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6君に溺れて道化が嗤う①

 流石に国の最高機密を扱う特務機関の組織が相手なだけあって、停留所で次々に乗り込んでくるキャストどもは、どいつもこいつも網膜が焼き切れそうなほどとびきりの美人ばかりだった──ただし、股ぐらに余計なモノをぶら下げた男ばかりだが。 「ねぇ、もしかしてこれ……やっぱり殆んどハーフの……?」 「そうだな……」  白犬が今にも胃液を吐き出しそうな不安面で三毛猫に耳打ちし、三毛猫が重々しく頷く。黒鶏にいたっては「うぇ」と汚らしい音を立てて舌を丸出しにしていた。  無理もない。この黒塗りの霊柩車じみた車内には、俺たち4人を除いて「まともな人間」が少ないのだ。  そればかりか、場違いなドブネズミが紛れ込んできたと云わんばかりの、ねっとりとした悪意の視線がそこかしこから突き刺さってくる。居心地が悪いなんてもんじゃない。座席のクッションに針の山でも仕込まれている気分だ。  不意に、前方の席でピキリと空気がひび割れるようなざわめきが起こった。  どうやら誰かが騒いでいるらしい。  どよめく車内の通路を、すかした顔の連中をかき分けながら、ずかずかとこちらに向かってくるのは、これまた可憐という言葉を無理やり肉体化したような美青年だった。  そいつは俺の顔を一瞥するなり、まるで初恋の相手でも見つけたかのように、花も綻ぶような笑みを浮かべてみせた。 (……誰?)  三毛猫たちが、お互いに「お前の知り合いか?」と泥でも擦り付け合うような目配せを交わす。  青年は俺たちの席の前に立ち止まると、鈴を転がすような声で言い放った。 「ねぇ、そこに座りたいんだけど」  あまりにも直球な不条理に、横に並んでいた3人が「え?」と狼狽えながら、押し出されるようにトコロテン式に席をずらした。  なんでだよ。この大の大人が4人ギチギチに座っている絶望的な状況で、平然と「席をあけろ」と云えるその心臓には、一体どれだけの剛毛が生え散らかしているっていうんだ。  俺の隣にすんなりと腰掛けた青年は、徐にこちらを向くと、オブラートを百枚ほどすっ飛ばした火の玉ストレートをぶちかましてきた。 「スカーフェイスだろ?」  あまりにも遠慮のない単語の暴力に、俺のダチョウ並みの脳味噌が数秒フリーズする。青年は獲物を値踏みするような目で俺の傷跡をなぞりながら、言葉を続けた。 「エレンから聞いたんだけど、この間の夜会であんたが大暴れしたって──」 「え、ヨッチーちゃんと夜会来てたん!?」 「ぶっちしたんじゃなかったの?」 「どういう事だよ直忠。これじゃ俺がこの間、お前の鼻面に工業用ホチキスで制裁加えたの無駄になるじゃん」 (いや、お前ら、問題はそこじゃないだろ。あと数百円スッたの忘れてねーかんな。恐ろしい世の中だよ)  友人どものズレ切ったツッコミに、俺は心の中で激しく頭を抱えた。  だが、矢継ぎ早に質問攻めにされ、一番「はてな?」となっているのは俺自身だ。初耳なんですけど、と記憶の引き出しをひっくり返そうとしたその瞬間、隣の青年が冷たいナイフのような声で三毛猫たちを遮った。 「今は俺がスカーフェイスと話してるから」  有無を云わせないその眼光の鋭さに、背筋に冷たいものが走る。怖~~。顔はあんなに可愛いのに、中身は完全に地下闘技場のヤバいトカゲのそれだ。 「え、俺が? 夜会来てた? え? いや確かに……確かに、行ったよ。行ったけどすぐ帰ったから……ぶっちゃけあんまり覚えてないっつーか……」  しどろもどろに答えながら、俺の脳裏を最悪な疑惑がよぎる。 (じゃあ、アレって……ナハトにあんなところやこんなところをメチャクチャにされたのって、夢じゃなかったってこと???) 「覚えてないの?」 「いやだって、気付いたら自分の家の布団の中に居たし──う!?」  言い訳を並べ立てようとした瞬間、俺のぶ厚い胸ぐらが凄まじい力で掴まれ、ぐ、と青年の顔の前に引き寄せられた。  そいつの顔は、先ほどと変わらず綺麗な笑顔のままだった。だが、その網膜の奥にある瞳だけは、一滴の光も通さないほど一切笑っていなかった。 「ナハトと──消えたって聞いたんだけど」  車内の空気が完全に凍りついた。  しかし、その絶対零度の威圧感を、俺の後ろのバカどもが秒でぶち壊す。 「あのナハトさんと!?」 「ヨッチーやるなぁ!」 「おいどういうことだ直忠! 説明しろ!」  またしても前のめりになって喚き散らす友人ども。  その瞬間、青年の顔から「可憐さ」という皮膜がベリベリと剥がれ落ちた。 「今! 俺がこいつと話してんだっつってんだろぉがああぁぁ!!?」  鼓膜をなぶり殺すような醜悪な金切り声が、ドスの利いた怒号となって車内に炸裂した。  あまりの剣幕と不条理なキレ方に、三毛猫たちも完全に硬直する。  たった今しがたまで美青年たちの色香で満ちていたはずのバスの車内は、お通夜よりも酷い、しんとした静寂に包まれてしまった。 「おい、スカーフェイス。俺はあんたみたいな図々しい奴が大っ嫌いだ。コル・ドラコは──全員俺の番だから。あんたがどんな手を使ってナハトを誑かしたか知らないけど──調子に乗るなよ」  青年の綺麗な顔が、憎悪で梅干しみたいに歪む。だが、俺のダチョウ並みの脳味噌は「コル・ドラコは全員自分の番」というパワーワードの処理に手一杯だった。  一人のオメガが14人の猛獣と番に? (あ! つまりこれって噂の運命の番ってやつか!)  それにしたって相手が14人は毎日が年中無休の爆発サウナ状態なんじゃないだろうか。おピンクの神様も、ずいぶんと無茶な配役をするものである。 「ミ゛ィ」  不意に、俺の胸ポケットから湿ったカマボコみたいな声がした。見れば、いつの間にか這い出ていた「毛玉」が、大真面目な顔で青年の指先にがっちりと噛みついている。雀の餌を貪る時の、あの躊躇のない顎の力だ。 「いっ、──!?」  青年が短い悲鳴を上げて手を引く。 「なんだその生き物は!? ふざけ──」 「ふざけてんのはてめえだろーがぁ!!」  次に車内を震わせたのは、なぜか三毛猫のブチ切れ声だった。  次の瞬間、青年は三毛猫によって座席から雑巾のように投げ飛ばされ、通路の硬い床に文字通り転がった。そこへ間髪入れずに、東京のクソすっぱい現実に鍛え上げられた三人の靴底が襲いかかる。 「このアマチュアがぁ!」 「人のダチの胸ぐら掴んでんじゃねえよ!」 「も~腹立つ~!」  ゲシゲシ、ボコッ、と、美青年の肉体を踏みつけるにはあまりにも風情のない、鈍い音が狭いバスの中に響き渡る。完全なるカオス。当事者たちは命がけで超真面目なのに、絵面が不条理すぎて、周囲のキャストたちは脳の処理が追いつかずに白目を剥いている。  慌てふためいたエンブリオの添乗員が、泣きそうな顔で「お客様!  運行の妨げになりますので! 暴力は施設内の指定エリア内でお願いします!」と三毛猫たちを宥め透かし、身の危険を察した青年は、涙目で髪を振り乱しながら前方の席へと這うようにして移されていった。 「……なにやってんのお前ら……」  俺が呆然と声をかけると、三毛猫がまだ息を荒くしながら俺の頭を小突いた。 「お前こそ! なんで云い返さないんだよ! 馬鹿じゃねーの!」 「そうだよ! も~腹立つ~! 直忠はいつもそうやってボケーッとしてるから舐められるんだよ!」  白犬がぷんぷんと怒り、黒鶏も鼻の穴を広げて同調する。 「初対面でよくもまぁ、信じらんねー! ナハトがどうとか知らねえけど、俺達の結束を舐めてもらっちゃ困るよな!」 「それにしたって蛮族じゃねぇんだからさぁ……」  そんなこんなで、車内の血生臭い温度が少しだけ冷めかけた頃、バスの速度が目に見えて落ちた。目的地に到着したようで、車内のキャストたちが一斉に色めき立つ。俺たち4人もそれに釣られて、窓硝子に鼻頭を押し付けるようにして外を眺めた。 「うお、でっかぁ……!!」  思わず、間抜けな声が漏れた。 「ヨッチーはリモート同期のみの在宅キャストだったから知らなかったと思うけど、ファタモルガナって要塞なんだよ。なんたってあのエンブリオが管理している上にエンブリオの基地内にあるからね!」  なぜか白犬が、自分が建てたわけでもないのにふふんと自慢げに鼻を鳴らした。  手の平をおでこに翳して窓越しに見上げれば、天の天井を削り取るかのような巨大な要塞が、そこにずっしりと鎮座していた。  さながらそれは、コンクリートと鉄鋼でできた雄々しい山のようだ。その重厚で堅牢な造りは、この美しい東京のセクターたちが、いかに理不尽な神々の暴力によって崩壊の危機に瀕しているか、そしてこの建物自体がどれほど数々の凄惨な修羅場を掻い潜ってきたのかを、無言のまま雄弁に物語っていた。  そのファタモルガナの下部にある、文字通り巨大な怪獣の顎のような入り口が、ギュルギュルギュルと鼓膜をすり潰すような重たい鎖の音を鳴らしながら、ゆっくりと開いていく。  排気ガスの臭いとともに、バスはその暗黒の胎内へと滑り込んでいった。 少しして、エアーブレーキの抜けるブシューッという不吉な音が響き、バスが完全に停車する。  扉が開くと、キャストたちがそれぞれの荷物を抱えて、申し送りを受けた家畜のように整然と降りていく。  俺たち4人もそれに続いて、コンクリートのひんやりとした湿気が満ちる床へとバスから降り立った。  要塞内への入り口、その冷徹な電灯の光に照らされた先に、非の打ち所がない完璧な笑みを称えた一人の紳士が、背筋をピンと伸ばして立っていた。 ◆ 「本日はようこそおいでくださいました。私は皆様の案内役を仰せつかっております児玉と申します。さあ、どうぞ中へ御入り下さいませ」  その紳士の、一ミリの狂いもなく仕立てられた燕尾服と完璧な笑みを見た瞬間、俺の記憶の底にある、おピンクな高級シャンパンの泡が弾けた。 「え? なんだ児玉さんじゃん!」  何か聞き覚えのある名前に見覚えのある顔だと思ったら、最高級会員制クラブ『イシュタル』で俺を指名してくれた超上客の児玉さんだった。まさかこんな鉄と血の匂いがする怪獣要塞のど真ん中で再開するとは、世間というやつは狭すぎる。 「おや? 真宵君じゃないか、久し振り!」  お互いに場違いな場所での遭遇に目を丸くしつつも、俺たちは児玉さんに案内されるまま、フロアごとに色分けされた、血を吸い込んだような赤いカーペットの廊下を歩いた。  やがて、装甲板のような分厚い扉のエレベーターに乗り込み、ぐんぐんと上階へ運ばれていく。  フロアランプが冷たく点灯し、チン、と上品な音が鳴って、頑丈な扉が左右に開いた。  その瞬間、俺たちの目に飛び込んできた光景に、ダチョウの脳味噌が完全にバグを起こした。  ──目の前に広がっていたのは、手入れの行き届いた見事な日本庭園と、そこにしつらえられた圧倒的に立派な御屋敷だった。  ついさっきまでコンクリートの要塞を通っていたはずなのに、まるで此処だけ時間の流れが歪んだ別世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。さらに進んだ先には、城門と見紛うばかりの大きな立派な門扉が、無言の威圧感で客人を待ち構えているようだった。 「大変申し訳ありませんが、寄宿舎の用意に少々時間が掛かっており、それまでの間は此方の来客用座敷を解放し、キャスト様の生活するエリアになります。キャスト様の個室は使用人の方から案内されます。ルームキーはくれぐれも無くされませぬよう御願い致します。それから詳しい説明は後程行いますので、まずはゆっくりと身体を休めて下さいませ」  丁寧な口調でそう説明を終えると、児玉さんは先ほど通路でゲシゲシに蹴られていた青年に静かに近付き、「清守奏様の部屋は此方になります」と慇懃に案内した。  どうやらあの青年だけは、俺たち一般の産業廃棄物クラスのオメガとは違い、特別に此処とは別の、さらに豪華なVIP部屋が用意されているらしい。 (清守、奏……? 何処かで聞いたような……)  俺の極小の脳味噌の引き出しをいくら引っかき回しても、肝心なところでカビの生えた消しゴムみたいな記憶しか出てこない。完全に度忘れしていた。  これが世に云うVIP待遇というやつか。すげえなぁ、と他人事のように感心している間に、案内を終えた児玉さんは、そのまま音もなく別の場所へと去っていった。  その後、無表情な使用人に首根っこを掴まれるようにして案内され、俺は一番端の部屋へと入った。  そこは和モダンな雰囲気が漂う、レトロを基調とした無駄に贅沢な作りの部屋だった。大きな窓の向こうには、季節を忘れたかのように見事な藤棚が紫の房を垂らしている。  パサリと、俺の胸ポケットから飛び出した「毛玉」が、畳の上を「ぽふっ、ぽふっ」と跳ねながら窓際に寄り、興味深そうに外の景色を眺めていた。  部屋は二間続きになっており、俺が何気なく襖を開けると、その奥には、真っ白でふかふかの敷布団が二つ、仲良く並べて敷いてあった。 「……なるほどねぇ~」  その瞬間、俺の顔はこれ以上ないほどだらしなく、下卑た形ににやけた。  地下闘技場での地獄の日々、そして宗像のおっちゃんから云われた裏方スタッフの宣告。だが、この並んだ布団が意味するものは一つしかない。 (要はイシュタルと同じで、指名があればここで一発……うひひ)  前立腺が未だに爆睡中であることも忘れ、俺の脳内はおピンクな期待と妄想で大爆発を起こしていた。  期待に胸を膨らませるあまり、締まりのない口元からは、いまにも涎がだらだらと溢れそうになっていた。 ◆ 「……というわけでございます。真宵君、こちらの仕様をくれぐれもお忘れなきよう」  再度現れた児玉さんから、この特殊な隔離エリアでの生活規則と、そして俺が涎を垂らして待ち望んでいた「夜の指名」とやらについて、大真面目で不条理極まりない説明を受けた。  要するに、ここは選ばれた最高級の男オメガたちが、その身に宿る狂気と大罪を孕んだ神々──ドラゴンのアルファどもや魔人アルファ、ベータ達を、色香とフェロモンで手懐けるための最高機密の『繭』なのだ。  ひと通りの説明を終えると、児玉さんは恭しく一礼し、そのままくるりと背を向けて、真っ赤な絨毯が敷かれた廊下の奥へと足音もなく消えて行った。 「じゃ、俺たちも一応、自分の部屋に戻るわ」  三毛猫たちがそれぞれの割り当てられた部屋へと戻り、和モダンな静寂が再び訪れる。  だが、静かなのは今だけだった。  夕方になれば、全国から選りすぐられたキャストたちによる「花魁道中」とやらが始まるらしい。要塞の心臓部に作られたこの虚飾の廓で、自らの肉体の価値を最高値で売り込むための、命がけのパレードだ。  そのため、隣近所の部屋からは、すでに化粧の白粉の匂いや、おピンクな香水の匂いが、焦燥感と一緒に廊下へじょぼじょぼと漏れ出していた。各自、身支度から何から大忙しの戦場と化している。  なんでも、キャスト一人につき、一人のベータ(β)の使用人が付き人として身の回りのお世話をするシステムらしいのだが、そこでもさっそく「階級の不条理」が牙を剥いていた。 「ねえ聞いた? あの清守奏ってガキ、急遽4人も使用人がサポートに入ったらしいよ」 「依怙贔屓もいいとこだよね……何様のつもりなんだか」 「モルガナでもドール達は清守にメロメロだし……」  廊下を行き交う他のキャストたちが、羨望とドロドロした嫉妬の混ざった不満を隠そうともせずに愚痴を零している。  そんな命がけの美容大戦の喧騒を完全に無視して、俺たちの部屋では、使用人から仕入れた情報を肴に、むさ苦しい男4人が畳の上で車座になってババ抜きに興じていた。 「はい、また俺の勝ち~~」  俺は刈り上げのポニテを揺らしながら、最後の一枚を叩きつけた。 「ヨッチー強くね~?」  黒鶏がのんびりとした声を出し、白犬も手札をバサバサと扇ぎながら悔しがる。 「さっきからヨー君ばっか勝ってる~」 「お前、地下闘技場でトランプのイカサマの哲学でも仕込まれてきたんじゃねーのか!?」  三毛猫が額に青筋を立てて凄むが、俺の脳みそはダチョウ並みなので、ただ純粋にカードの引きが最強なだけだった。  カードを配り直しながら、使用人から聞いた話を頭の中で整理する。  この「花魁道中」というのは、ファタモルガナの寄宿舎に新しく入居する新人のために、盛大に行われるお披露目イベントなのだそうだ。  しかも、外部の金持ちや特務機関の偉いさんたちが、血眼になって予約制のプラチナチケットを勝ち取らないと観戦すらできないという、狂った利権の塊らしい。  新しくキャストが充分に補充されればお披露目を行うのだとか。  つまり、ここに呼ばれた俺を除いたキャスト(オメガ)たちは、これからあの厳重な専用宿舎からファタモルガナへ、文字通りの箱入り息子として通うことになるという訳だ。  魔人と云えば、新宿で世界を滅ぼさんばかりに暴れていたあの巨大なトカゲどもだ。空中に魔法陣を展開したり、超次元の不条理災害を引き起こしたりするから、文化的にも海外のゴシックホラー寄りのイメージを勝手に抱いていた。  しかし、蓋を開けてみれば、このエリアはどちらかと云えばレトロモダンテイストで、花魁だの何だの、お大層に日本寄りの雅な和風文化が煮詰められていて、俺はただただ驚くばかりだった。 (まあ、何はともあれ、夜になればこの並んだ布団におピンクな未来が……うひひ)  配られたカードを見つめながら、俺の頭の中は再び、缶詰のシロップよりも甘ったるい妄想へと逆戻りしていくのだった。 ◆  夕方。  ワア、と魔人や人間のアルファ(α)、ベータ(β)どもから、肉の焼ける脂の匂いに混ざった獣じみた歓声が沸き上がった。  とうとう、お披露目の「花魁道中」が始まる。  どこからか、金の角、金の眉、そして鈍く輝く金の歯を持った獅子舞が、狂気的な熱量で荒れ狂うように踊り出した。  カチカチと顎を打ち鳴らす乾燥した音が響き、琴、尺八、三味線、和太鼓による、盛大かつ優雅で、どこか退廃的な気品のある生演奏がその場を重々しく包み込んでいく。  道中を先導する太鼓持ちが、喉を千切らんばかりのドスの利いた声を高々と張り上げた。 「嗚呼、花魁ん~~道中ぅ~~!!」  血を想起させる赤い紙吹雪を盛大に散らしながら、太鼓を叩いて舞い踊る。花魁の脇をガチガチに固めるのは、不気味な狐の面を被った使用人たちだ。彼らは冷たい明かりを手に提げ、歩調を合わせて鈴を鳴らした。  シャン、シャン、ちりん、ちりん。  その凛とした緊迫感の中に響き渡る高周波の鈴の音は、耳の奥の三半規管を心地好く揺さぶり、脳髄を「ここではないどこか」へ拉致していくような、不思議な高揚感で満たしていた。  そして、その狂乱の先頭を歩くのは、他でもないあの青年、清守奏だった。  だが、足元はあまりにも危うい。厚みのある三枚歯の高下駄を履いて練り歩くのは至難の業であり、本来ならこれを完全にマスターするのには最低でも三年は掛かるのだとか。  清守の華奢な体躯は、まるで暴風に晒された細い竹のように、ゆらゆらと頼りなげに左右に揺れていた。   ──で、何故か俺たち4人は、この清守がバランスを崩して無様に転けてしまわないよう、同じ狐の面を被らされて、その左右と背後を必死に支え続ける奴隷労働のような役目をやらされていた。 「なんで俺がこんなガキの神輿を担がなきゃならねえんだよ、おい!」  と今にも工業用ホチキスを四方にブチ込みそうなほどブチキレている三毛猫の背中を、俺と黒鶏、白犬の三人で「まぁまぁ!」「ここで暴れたら罰則あるから!」と必死に宥め、やり過ごす。  とはいえ、間近で見る着飾った花魁たちの姿は、悔しいが息を呑むほどに綺麗で儚かった。  周囲の野次馬どもが理性を忘れて大興奮していたのも、男の身でありながら美貌という一点のみにパラメーターをすべて振り切ったその圧倒的な破壊力を見れば、大真面目に納得せざるを得ない。  そうして、内臓が裏返るような緊張感のなか、約1時間に及ぶ花魁道中は終了となり、イベントは幕を閉じた。 「つっかれたぁ~!」  楽屋代わりの大広間に戻るなり、俺は狐の面を剥ぎ取って畳の上に大の字になった。 「き、清守さんっ。はい、お水……」 「お、気が利くじゃん」  見るからに気の弱そうな、線の細い別のキャストの青年が、腫れ物に触るような手つきで清守にグラスを差し出した。何だ? 実家のパイナップル畑の利権でも握られてんのか? などとダチョウ並みの脳みそで思いながら、俺もテーブルの上に並べられた冷たい飲み物を手に取って喉に流し込む。  清守は礼を云うでもなく、それが地球の自転と同じくらい当然の義務であるかのように水をごくごくと飲み干すと、ふーっと長く一息を吐いた。 「凄く綺麗だったよ! 僕、思わず魅とれちゃっ──」  青年が純粋な憧れを瞳に宿して言葉を紡ごうとした、その瞬間だった。  パシャッ。  唐突に、痛烈な破裂音のような水音が響いた。  青年は、今しがた自分が手渡したグラスの残水を、顔面にまともに入道雲のごとく浴せられていた。水も滴るいい男、と云いたい所だが、前髪から顎の先まで容赦なく濡れそぼり、どう見ても哀れな濡れ鼠だ。  青年の顔を滴る冷たい雫が、ぽたぽたと畳に落ち、どす黒い染みを作っていく。あまりの理不尽に呆然と立ち尽くす青年と、グラスを握ったまま、何やら不快そうに眉をひそめる清守。  その淀んだ空気の落差に、白犬が俺の袖を引っ張りながら「ねぇねぇ、あそこの空気だけドブみたいに淀んでる~」と怯えた声を出す。 「は? 何で格下のお前に褒められなきゃいけない訳?」  清守の口から出たのは、先ほどの優雅な花魁のそれとは程遠い、ドロドロとした特権意識の塊だった。 「……あのさぁ、俺は『イシュタル』で1番のキャストだって解って云ってる? 馴れ馴れしいんだよ!」 「そん、な、つもりは……っ」  喉が接着剤で張り付いたように声が上手く出せないのか、青年は顔面を真っ白に染めてガタガタと震え出した。だが、清守のヒステリックな追撃は止まらない。 「謝れよ……」 「この俺に謝れ!!」  青年は細い胸倉を強引に掴まれて前後に激しく揺さぶられ、そのままドン、と床に突き飛ばされた。  豪奢で綺麗な着物を身に纏いながら、その美しい顔を般若のように歪ませて鬼気迫る表情で威圧する清守。  その清守奏の重圧に完全に気圧され、青年は自らの肉体をさらに小さく縮こまらせると、涙をボロボロとこぼしながら両手を畳についた。 「ご、ごめんなさ──」 「謝ることなんかしてねぇだろ」  俺は青年に手早くタオルを手渡しながら、その土下座しようとした華奢な肩を、 肉厚な手でガシリと受け止めた。地下闘技場でおっさんたちの理不尽な暴力を嫌というほど見てきた身としては、こういう無意味な上下関係のクソゲーが一番ヘドが出る。  すると、俺の後ろから、待ってましたとばかりに仲間の蛮族どもが容赦ないガソリンを注ぎ込んだ。 「そうだよ。飲み物受け取ってお礼も云えないとか、どんな底辺の教育受けて来たの~?」  白犬が小首を傾げて無邪気な毒を吐く。 「いくら見た目が綺麗でも、中身がこんなんじゃあねぇ。家畜のブタの方がまだマナーを知ってるぜ」  黒鶏が鼻でせせら笑い、三毛猫も冷ややかに腕を組んで追随した。 「ふん。性格だけじゃなく、脳みその構造まで悪いとこれからの生活が大変だな、お局ちゃん」 「な、──っ!!」  清守の顔が、今度は屈辱で真っ赤に沸騰する。  その時、静まり返った大広間の片隅から、誰かがクスクスと、ガラスの鈴を転がすような細い笑い声を漏らした。 「──誰だよ今笑った奴は!!」  プライドをズタズタに引き裂かれた清守が、狂ったトカゲのような目で周囲を激しく睨みつけ、怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らした。  ──コンコン。  これ以上ないほどに張り詰めた大広間の空気を破るように、不意に、しかし極めて規則正しいリズムで襖がノックされた。  扉が開かれて現れたのは児玉さんだった。彼は血生臭い一触即発の泥仕合など最初から網膜に映っていないかのような、完璧にドライな温度感で頭を下げた。 「今夜の会食の御用意が出来ましたので、皆様会場までご足労願います」  事務的にそう云って一礼すると、児玉さんは再び音もなく廊下の闇へ消えて行った。  その声に弾かれたように、華美な花魁姿のキャストたちも顔を見合わせて立ち上がり、裾を捌きながらぞろぞろと大広間から退出していく。  清守は床にへたり込んだままの青年を冷酷に見下しながら、馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らすと、乱暴に音を立てて扉を閉めて去っていった。 「…………お騒がせして、すみません」  静まり返った室内で、青年は今にも消え入りそうな蚊の鳴くような声で俺たちに頭を下げると、まるで何かに追われるかのように、慌てた足取りで部屋から出ていった。 「あの子、可哀想~」  白犬が呑気なため息をつく。 「清守だっけ? あいつ天狗になりすぎだろ。高円寺の焼き鳥屋の頑固オヤジでもあんなに威張り散らさねえぞ」  黒鶏が不快そうに首の骨を鳴らせば、三毛猫が冷ややかに腕を組んだ。 「隙を見せるからああいう輩につけ入られるんだ。泣けば許されると思うなよ。もう学習しただろ」 「……三毛猫ってホントーに……過激派だよなぁ」  俺がダチョウ並みの脳味噌でぼそりと本音を溢した瞬間、案の定、三毛猫の拳が俺の脳天にクリーンヒットした。 「あんっ」  脳がバグるような不条理な痛みに、俺は情けない声を上げて畳に突っ伏した。

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