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8アノマレコード:002-B(渋谷地下特区乱反射・認知災害記録/サイコーにハッピーセット①
「ヘイ、マイフレンズ直忠くぅん? てめえ、これで『エシレの極上バターを使った背徳の完熟タルト・タタン』を50人分きっちり買ってこなかったら、そのケツからジャックナイフ叩き込むからな!」
三毛猫慶太が、特務機関エンブリオのファタモルガナにそびえ立つオメガ専用宿舎の、磨き抜かれた長い廊下で怒声を張り上げていた。
そこは、総勢50人もの人間のオメガたちが共同生活を送る、圧倒的な広さを誇る巨大なレトロモダン建築だった。
一歩足を踏み入れれば、どこか懐かしい青畳のい草の香りが漂い、障子やふすまが延々と並ぶ、和風テイストの超巨大な大屋敷だ。
今回は、その広大な畳の広間に51人全員が車座になって集まる大お茶会のために、直忠が代表として買い出しを命じられたのだ。
5月の東京は、まるで腐った犬の臓物を煮詰めたような、ねっとりとした生温かい湿気に満ちている。
「それはわかってるけどよ、慶太、お前俺の事なんだと思ってるの? は──……まあ兎に角、炉舞も武臣も斗真も、巨大な畳の広間でみんなでおピンクなお茶会しような! 待ってろよ、東京名物のオシャレスイーツ50個ォ!」
俺は、炉舞を新たに含めた高円寺の蛮族なダチ4人をはじめ、専用宿舎の面々から託された、もはやちょっとした分厚い古文書のような厚みの千円札の束とメモ書きを握りしめ、支給されたブカブカのラバーブーツを鳴らして宿舎を飛び出した。
刈り上げられたポニーテールが揺れる。褐色肌の肉体は生々しくムチムチしているが、脳みそは薄っぺらいダチョウ並みだ。
頭の中は、スイーツの香りと妄想で完全に満杯だった。
だが、俺が東京の有名スイーツ店へ向かうために『セクター02:渋谷』の地下通路へ足を踏み入れた瞬間、お役所仕事の運命は、一切の情緒なく彼を拉致した。
『──エンブリオ日本防衛特務機関より、唯一の特異中和個体【器:真宵直忠】へ通告。現在、渋谷地下雨水貯留施設にて大規模な空間侵食が発生中。お前のお使いルートは現在、神々のバイオレンスバトルの中心地だ。ただちに現地へ突入し、裏方大掃除の任務を遂行せよ。なお、タルト50個の賞味期限は保証しない──』
携帯端末から響いた宗像司令官の気怠げな声と同時に、空間がぐにゃりと歪む。
気がつけば直忠は、日常の裏側にぽっかりと開いた、冷徹なコンクリートの胃袋──地下数十メートルの巨大貯留施設に、50人分のスイーツの紙袋を握りしめたまま放り込まれていた。
「え! え! え!? どういうこと!? どういうこと!? ひ、ひえー、こりゃまたとんでもねえな~ !! ってか俺ちゃんのタルト・タタン50個はどこだよ!?」
直忠は泥水に足を浸しながら、ズレまくった感嘆の声を漏らした。
「おい、高円寺のドブネズミ。お前のような薄汚い軽トラが、我々コル・ドラコの聖なる戦場を汚すな」
きらびやかな特別仕様隊服の襟元を気にするようにして直忠を睨みつけたのは、ドラゴンであるアルファたち──通称「ドール組の7人」の筆頭エレンだった。
彼らは普段、モルガナの表舞台でオメガたちから黄色い悲鳴を浴び、己を世界の支配者だと信じて疑わない。
直忠が「お前ら雁首揃えて今日も元気だね。昨日ちゃんとヌいてきたかい?」と元気にボケをかますと、アルファたちは不快そうに鼻を鳴らした。
彼らの背後、さらに暗い闇の奥に、その男はいた。
コル・ドラコの一人、モルドレッド・ラスト。灰色長髪の隙間から覗く金色の瞳が、愉悦に飢えた獣のようにギラついていた。鋭いギザ歯をカチカチと鳴らし、自らのハイエナの耳尾を不気味に震わせている。
「クカカッ、どいつもこいつも相変わらずしけた面かましてェ……隊服組の坊やたちが泥遊びかァ? 汚れて泣き喚いてもママは助けに来てくれねぇぞォ。カハハハハッ」
モルドレッドの乾燥した笑い声が、巨大な円柱が並ぶ神殿のような空間に不気味に乱反射した。
その瞬間、空間の『規則』が、音を立てて完全にバグを起こした。
現世の物理学が脳溢血を起こして死亡したかのような、悍ましい因果のエラー。ジャリ、ジャリ、と脳髄の最奥に錆びついた巨大なハサミを突き立てられ、無理やり噛み合わされたかのような言語絶するルールエラーの超低周波ノイズが、地下貯留施設のコンクリート壁を激しく共振させる。
オペレーターの声がこの狭い空間に木霊する。
『堕竜、地下への出現まで十、九、八──』
直大怪獣級の、神々のバイオレンスバトルを体現する圧倒的な超質量──ボス堕竜の出現だった。
それと同時に、エンブリオ日本防衛特務機関の作戦指令室では、冷徹な電子的アラームの群れが狂ったように鳴り響いていた。赤色灯の不気味な明滅がオペレーターたちの顔面を血紅色に染め上げる中、彼らの指先はキーボードの上を激しく叩きつけ、火花を散らす。
「ターゲット、概念深度フェーズ4へ移行! 空間の侵食スピード、通常の計算ログを遥かに超越しています!」
「エンブリオ地上固定重魔力砲、全軸物理ロック完了! 照準誤差ゼロ!」
「第1から第8エネルギー伝導管、伝導率120%を突破! 反応炉、臨界点を迎えています。融解まであと数秒!」
管制室のオペレーターたちが、ミリタリー独特の冷徹な高速詠唱で、コンソールに無機質なお役所仕事を叩きつけていく。
「対竜重魔力、完全解放! 一斉射撃、テ──ッッッ!!!!」
激震。防爆ガラスの向こうで、大気を分子レベルで融解・蒸発させるほどの凄まじい熱量を持った魔力弾頭が、現世の闇を切り裂く純白の光の槍となって堕竜の巨躯へと撃ち込まれた。大気がプラズマ化し、地下通路全体が割れんばかりの衝撃波に包まれる。
「直撃──!! ターゲットの肉眼視認、消失!」
オペレーターたちの歓声が上がる、その一瞬の寸前。
「──魔法弾、駄目です! 全く効果がありません! 撃ち込まれた弾頭質量、熱量、エネルギーのすべてが中和……いえ、因果のバグによって完全に無効化されています!」
「バカな、また熱線浸透率ゼロだと!? エンブリオの最新戦術理論を更に改良したと云うのにすべて無視した概念装甲で弾かれているのか!? 通常のログでは記述不可能です!」
血の気の引いたオペレーターの悲鳴が重なり、管制室に絶望の沈黙が広がる。通常の戦術データでは一切太刀打ちできない、完全なイレギュラー。
大型モニターを見上げる宗像司令官は、くたびれた顔のまま、ただ一本のタバコに火をつけた。その指先だけは、冷酷なまでに静止している。
「……相変わらずか、な~んか、こいつら普通の堕竜と違うのか効かないんだよねぇ。通常の堕竜なら効果覿面なんだけど……あ~あ、国家予算ま~た無駄にしちゃったねコレ」
気だるそうで、それでいてすべてを諦めたような冷静な一言が、静かに室内に落ちる。
「ボス堕竜、識別コード依然として不明! 撒き散らされる精神汚染パルス、通常の許容値を300%超過しています!」
「対象は固有の因果災害【地下乱反射・認知災害】を展開中! 周囲のコンクリート壁面、濁った水面、空気の振動すべてが、網膜と精神を両断する『ギロチン』として機能しています!」
メインモニターに映し出された映像は、すでに人間の脳が処理できる領域を遥かに超えていた。空間そのものが歪んだステンドグラスのようにデタラメに乱反射し、凶悪極まりない視覚情報が網膜を内側からズタズタに引き裂いていく。当事者たちは文字通り命がけで超大真面目なのに、起きている現象があまりにも意味不明すぎる認識災害。
「ふ、ふざけるな……! 我々はエリート、選ばれたアルファだ……! こんな出来損ないのバケモノに、遅れをとるなど万に一つもあり得んッ!」
真っ先に動いたのは、モルガナの表舞台でオメガたちから黄色い悲鳴を浴び、己を世界の支配者だと信じて疑わない、イキり散らしていたアルファの「ドール組の7人」だった。
黄金の名を誇る彼らは、きらびやかな隊服の襟元を翻し、自らの姿を解放して神たるドラゴンへと変異しようとした。
だが、それが完全なる致命的な罠だった。
敵──正体不明堕竜仮称『ギロチン』の撒き散らす乱反射の光は、触れた者の精神に「極上の快楽を伴う絶対的な存在否定」を叩き込む、全方位脳破壊ハザードだったのだ。
「あ……あぎゃっ!? ひ、光が、頭の中に、冷たい刃が……直接脳髄を蹂躙して、くる……ッ!」
「気持ちいい……いや、痛い!? 脳みそが、脳みそが錆びついた金属と焦げた有機物の比喩で削られていくゥッ! ぎもぢいいよ~~!?!? アガガガガ、ワレワレハ、ワレワレハ最高級の、エリート、なのだ──ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
