抜けていく。下腹部がきゅう、と妙に疼いて苦しい。
え? え? ヒート? 嘘だろ、なんで今。
「……なぁ、なんか……いい匂いしねぇ?」
俺の異変に気付いた不良たちが、くんくんと鼻を利かせて、獣のように辺りに鋭い視線を配り始める。
一瞬の隙を突いてこの場から逃げようと試みたが、呆気なく自分の足を縺(もつ)れさせてしまい、その場に横たわる形で力無く倒れ伏した。
抵抗できない俺を押さえ込むように不良たちが一斉に集まり、下品にスマホのレンズを向けながら、荒々しく服を脱がしにかかってくる。
「こら、ぁ……ッ! なにすん……ちょ、駄目、だからぁ……ッ!」
違う、違うんだ。なんだこれは。ヒートって、こんなに脳みそまでとろんとろんになっちまうものなのか?
「やべっ、さっきと雰囲気全然違うんだけど!」
「エッロ! もうフェラじゃなくて、このままハメて良いんじゃねえ? なあ!?」
「糞ガキ……ッ。ふざけんな、ぁ……ッ」
「アンタら、面白い事してんね? 俺も混ぜてくれよ」
ピリついた空気の中に突如として軽い声が響き、一瞬の静寂が訪れた。
見れば、バキバキに割られた窓枠から、ミリタリーキャップを被った男がこちらに身を乗り出しているのが見えた。
その瞬間、俺の野生の勘が瞬時に理解した。この異常な速度の強制ヒートは、今現れたこの男によって惹き起こされたものだ、と。
──それは、まさに瞬きの間に起こり、雪が溶けるようにあっけなく終わった。
さっきまで俺を押さえつけていた不良達が、何が起きたのか理解する間もなく、全員地面に伏していた。
あまりの早技に俺の足りない脳味噌の理解が追い付かない。
だが、そんなことよりも──身体が疼いて、狂いそうなほど苦しい……!!
「おい、そこの、アンタぁ……」「ん? ああ。安心しな、こいつら皆しばらくは起きねぇよ。ビルの下で変な毛玉みたいな生き物がミィミィ鳴いて五月蝿かったからさぁ。もしかして、お邪魔だった?」
「そうじゃなくて……どうしてくれんだよ、これ……」
「へ?」
俺の恨めしい視線と反応に、男は意外な反応を受けて間抜けな声を出した。
「アンタの所為で、強制的にヒートが来ちまったじゃねーか……ッ。責任、とってくれよ……」
「ええ!? いやそれは……俺、襲われてんの止めようと思って親切心で来ただけだし……」
俺のガチなムチムチボディから放たれるおねだりに、男が本気で引き気味に身をのけぞらせた、その時だった。
『──エリア警告。セクター02において空間汚染度が規定値を突破──』
突如として、けたたましい堕竜警報のサイレンが夜の街に響き渡る。
こんな最悪なタイミングですら、堕ちたる竜は待ってはくれない。当たり前か。
「あ! 悪い! 俺これから用事あんだった。じゃあな!」
堕竜警報のサイレンを聞いた途端、そいつは軽々と窓から飛び出して行ってしまった。
もはや、ヒートの熱の中で呆然とするしかない。
俺は割れた窓から毛玉を呼び寄せると、その薄暗いビルの空き部屋で警報のサイレンが鳴り止むのをじっと待った。
強制ヒートの熱がようやく冷め、命からがら高円寺のアパートへ漸く帰宅した頃には、すっかり疲れ果てていた。
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