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7ごみ溜めのコンクルスス①
それは、いつもとは違う澄んだ空気の気持ちの良い朝だった。
そのまま二度寝をキメようと思って布団の中でもぞもぞと蠢いていたら、部屋の壁に直付けされた軍払い下げ品みたいな無線機から、キャストは全員、すべての私物を持って第一談話室へ集まるようにとの召集が掛けられた。
お役所仕事特有の、一切の感情を排した冷酷なダミ声だ。モタモタしていると特務機関指定のペナルティが下るらしい。
俺は大きく欠伸を噛み殺し、全身の継ぎ接ぎだらけの傷跡をポリポリと掻きながら、刈り上げポニテを乱暴に結び直して部屋を出た。
通路に出ると、案の定、イライラと爪を噛んでいる三毛猫慶太たちと合流した。
白犬斗真はのんびりとあくびをしており、黒鶏武臣は自分の靴紐を結び直しようとしてなぜか両方の靴紐を一緒に結んでしまい、身動きが取れなくなって畳に突っ伏していた。相変わらずの天然バカだ。
俺たちは武臣を引きずりながら、揃って第一談話室へ足を運んだ。
談話室のひんやりとした空気の中には、この来客用座敷の案内人を務めていた児玉さんが、磨き上げられた革靴で直立不動の姿勢を保っていた。
「ご足労ありがとうございます」
児玉さんは、まるで豚の屠殺場を案内するような、一切の温かみのない美しい微笑を浮かべた。
「こちらはファタモルガナの寄宿舎を管理するハウルさんです。皆様にはこれからファタモルガナの寄宿舎へと移って頂く事になります。では後はハウルさんにお任せしますので私はこれで失礼致します」
そう言うと、児玉さんは完璧な一礼を残し、油を塗ったように滑らかな足取りで談話室を出て行った。残されたのは、無駄に長い顎髭を不衛生そうに撫で回している、薄汚れたおっさんだった。
「宜しくど〜も〜。んじゃあ、早速行こうか」
眠たそうな、それでいて他人の臓物を値踏みするような腐った魚の目をしたハウルさんは、俺たちを先導して歩き出した。
特務機関エンブリオの頑強なコンクリート隔壁を延々と進むこと5分。
ハウルさんが足を止めたのは、何の変哲もない、むしろ昭和の公営住宅から引っぺがしてきたような、薄汚れた鉄板の扉の前だった。そこには扉が一つ。ただそれだけ。
「キャストの連中、忘れもンとかしてないよねぇ? もう出ちゃうけど、大丈夫?」
振り返ったハウルさんが、妙にニヤついた顔でそう問い掛けてくる。
俺たちがコクリと頷くと、彼はドアノブに手を掛けた。
カチャリ、と安っぽい金属音が響き──扉が開かれた。
扉が開いた先に目に飛び込んできたものは、明らかに、俺たちの脳の許容量を超えた未知の世界だった。
あの来客用レトロモダン部屋から見た外はまだ朝で明るかったにも関わらず、ここは夜のままだった。
世界が丸ごと窒息したような、永遠の『夜』がそこには広がっている。
天井の存在しない途方もなく広い天空には、満天の星空と、まるで宝石のような、不気味に赤黒い月が煌々と輝いており、途方もなく広い。空気はひんやりと冷たく、どこか不思議な感覚を伴う匂いが鼻腔を刺した。
そしてその広大な漆黒の空間には、魔法で灯した幾つものランタンが空中をゆらゆら揺れている。それはまるで、これから始まる凄惨で歪んだ愛憎の地獄を歓迎する、数千の光の妖精のようだった。
「へえ~~! すげぇな!」
俺は、鼻の頭に冷たい夜気を吸い込みながら、にかっと場違いなアホ面を晒した。
「さすがパイナップルの缶詰の総本山。夜中でもライトアップが激しくて、最高にイカしたエレクトリカルパレードじゃねえか。なあ、慶太?」
「死ね、直忠。これがパレードに見えるなら、今すぐ眼球をアルコール消毒してこい」
三毛猫の鋭いツッコミが、煌々とした光に満ちた赤い月の下で、ドライに響き渡った。
(それにしても──これは異界……?)
世界が丸ごと窒息したような赤い月の下、俺の脳味噌がダチョウ並みの速度で思考を放棄しかけたその時だった。
「ここはな、コツが要るんだ。もしもの為に一応覚えておきな」
ハウルさんは無精髭の生えた顎をしゃくると、すぐ側に明かりの点いた店へと、湿った靴底を鳴らして向かった。俺たちも慌ててその背中に付いて行く。
「すご……なにこれ」
白犬がのんびりと呟き、三毛猫が周囲のねっとりとした闇を睨みつける。
「部屋から見た外は東京だったよね? ファタモルガナも東京なのに時間が違うのかな」
「対堕竜対策でね。ファタモルガナまでの道は異界を通ることになってる」
ハウルさんはまるでお通夜の帰り道みたいに、ひどく気だるそうに云った。
「ランタン浮いてる!」
黒鶏がすっとんきょうに指を差した瞬間、俺の胸ポケットが「ミ゛ィ」と短く鳴いて微動だにした。
「はいはい。ご飯は後でな」
俺はポケットの毛玉をそっと指先で宥めながら、三毛猫たちと不気味な夜空を見上げ、ひそひそと小声で話しながら歩く。
「よう、ダラー。景気はどうだい? 姫さん達のご到着だよ、馬車を頼む」
「ほう、漸く来たか」
ハウルさんはまるで馴染みの寂れたバーのマスターに話し掛けるようなノリで、脂の浮いた受け付けテーブルに腕を乗せ、人差し指を立ててにこりと笑った。
店主の、ダラーさんと呼ばれたおっさんは、肺癌の元をこれでもかと詰め込んだような葉巻を咥えていた。言葉を発する度に、黄色い煙がふわ、ふわっとクラゲのように宙に飛ぶ。
ダラーさんと視線がかち合うと、彼は俺の全身の継ぎ接ぎだらけの傷跡を値値踏みするように見た後、なぜか片目でねっとりとウィンクした。
「滞在期間はどうすんだ」
「そうだなぁ、ひと月かな」
「なんだ、いつもなら卒業まで住ましてたのに」
「ああ、約1名を除いて、他は全員寄宿舎だよ」
「そうか、そりゃあファタモルガナの坊っちゃん達にとっては吉報だな。賢者の扉も無事に同期開通したし、東京から通ってた新人の生徒達がすぐ近くの寄宿舎でいつでも会えるようになるもんな」
「そ~。こっちで生活してる生徒達も、東京で生活出来る手筈整えたから希望があれば東京か専用宿舎を選んでもらう予定。オメガ寄宿舎はハーフと人間だと相性が最悪みたいでね……華星組から寄宿舎を出たいって文句が出てるんだよね」
「そうかい」
ダラーさんが咥え煙草のまま、「珍しいもん手に入れたなぁ」と濁った声で云いながら、俺の顔面に直接ふーっ、と煙を吹き付けてくる。
辺りが真っ白にけぶり、鼻腔を突く煙草のヤニ臭さに噎せてケホッと咳が出た。俺の肺から飛び出た汚い空気に吹かれて、煙が不条理な模様を描いてふわりと舞う。
それから、受け付けテーブルの上にドカッと重々しい音を立ててランタンが置かれた。
「げほっ、なにすんだよおっさん~」
「あんた、俺の好みだよ。唾つけとかなきゃな」
「そりゃどうも」
へえへえと心のこもらない世辞を受け取って頭を掻いていると、白犬と黒鶏が両脇から俺の脇腹をうりうりと肘で押してきた。なぜか三毛猫には背後から思い切り尻を引っぱたかれた。乾いた痛みが肉に走る。
ハウルさんは俺とダラーさんの薄汚い絡みを退屈そうに眺めた後、俺たち全員に振り返り、こう説明した。
「ここはファタモルガナの敷地内で通称ヴェイガスの森の入り口。ヴェイガスの森は名前そのまんま真夜中の迷いの森だ。普通に歩いてもファタモルガナに辿り着く事は出来ない。覚えておくんだな」
「俺達が通ってた道と全然違うけどなんで!?」
黒鶏がまたすっとんきょうな声を上げる。
それを聞いたハウルさんはアハハハッ、と肺に穴でも空いているような乾いた笑いを漏らして、それからこう答えた。
「さっきも云ったけど、今までの道は堕竜対策が完璧じゃなかったのさ。人間はヴェイガスの森を無事に抜ける掟をこなさないと駄目なんだわ。取り敢えず1回でも森を抜けたら次からは賢者の扉から直通出来るから心配すんな」
「成る程ね~」
白犬が他人事のようにうんうんと頷いた。
俺はといえば、「迷いの森ってことは、もしかして中に高級なマツタケとかトリュフとか自生してんのかな……」と、ダチョウ並みの脳味噌で相変わらずお気楽なことを考えていた。
すると、テーブルの上のランタンが、生き物のようにランプを爛々と輝かせながらにカタカタと不気味に揺れた。
なんだなんだと思いながら見ていると、それはふわっと重力を無視して宙へ浮き、空間に生じた見えない傷口をなぞるように、くるくると踊るように回った。どうやらこの魔法のランタンが、迷いの森の道案内をしてくれるというお役所指定のシステムのようだ。
じゃあ、周りの闇に無数に浮いてる、あの野良犬みたいな他のランタンはなんなのだろうか。
俺が頭を傾げたのを察したかのように、ハウルさんが煙草の灰を床に落としながら答える。
「あれは他の奴が店から借りたランタンが、持ち主を失ってそこら辺を彷徨いながら店に帰って来てるだけだ。自律帰還のバグだな。あれに付いて行っても延々と円を描いて迷子になって、最後には干からびて綺麗なミイラだぞ」
そのドライな警告と同時に、背後から「ヒヒィン!」という馬の嘶きと、湿った土を激しく蹴る蹄の音が響いた。俺は軽く振り返った。
そこに佇んでいたのは、首の無い馬が2頭立てになった、葬列のように薄暗い馬車だった。それが何列も闇の奥へと続いている。
「この首切れ馬の馬車でファタモルガナまで向かう。皆乗って〜」
ハウルさんが気だるそうに言う。
首切れ馬の、本来ある筈の頭部は根元から綺麗に消え失せていた。しかし、見えない肉体が確かにそこにあるのか、革製の頭絡(とうらく)もハミも、中宙にしっかりと固定されて浮いている。時折、中空の虚無から「フシュッ、フシュッ」と、生々しく熱い鼻息の音と酸っぱい胃液の匂いが聴こえた。生きているのか死んでいるのかも分からない不条理の塊だ。
ハウルさんはその首の無い断面のあたりを、近所の野良犬でも扱うように優しく撫でてから、俺たちに手招きし、馬車へ乗り込むように促した。
俺たちは全員でその薄汚れた首切れ馬の馬車に乗り込み、案内役のランタンを先頭にして、ねっとりとしたヴェイガスの森の闇を駆け抜けた。
車内の窓から、ちぎれんばかりにムンズと身を乗り出すようにして、黒鶏が「すげぇすげぇ!」と脳に直接届くような大声で喚き、白犬がそれをスマホのカメラで連写してスクショしている。異界でも電波は死んでいないらしい。三毛猫だけは、ドブネズミの意地を見せるようにどっしりと腕を組んで、眉間に皺を寄せて構えていた。
「あ、見たことない生き物! カエルにハゲタカの羽が生えてる!」
「どこどこ〜!? 捕まえて串焼きにしようぜ!」
「お前ら五月蝿い! 大人しくしないとその締まりのない尻を順に蹴り飛ばして突き落とすぞ!」
「とか何とか云って、三毛猫だって興奮してる癖にな〜。な、毛玉〜」
「ミ゛ィ」
胸ポケットの大福が同意した瞬間、三毛猫の容赦のない拳が俺の脳天にクリーンヒットした。痛いん。涙目で頭をさする。
どれ位進んだだろうか。視界を遮っていた生臭い霧の森を抜け、漸く目的のモルガナが見えて来た。と同時に、案内役のランタンは御用済みとばかりに、ふらりと俺たちの前から姿を消した。
「あ」
森の境界線を一歩抜けた瞬間、唐突に、脳髄が焼き切れるような明るい太陽の光が俺たちの全身を貫いた。
それと同時に、眼前に広がった規格外の光景に、俺のダチョウ並みの脳は完全にフリーズした。
「うわぁ〜〜!! なんだこれ!?」
「へへ〜ん! ヨッチー初めて見るもんね?」
隣で、なぜか自分が建てたわけでもないのにドヤ顔をキメている白犬。
「凄いだろ!」
そして、なぜか我が物顔で胸を張る自慢げな三毛猫と黒鶏。
「マジでスゲェ~!」
俺は馬車から上半身を丸ごと乗り出し、生まれて初めて見る、豪華絢爛という言葉すら安っぽく思える巨大な建造物の群れに、思わず激しい興奮と、圧倒的な質量への恐怖で恐れおののいた。
東京のど真ん中に隠された、特務機関エンブリオの要塞。そして、これから俺が強制的に大掃除させられることになる、魔窟『私立ファタモルガナ学園』の全貌が、乾いた光の中に傲然と聳え立っていた。
──見上げる程に高く、世界を圧殺するように巨大な学園。
それが、魔窟『ファタモルガナ』の全貌だった。
眼前には、まるで何処かの童話の世界から出てきた美しい水を流し込んだようなエメラルドグリーン色の川が広がり、そこへ重厚な鉄の意思を感じさせる大きな橋が架けられている。
その先には、人間の歩幅を拒絶するかのような長い階段が聳え、段差段差には、計算され尽くした豊かな緑がそこかしこに、理路整然と植栽されていた。
周りを見渡せば、高低差を容赦なく生かしたことで高台から落ちる滝が映え、大きな池に轟々と飛沫を上げ、見事に美しく際立っている。
バロック建築特有の、シックな深紫色の尖塔の屋根と、格調高い白いレンガ造りの歴史を感じさせる外観。
それは金の装飾も合わさってとても美々しく、地上に降り注ぐ陽の光すら圧倒させる、傲慢な威厳と高貴さで聳え建っていた。
とてつもなく広大な敷地は、金で装飾された外壁がぐるりと檻のようにモルガナを囲んでおり、敷地内には手入れの行き届いた華やかな庭園が広がる。
モルガナの中庭には、施設内へと続く二階に、高く大きな十字の橋が架かり、そこの中央の四隅から滝が流れ、噴水は綺麗にライトアップされていた。
さらに、宝石をふんだんに埋め込まれた煌びやかな彫像が、モルガナの屋根のそこかしこで、俺たちを監視し守護するように鎮座している。
案内を聴くところによると、屋内には様々な施設があるらしい。
アルファ、ベータ、オメガそれぞれの寄宿舎(ハウス)と配属室、礼拝堂、図書館、訓練場、舞踏室(ボールルーム)、集会室(ミーティングルーム)、応接間(ドローイングルーム)、購買部、専用食堂、プレールーム(遊戯室)、談話室、劇場、大浴場などだ。
内部の拘りも尋常ではなく、バロック様式やルネッサンス様式、ロマネスク様式などを無節操に取り入れ、豪華壮麗な装飾や彫刻が壁を埋め尽くしている。
階段一つにとっても、職人の指を一本ずつへし折って作らせたようなアイアンワークや、そこかしこに細かな装飾がなされ、調度品も家具も全てが、お国が買い叩いたような超一級品のものばかりであった。
馬車から降りて、その恐るべき橋と正門の前で、俺は感動の余りアホ面を晒して呆然と佇んでいた。
すると、どこからかハウルさんがフラフラと現れて、俺たちを手招きした。
「寄宿舎に案内するけど、ハーフの子と人間の子は別々だから、先にハーフの子達からな。お前達はちょっと待っててな」
なるほど、お役所仕事の書類分けというわけだ。
他のハーフの面々が、それぞれに重い荷物を手に取り、ハウルさんの湿った靴底に付いて行くを見届けて、俺たち4人は正門の前で、のんびりと待つことにした。
「ハーフと人間は別々なんだな」
頭の後ろに腕を組みながら、黒鶏が空っぽな声で呟けば、白犬が俺のポケットから這い出してきた毛玉の白い頭を優しく撫でつつ答える。
「その方が良いよ~。どうせ一緒にしたら、一秒で肉を削ぎ合う喧嘩になるんだし」
「確か直忠は1ヶ月だっけ。ハーフと一緒に生活するとか、カルマのドロドロに巻き込まれて地獄だからな」
苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔で三毛猫が地面に唾を吐き捨てると、三人共うんうんと頷いた。
その頃、俺は自分の全身の傷跡のことなんか綺麗に忘れて、大理石の隙間を必死に這い回っている1匹の蟻をじっと見ていた。
「こいつ、これからパイナップルの缶詰の甘い汁を吸いに行くのかな……」とか大真面目に考えていたら、背後から三毛猫の容赦のない重い蹴りが、俺のムチムチしたケツにクリーンヒットした。
「はひんっ!?」
そのまま前のめりに転んで、大理石の硬い床に顔面を強打した。鼻血がたらりと垂れた。普通に痛くて泣いた。
暫くすると、遠くからハウルさんがこちらに、死んだ魚の目をしたまま手を振りながら歩いて来るのが見えた。
「お待たせ~。いやぁ、待たせて悪いね。あっちの上流階級の奴らから、先に寄越すようにせっつかれちゃってさ。じゃあ行こうか」
ハウルさんの説明によると、ここのキャストの専用宿舎は、ハーフは【佳宵(かしょう)組】、そして人間は【華星(かせい)組】に明確に分かれているらしい。
俺を含め、高円寺のドブネズミ一派である三毛猫たちは、華星組のキャストとして、俺たちの身の丈に全く合わない豪華な専用の屋敷に向かうことにした。
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